議論が必要 | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

東日本大震災により

ここ港区内の催し物のいくつかも中止になったり、

あるいは延期されたりした。


主として電力関係が問題なのだが、

区などからの通達で計画変更や中止が余儀なくされたものもある。


昨日問題として取り上げられたのは、

7月~9月の予定される猛暑の中、

ホール内での演劇公演は成り立つかという問題であった。


昨年並みの猛暑を考えれば、冷房のない中で、

お客様が観劇に耐えられるかどうかの問題は深刻である。

可能なだけ外気を通すようにして、

お客様には団扇を配り、インスタントの冷やし材を配布する等の

工夫をしてでも公演はするべきだという意見が大半を占めた。


いずれにしても、劇団が心配するのと同じように、

そのような条件下で劇場に足を運ぼうという人々は、

必要な覚悟をしていらっしゃるに違いない・・・これは確かであろう。

しかし、熱中症で倒れたり、体調を崩す人の対応はどうするかになると

みな口を閉ざしてしまう。


昨年、冷房のない体育館を稽古場にした経験を持つ私たちとして、

演じる自分たちはいいが、ジッと座って暑さに耐える辛さを知っているだけに

考えてしまう仮定の話である。


しかし区民センターの演劇で、どれほどの電力を消費するのか・・・

福島第一原発がなければ、被災地救援や復興にも手をつけられず、

日本中の生産活動も回らない?

ちっぽけな演劇公演も中止せざるを得ないのだろうか。

何も福島第一原発だけの問題じゃない・・・それを言われるのはわかっている。

しかし、このような事態で、演劇公演のような場、

言い換えれば、人々の大切なコミュニケーションの空間や機会すら、

「節電」を至上命題にして、取り上げられてしまうのかという問題でもある。

被災の生々しさが薄れていない今こそ、真剣に考える問題に思うのだ。

時が経つにつれ、「さぁ元気を出せ」「立ち直れ」「涙を拭け」「頑張れ」

の声が強くなってくる。

それを支える「心の在りよう」をそっちのけにする傾向は否めない。

当事者でなければ、真実の涙には触れるのは困難だ。

そうなる前に、同情や追体験の危うさを再認識する必要を感じる。


これ等、諸々を考え、「我等はどうするか」だ。

発電と節電で目を向けなければならないターゲットは別にあるのでは?

そうも思う。


劇団内で、

これから更に議論しなければならない問題だ。