三浦綾子昇天10年・・・12 | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

三浦綾子作「母」を

次の公演作品にしたのには

理由があった。

脚色が充分ではなかったことと、

登場人物が多いので、

客演者を募らなければ

ならなかったことが挙げられる。


さて、

旗揚げ公演に選んだ

「雛」の原作を数人に読んでもらった。


「これは芝居にならないよ」

とか、

「いまどうしてこんな作品を?」

一緒に劇団を創立した

三園さんを除いて、

みんながこう言った。


「新世紀を迎える今だからこそ

 タイムリーな作品なんだよ」

・・・と言っても、

「そう?」

不信に満ちた表情しか返って来なかった。


某大学の芥川研究家など、

「雛って、どんな作品でしたか?」

「どうしてそんな無名の作品を?」

と来た。


脚色してみると公演時間が短すぎる。

止むを得ず、

芥川の「蜜柑」を同時上演する事にした。


そして劇場ロビーに

八畳間の茶席を設け、

享保雛や等身大の男雛、

女雛を飾りつけた。


オリベという劇場名に因んで、

古田織部の流れをくむ

桔梗会のメンバーに

茶を点ててもらうことにした。


来客全員にお薄と和菓子を提供しよう。

茶碗も織部焼きで

150客揃えてもらうことにした。


「画期的な観劇会」

「発掘された芥川の名作」

「このような劇団があったとは特筆に価する」

・・・等々、この上ない評価を頂いた。


・・・が、300万円を超す

赤字を背負ったのだった。


(続く)