「母」(23)母の覚悟 | 演劇人生

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今日を生きる!

先ほど神田まで自転車で行ってきた。

途中ファーストフードに入りコーヒーを飲む。


週日の昼過ぎで食後の息抜きに立ち寄り

仲間同士お茶をしているビジネスマンや

OLもいたが、中に子供づれの母親らしき

女性もいた。


「らしき」とは失礼かもしれないが、

そうとしか言いようがなかった。

4~5歳の子どもは、所在なさそうにポテトを

つまみ、母親はわき目も振らずメール打ち。

子どもは退屈して母親に寄りかかる。

「・・・・!」

母親は、その方を見もせず無言で押し返す。

子どもは下唇を突き出して不満を示し、

またポテトを口に入れる。

が、明らかに食欲は失せている。


何回か、それの繰り返しの後、

子どもとはいえ堪忍袋の緒も切れようというもの。

母親のコートの袖を思い切り引っ張った。


パチンッ!

母親は子どもの頭を平手で叩いた。

顔を向けもせずに・・・


「おい母親ッ、そりゃあないよ!」

言いたくなるが、堪えた。

        汗

耐えている子どもほどには我慢が出来ない。

半分近くしか飲んでいなかったコーヒーだが、

気分が萎えて、手が行かない。

いや~な思いを抱いたまま店を出て・・・

神保町から大手町へ抜けた。

+++++++++++++++++

終戦後、ぼくは母と妹の3人暮らしだった。

小さな家での倹しい暮らしだった。

この頃はみな貧しかった。

猫の額ほどのりんご畑と、自給自足の作物を

家の周りの畑から採って来ては食卓に

並べる・・・そんな食事だった。

        汗

早めに床に入り、

何十回聞いたか知れない母親の語る話に

耳を傾ける。・・・いつの間にか、話が途切れ

母親の寝息に変わる・・・「ねぇ、お母さん!」

妹の催促で「はいはい」との返事に続いて

「あれっ、何処まで話した?」

幼い頃の、こんな生活を思い出す。

        汗

ある夜のこと、寝入ったぼく等は突然起こされた。

「へい、ママさん、ここ開けなさい」

「開けないと壊すよ」

木戸をドンドン叩き続ける。

数人の米兵の声がする。

明らかに酔っている声だ。

そして時折下卑た笑い声と甲高い口笛が響く。

「開けろ!」

「ママさん!」

母はぼくと妹を抱きしめ、

「いいか、入ってきたらお前たちは逃げて行って

“助けて”って大声で叫べ」

そういうと、囲炉裏にくべる薪を握りしめた。

ぼくは、その時の母の腕に浮き上がった

血管を今でも記憶している。

       汗

「もうダメだ」と思ったのだろう、母は、

「いいかッ!」と言うなり入り口に突進していった。

・・・と、その時叩く音が止んだ。

ぼくも妹も息を止めた。

       汗

米兵たちは諦めたのだろう。

笑い声と奇声が遠のいていった。

「お母さん!」

母に近寄ると母は泣いていた。

「よかった。何もなくてよかった」

母の指差した入り口の戸を見ると、

閂代わりに差し込んだ釘が半分抜けかかり、

あとひと叩きで落ちそうになっていた。

       汗

翌日、隣り村で一軒の家が荒らされ、

娘が数人の米兵に乱暴されたという話を聞いた。

       汗

ファーストフードにいた母親にむかつき、

ペダルを踏みながら虎ノ門に抜けながら

こんなことを思い返していた。

       汗

気丈に危険に立ち向かっていた母は、

既に世を去っていない。

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    母・・・民(みん)