ブログネタ:思い出のナツメロ
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恋した女性がいて結婚した。

この女性と生涯を共に出来れば、
最高の幸せと暮らす日々に違いない・・・・
・・・・が、それは長く続かなかった。
結婚20年目にして破局が来た。
考えてみれば当然の帰結だったのかもしれない・・・・
そう思うことがあった。
僕の生き方である。
愛とは何か・・・・
浮気一つしていないことも、
子どもの朝食を作って弁当を作ることも、
仕事が終れば一直線帰宅することも、
肩が痛いといえば指圧することも、
抱いてといえば懸命に喜んでもらおうとすることも、
家を買うことも・・・・
愛ではない。
愛とは・・・・優しさなのなのかもしれない。
優しさとは、
待つことでもあり、
厳しくもあり、
必要なことを求めることでもあり、
相手の欲しいことを理解することなのだ・・・・
これに気づいた時は、
既に離婚して6~7年近くを経た時だった。
幸せは求めるものではない。
感じるものだ・・・・・
その思いを少しずつ分かりかけたある日、

すだく 虫の音に
疲れた心を いやす
吾が家の 窓辺
静かに ほのぼのと
しあわせは ここに

心の やすらぎ
明日の 夢をはこぶ
やさし 君が笑み
静かな 吾が窓辺に
しあわせは ここに
石原裕次郎の歌といえば、「銀座の恋の物語」「ブランデーグラス」
「嵐を呼ぶ男」「夜霧よ今夜もありがとう」「錆びたナイフ」等々・・・・
この「倖せはここに」も裕次郎の歌である。
この歌を聞いたときに感じたことは、
僕が求めていたものは、自分が幸せでありたい・・・・
こうすれば幸せなはずだ・・・・
そのようなものではなかったか…ということだ。
可愛いし、笑顔がいいし、一緒にいて楽しい・・・・
これは悪いことではない。
しかし、
二人で何をつくっていけるか…、これがもっとも必要なことではなかったかと思う。
結婚とは「愛を学習する条件」が整うことである。
愛とは…命をつなぐ優しさである。
何とも辛い思い出だが、
本当の愛とは・・・・を学びえた思い出ではないだろうか。
そこから生まれた答えが、
愛とは、優しさであるということだった。
そこに、しあわせも生まれてくるのだろ。


を作った作詞・作曲者に敬意を表したい。
25年以上かかって学んだ人生の重さが数行の詩の中に書かれてあったのだ。