「はい」
「おれたちに何を残こそうとしているか、教えてくれないか」
「・・・・・!?」
あの大震災の数日後に、
劇団女優の一人が男の子を誕生させた。
親は、将来おおきく輝いて欲しいという願いを込めたのだろう、
大輝と名づけた。
写真を見て考えさせられた。
その表情に無言の問いかけを観た。
「大人よ、いま、みんなは何をしたいのだ」
そして、
「お前たちは、何を残そうとしているのだ」
経済産業省の原子力安全保安員は
福島第一原発の事故レベルをスリーマイル島事故と同レベルの5とした。
ところが、国際原子力機関の判断はレベル6になりそうだという。
解決に向けて必死に努力している人々が何10人いるのかしらない。
「今のところ安全」だというが、どうして「安全」なのかもわからない。
その「安全な所」で働いているみんなが、
どのような人たちなのかもわからない。
家族はどんな気持ちでいるのかも知り得ない。
彼らの努力にもかかわらず、
7都道府県に放射能物質はばらまかれ、
海に汚染水が流出している。
「この野菜は安全です」
「この魚は安全です」
日本の食文化の健康志向や安全性は世界的な財産だった。
顔の見える生産者として誇りを持っていた人たちがいた。
ところがこの震災以後、
日本の食品の数々は危険のレッテルを押されてしまった。
震災の打撃に加えて放射能汚染の打撃は深刻である。
福島県の浪江町や飯館村の顔の見える生産者は、
為す術もなく、声もなく畑地を茫然と眺めていた。
何が何でも冷温停止に持って行く。
それがない限り、
「安全」どころか「危険」を論ずる猶予すらないように思う。手をこまねいてはいられない。
傍観者的な思いを宿している余地は全くない。
誕生したばかりの大輝くん・・・
その写真は眼をつむっている。
その眼が開いたとき、
目線をしっかりと受け止められるか・・・
無言の声を聴きながら彼を見ている。
すまないが、大輝くんにいま一度登場してもらいます