和気清麻呂と足立山(北九州市)の由来 | 河童おやぢのつぶやきブログ

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和気清麻呂

和気清麻呂肖像(wiki)

旧札に描かれた和気清麻呂像

旧 拾円札に描かれた 和気清麻呂肖像

北九州市は小倉北区にある
足立山(あだちやま別名 霧ヶ岳、 標高597,8m)清麻呂は縁があるらしい。

和気清麻呂
の碑が北九州市小倉は足立山麓にあり、
足元には猪が一緒。

備前国藤野郡(岡山県和気町)の出身
 和気家は、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)第5皇子
鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とする家柄
天平5年(733年)~延暦18年2月21日(799年4月4日)
奈良時代末~平安初期に活躍。

弓削 道鏡

769年、称徳女帝の御代、道鏡が帝に成り代わり
即位しようとした企てを見破ったが
恨みを買い 足の筋を切られて 名前も
「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と言う

ひどい名前に改名させられたうえで 大隅(現 鹿児島県)に流罪。
宇佐八幡宮に向かう途中、道鏡配下に命を狙われる。
が、猪が現れ窮地を脱する。
この猪は八幡神の遣いで,
清麻呂を護り宇佐神宮まで共をする。

(弓削)道鏡は、河内国弓削郷(大阪府八尾市)出身の僧侶。
称徳天皇は、密かに清麻呂へ一首の歌を贈っている。
 
 西の海 たつ白波の上にして なにすごすらん かりのこの世を
 

「西の海」というのは、西方浄土を想起させ仏教界の海
つまり大御所である道鏡のことで道鏡が立てた波風(白波)を
「上にして」つまり道鏡を天皇にさせて
「かりのこの世を」現世を
「なにすごすらん」どうして過ごせましょうか
と詠んでいます。

足立山の由来

“ 足を負傷していた清麻呂は
豊前国 企救郡 石川村 竹和山(現 足立山麓)傷に効く霊泉がある事を知り、
宇佐神宮より神馬を借り霊泉を浴びた処
傷がすぐ治った。”
と言う伝説があり
これが命名の 由来とされる。

余 談

因みに 霊泉跡と言われるものが同区の湯川神社にあり 
地元では
「湯川のどんこ(魚)は目が片目、清麻呂どんこ(魚)踏みて目を潰し」
と言う戯歌が伝わっているとか。

天平10年(738年)1月13日、女性皇太子の唯一の例である
阿倍内親王(21歳、後の孝謙天皇で聖武天皇と光明皇后 (38)の娘)立太子される。

北九州市小倉北区妙見町の足立山妙見宮(妙見神社・御祖神社)
境内にある像
 
 
清麻呂像 足元に猪
解 説
 
参考ウェブサイト:
ねずさんのひとりごとhttp://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2441.html
Wikipedia
足立山 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E5%B1%B1
和気清麻呂https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%B0%97%E6%B8%85%E9%BA%BB%E5%91%82
出典:facebook 公開グループ 『北九州が好き』の投稿より。
https://www.facebook.com/groups/497952177070330/permalink/605717949627085/