方言について | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

三浦綾子原作

神尾哲人脚色

「母」

と銘打ったように、

先日公演した「母」は、

三浦綾子さんの原作「母」を基にした脚色劇です。

原作は、

小林セキさんの語り形式で物語りが進んでいきます。

それは秋田弁そのものではありませんが、

いかにも秋田出身らしい言い回しをさせています。


劇団アドックのとった方法を紹介しましょう。

脚色にあたっての神尾哲人のノートをここに紹介します。


1.小林セキさんの語りを可能な限り標準語に近いものにする。

  (理由)この演劇は、出演者のセリフにローカル性は必要ない。

      内容は、人類共通のものであるだけに、地方性に

      こだわる必要はないと思うからである。

  またセキさんは北海道で40年を送り、東京での生活も長い。

  大勢の人前で、聴く人に分かりやすいように話そうとする意識は

  確実にあるはずで、そちらを強調したいと考える。

2.貧困にあえいでいた東北の生まれであり、

  そこから形成されたセキさんの人格は消しようはない。

  また、それを土台にして培った強い生命力は、

  生活の随所ににじみ出てくるはずである。

  それをどのように表現するかが大きな問題となるだろうが、

  劇中の何処か、必要のあるところに方言を入れる程度でいい。

  (例)近くのタコ部屋から聞こえる悲鳴に、

     耐えられない思いから、

     「戸を閉めて鍵をかけてくる」を、

     「戸をたてて、ジョッピンかってくる」

     というような言葉がひょいと出てくることでどうだろうか。

3.ローカル性は、末松の兄、慶義によって象徴的に表現してみる。

  先の政治家佐々木更三氏(今は渡部恒三氏も)のように

  一生(?)染み付いて直らない方言もある。

  慶義にその役目を荷わせることで、セキや末松が囲まれた

  生活の一部を表せればいいと思う。

4.また、子どもたちの中で、多喜二に方言の一部を荷わせる。

  秋田生まれで、小樽に育ったが、地元の労働者に密接した

  活動をしているために、「~だべさ」とか「な(何)して?」等の

  ちょっとした言葉の端はしに、その雰囲気を入れたい。

  単なる小樽商高を出たインテリではなく、

  その生活が働く人々と親身な接触にあることを、

  「匂い」として表したいと思っている。

5.また「おふくろ」を「母さん」で統一する。

  東北一帯で「おふくろさん」はあまり使わない。


以上のような覚書がある。

今回の公演で、3名の方から「方言」についての指摘がありましたが、

脚色に当たって、神尾の中では、その活かし方や消し方について

かなり考慮した形跡があります。

その内容を掲載してみました。


しかし、これは人それぞれに感じる内容は異なると思います。

わたしたち劇団アドックは、神尾哲人の考えを「よし」として、

上演しました。