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演劇人生

今日を生きる!

殺人事件が相次いでいる。


殺人も次第に短絡的だ。

残された遺族の思いも然ることながら、

被害者は、どんな思いだったのか・・・


島根県では、

女性の頭部だけが見つかる事件がおきた。

毎日のように、

或いは、

日に何件となく殺人や傷害事件が報道される。

接した人々は、

「もう、私たち慣れっこになっちゃった」


これは怖いことだむっあせる


横浜開港150・・・・

予定をはるかに少ない集客で、

かなりの赤字を抱えて終了した(らしい)。


劇団生活

これはスタート前の打ち合わせ気勢をあげたときの集合写真。


今夜は、その打ち上げだった。


我等劇団アドックからは4名が参加した。

ぼくの中締めで会を締めくくった・・・


「スタッフのみなさんのご苦労をねぎらい、

参加したみなさん一人一人のパフォーマンスが、

横浜に花開いた文化が、横浜をハブ空港として

全国に、全世界目指して羽ばたき更に大きな

ものとにて再度横浜に飛来し、また羽ばたくことを

祈念して中締め・・・一本締め・・・云々」


何の予告もない突然の指名でしたから、

何か、整っていませんねェむっあせる

以上でした。

先般終了した

開国150記念イベント

「横浜開港150記念祭」

の打ち上げオープンサロンが今夜行われる。


劇団では、

芥川龍之介作「雛」公演で参加した。


劇団生活

「紀伊国屋と申したわたしの家は・・・」三園演じるお鶴の語りで、

この物語は始まります。

下の年号に間違いが・・・(恥ずかしい)


一度だけの公演に、

多くの方から再演の希望が寄せられました。

雛人形の箱を人形の吉徳さんからお借りしたが、

12chの「何とか鑑定団」という番組で

人形関係の鑑定員をしている中村さんも、

「一度だけでは勿体ない」

と惜しまれ、

「素晴らしい出来映えだった」

また、

「来年の三月を目標に上演場所を探しては?」

とおっしゃっていただいた。

・・・資金不足でなかなか進まず、

その方々には申し訳ない気持です。


劇団生活

雛は明日になれば、横浜の亜米利加人に売られてしまう。

兄、英吉の言葉に、少女お鶴は、つらい胸のうちをぶつける。

兄妹の間にあるのが雛の箱だ。

語るお鶴の後ろで、幼い頃の思い出が演じられていきます。


しかし、ご覧頂いた方からは、

「・・・どうなりましたか?」

再演の問い合わせが来るが、

「検討中です」

としかこたえていない。

これ・・・どうしようはてなマーク

明らかに忘れてしまった・・・

だけではない、何故こんな名刺がはてなマークはてなマーク

数え切れない・・・

1時間もかけて数えた枚数が

凡そ3,000枚・・・

最近頂いたものは800枚・・・別にしてある。

2,000枚近くの人は、

いつ何処で頂いたものやらさっぱり分からない。

「え、今この会社・・・?」

というものは破って廃棄する。

この議員は・・・?

この人、先日亡くなった・・・だの。


みなさんは、どうしているのだろうむっあせる

「~のために」について

みなさんから様々なご意見を頂きました。

本当にありがとうございました。

ただ、そのぼくからの返事に不備もあり、

再度のコメントを書きましたが、

記事として掲載し、更に付け加えることにしました。


ぼくの父は、やすい給料の中から

学費を払ってくれ、妹の、どちらかというと高額な

私立の音楽高校の授業料を払ってくれました。

大変なことだったろうと思います。


当時は、それを殆ど考えもしませんでした。
考えることが出来たのは、

自分にも子どもができてからでした。

父は子どものために働いているとは

ひと言もいいませんでした。
それがぼくにとってよかったかどうかを、

今になって考えることもあります。


父が言っていたことがあります。
「仕事は自分のためにしていることだから、

すべてその責任も自分にある。

そこで給料をもらって家庭の入れるからといって、

仕事の責任を家庭に負わせるものではないのは当然だ。

その仕事に対してもらう報酬だが、それを喜びとして

分かち合える家族がなければ自分ひとりのものでしかない。

家族で分かち合うことで社会性が生まれる」

酔っ払っての話でまとまりが悪く、

半分くらいしか分かりませんでした。

ただ家族のために働くのでもなければ、

社会のためでもない。


すべては自分の生きている証のためだと言っていました。

子どもを産んだのも自分の責任。

だから、子どものしたいことなら何でも応援する。

劇団生活-父と母
以前も載せた気がしますが、父と母(埼玉県飯能市で)


これを徹底していました。

そして、柄になく、

「このすべてが愛だ」などということを

小さな声で言っていたのを覚えています。

(母にですが)