今週末、故郷出身者の集まりがある。
ふるさとの山形からも10数人が上京し、
百五十人位になる予定だ。
今回から司会を引き受けた。
・・というのは、昨年まではお客として参加していたが、
ぼく位の年齢のオヤジが緊張でコチコチになり、
読み間違えたり、シドロモドロになる姿を見て、
申し訳ないと思ったことと、可哀想になったからだった。
こっちは周りと雑談して食べたいものを食べ、
司会者を「あいつ緊張してるよ」などと揶揄る声を耳にしながら
放りっぱなしで済まない思いに駆られたからだ。
その打合わせをした。
その席に、昨年の司会者も同席した。
・・・その彼の様子を見て、
「・・・?」
その表情に寂しそうな影が見えるのである。
「そうか。下手でも彼にやらせておけばよかった」
のかもしれない・・・彼にとっての楽しみを
おれは奪ってしまったのではあるまいか・・・
彼が明るく振舞えば振舞うほど、
何か、心を締め付けられるような思いに襲われた。
彼は不得手な司会だが、
懸命につとめあげ、
何とか会を導いたという
満足感を味わえたのだとしたら、
今回の司会は、ただ上手くやれば
こと済むという仕事ではないのかもしれない。
・・・このような思いをしている。
自分で「よかれ」と思うことでも、
それは自分の感覚からの発想だけではないか。
物事の背景には、様々な思いや、
感情があることを考えるべきなのかもしれない。
さて、当日の心の準備に、
一つの課題が生まれた気がする。