演劇人生 -30ページ目

演劇人生

今日を生きる!

昨日から立ち稽古に入りました。

三分の一を荒く立ちしました。

「今回はよくなる」

この一念で・・・


ここで小林家の五人兄弟姉妹を紹介します。


ひたすら演劇を考える
小林多喜二 宇山けん


ひたすら演劇を考える
長女 チマ姉 鶴田久美子


ひたすら演劇を考える
次女 ツギ 宮沢明花


ひたすら演劇を考える
次男 三吾 正田就生


ひたすら演劇を考える
三女 ユキ 山崎じゅり

「豪さんは朗読嫌いでしょう」

質問ではなかった。

断定的に言われたので反論しないわけにはいかない。

例え朗読を好きでないにせよ、

このような言われ方をされると、不思議にそうなるものだ。


「いや、好きとか嫌いとかじゃないんです。

自分の性分に合わないみたいなんです」

意味不明な返事かも知れない。


第一、小説家の殆どは、

朗読されると思って書いているだろうか。

これが、わたしの根っこの部分にある朗読嫌いの本性かもしれない。


作家自身に聞いてもらって、

「あなたの朗読のために、この本上げる」

こんなふうにお墨付きを貰ったのならいいだろう。

それを、何処の誰かも知れない人に勝手に読まれていい気はしないだろう。

「おいおい、その人物は関西訛りでしゃべっちゃいないよ!」

「何だか語尾が消えて、諾だか否だかわからないよ」

そんな風な朗読者に読まれるとは思っていないと・・・

そう思う。

例え上手く読んでもらっても不満は残るに違いないのだ。

今の世の中、日本には文盲は皆無に近いだろう。

本を読める人には読んであげるのではなく、

読んでもらえばいい。


作者に読んでもらうならまだしも、

どれ程の理解力と感性をお持ちか知らないが、

私は、読んでもらうなんて真っ平だね・・・と、

誰かに話したことはある。


森敦さんが自作の「月山」を読むのを聞いたことがある。

ひたすら演劇を考える
  森敦記念館HPより借用


「あれは圧巻だった」

出羽三山の鬱蒼とした木々を縫うような・・・


実際に、月山や湯殿山に身を置いたとき、

何処からか、森敦氏の息遣いが聞こえて来そうに思えたものだ。

「朗読って、あれだな」

今でもそう思う。


こういった意味で「嫌いではない」のであり、

「好きでもない」のである。

現在、三浦綾子原作「母」稽古中です。
上演は、
11月8日(金)~10日(日)麻布区民センター(六本木)
ですが、緊急で舞台監督を求めています。


※支払い条件など制作者と面談の上決めて頂きます。

※劇団アドック側からの条件は、

  稽古に5日以上出てもらいたいことです。
  未経験者には、
  演出助手の仕事と一緒に実践の中で訓練し、
  当日までに仕上げます。
ご希望の方は9月12日までに、私宛のメッセージでお知らせ下さい。
よろしくお願いします。

電話の中で、

「最近の若い役者はどう?」

と、若くはない役者から質問があった。

「みんな頑張ってるよ」

と応えたが、

電話の向こうの彼の期待した内容は違うもののようだった。

「・・・・そうかァ?」

気のない声が返ってきた。

「何かあったのか?」

「何かあったってんじゃないよ」

と、話し出したのだが、ここには長すぎて書けない。

大まかにまとめると、

最近観たというお芝居についての感想だった。

「何を言ってるのかわからない」

声は聞こえても、そのしゃべっている内容が分からないのだという。

「何で客席に向かって芝居するの?」

同じ場面に出ている他の役を無視して、

客席にしゃべりかけてくるのだという。

「演出がいるのか・・・あ、いるよ、ちゃんと」

チラシかリーフレットでも見ているらしい。

「あれで芝居をしているのかと思うと、お芝居ってやつが可哀相になる」

という。

「そうか、よっぽどヒドイ芝居を観たんだな」

「ぎゃ~ぎゃ~怒鳴りたててさ、かと思うと・・・」

客席に向かって「ねぇ?」と、

同調を求めるのだそうだ。

「じゃ、ふざけんな!」

と、逆に怒鳴ってやればよかったじゃないかというと、

途端にしおらしい声を出して、

「そん中に、おれの姪っ子がいるんだよ」

「伊藤さんはしゃべると止まらなくなるので・・・」

劇団代表の三園さん、

「止めますからね」

という。


確かに3時間という短い時間は稽古には貴重だ。


「役者の勉強は日常生活の中にあり」

話を始めると「ストップ」がかかった。

「それ、この前聞いたわよね」

ところが、他の役者たちは「・・・??!!」

「だから次に行きましょう」

「じゃ、ちょっと角度を変えて説明しようか」

「・・・・・・」

三園さんが黙ってしまった。

役者諸君よ・・・

一変しゃべった内容は覚えておいてくれ。

「はい、聞きました」とでも答えようなら、

「じゃ、どんな内容だったか・・・」

覚えていることを話してくれと言われでもしたら厄介なことだとになるとでも思うのか反応がないのだ。


私の言いたいこと、言ったことは単純だ。

日常生活では言葉をしゃべっているのに、

稽古では活字を読む役者が多い。

聞いている人の耳には言葉ではなく、

活字が飛び込んでくるのだ。


名言集から、咀嚼もせずに引用し、口にしても真実味に乏しい。

・・・あれだ。

何をどう感じて、どう思って言葉にするか・・・

これが大事なのだ。


日常生活で、

「行ってきます」

「ただいま」

「美味しい」

だのという言葉を活字でしゃべりますか?


こんなことを言いたかったのであります。


(・・。)ゞ