アリストテレスさんの詩学も、カントさんの実践理性批判も、
アインシュタインさんの相対性理論も、三浦綾子さんの作品も、
字を読めなかった祖母ちゃんの昔話も、おふくろさんの味噌汁の作り方も、
自分が、どのように用いるかで、有用性も有為性も変わってきます。
「戦艦ポチョムキン」という映画がありました。
ロシア革命前の1905年ごろ、日露戦争で敗退中の戦艦内で起きた反乱と、
それの弾圧、そして港へ入るポチョムキン号の水兵たちに呼応する
市民や労働者たちへの弾圧が行われます。
そのオデッサの階段は有名なシーンです。
ところが、この映画も、用い方一つで、作者の思惑は塗り替えられ、
権力側(弾圧する側)に利用されたこともあるそうです。
人が生まれて以来の歴史の数々を、
どう「用いる」か・・・
その用い方一つで、
人が幸せにもなれば不幸にもなる。
幸せにもすれば不幸にもするのです。
この「用い方」について考えています。
それは、自分の用いられ方にも通じますし、
自らが自らをどう用いるかの問題でもありますから。