虐めで自殺・・・
あまりにも痛ましい知らせである。
それも首を吊っての自殺なのだ。
ルナールの「にんじん」を
3年前に上演した。
「赤毛」とも訳されている作品だが、
フランスで映画化されもいるし、
演劇作品にもなり、
わが国でも相当数上演されている。
この作品のフランソワという少年は
家庭内で、特に母親の仕打ちに
自分は愛されていないことを知った。
水を張った洗面器に顔をつけたが
死に切れなかった。
そこで、納屋の梁にロープをかけて
自殺を試みようとする。
しかし、しなかった。
父親の呼び声を耳にしたからだった。
「それがお母さんの声だったら?」
父親の問いに、
「だったら吊っていたさ」
思いがけない話に、父は愕然とする。
・・・息子は自分の横に生きている。
父親が、
その命を感じ取った瞬間、
息子を見る目線を変えざるをえなかった。
しかし、それ以上に、
息子のフランソワは自分の存在に
重要性を感じ取っているのである。
「父さんにとって僕は必要だね」
自分がいなければ
父は生きてはいけないかも知れない。
自分が母との父とのクッションになっている
存在を感じ取るのだ。
子どもは大人の考える以上の
純粋な感性で、
さまざまなものを受け止めている。
「自分は苛めを受けている」
そこまで感じ取るまでには、
言うに言われぬ葛藤を経て来ているのだ。
ふざけての行為や意地悪くらい
どうということはない。
自殺を覚悟し、ロープを手にした
子どもたちの心中・・・
そこまで追いやられた人以外に
わかろうはずもない。
最後の最後まで、
何か救いはないか・・・・
その一点ばかり考える。
溺れると思ったときにすがりつける
一本の藁でもいいのだ。
ぼくも苛めを受けて自殺を考えた。
しかし、しなかった。
復讐を考えたからだった。
そこにすがってのことだった。
大人になって思い返すのだが、
行き先が遮断されるのだ。
生き先を絶たれるのだ・・・
そこで、先ず考えたのは自らを消すことだった。
苛めがあったとすれば、
そこにはあらゆる結果が存在するのである。
