(続)客演者(大島さん) | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

戦後、新劇界は、戦前戦中の抑圧された暗黒時代から解放され、

百花繚乱の態を示した。

逼迫した生活から何とか抜け出そうとする人たちが溢れていた。

また仕事には就いたが過酷な労働条件への闘いが起こっていた。

働くものたちは結束をはかり待遇改善の欲求を通して、

働くもの同士の連帯は深まっていった。


これが直接ストライキやサボタージュへと結びつくものもあったが、

職場内に結成される文化活動に、直接間接的に影響を与えていった。

労働者の意識を反映した演劇活動も盛んになってきたのである。

中には、組合の中に結成される劇団等も存在した。

組合御用劇団ではなくても、支援を受けて活動した劇団は多かった。

そのような職場から生まれた作家も多く、

後に民藝や他の劇団の座付き作家になった人も多い。

例えば、大橋喜一氏「コンベア野郎に夜はない」や、

堀田清美氏「島」などがいる。


今回客演してくれた大島景子さんは、

この時代、郵政省内の職場劇団で活躍した女優である。

劇団の三井茂子さんの友人であることから、

彼女の誘いで客演するに至った。


大島景子さん

12月は O・ヘンリー原作「最後のひと葉」

この方に参加していただいた意義は大きい。

若い役者に大きな刺激になったことがあります。


徹底した資料の調査です。

リアリズム演劇の道を歩いてきた女優ならではの姿勢といえます。

当時の時代背景や、庶民の暮らし、

今回は特に実在した人物(小林多喜二など、登場人物の大半がそうである)

についての背景等を様々な資料を自主的にコピーし、

稽古場に提供してくれたもあります。


彼女にとっては当然のことに違いありませんが、

それらの資料を手にした出演者が、

その内容にどの程度興味を示し、役作りの参考にしたか疑問です。

役づくりとは何かを、最初から学びなおしたほうが良いのかもしれません。


例えば、今回のある役の人物の写真はさまざま残っています。

化粧するときに、目の前の鏡にその写真を貼り付け、

自らの顔をつくるような気配もまるでなく、

髪の毛が赤いと言われたからスプレーで誤魔化し、

「この程度でどうか」という程度の「つくり」であったことを残念に思います。

ヒトラーに役をつくるとして、

彼の写真を目の前に置かない役者はいないように思います。


演劇づくりの常識で考えても、演出の指摘には、

舞台で明りをもらい「この色でいいか」どうかの確認する・・・

出来るだけ多くの眼や考えを参考にする・・・

そのような姿勢は当然と思うが、残念ながらありませんでした。


大島景子さんの大家さんは抜群でした。

セリフが固定しなかった難はありましたが、

存在感とリアリティは素晴らしかったと思います。

近所の小母さん役も、

彼女自身の持つ人間性が発揮され活き活きとしていました。

観ていて笑みの漏れてくるような存在の重要性を感じさせてくれました。


「このような役は彼女だな」

そう思わせてくれる貴重な存在の大島さんでした。