去年の7月7日

旦那が入院した日

会話はできていたけど、後から聞いたら入院の日の出来事は一切覚えていなかったと言ってた。

当然だと思う。入院時CRP19。貧血と絶食2日。熱も少しあって言わなかったけど、きっと心窩部痛か辛い不快感が襲っていたんだと思う。

主治医となるDrに今日明日急変した時の延命処置を考えといて下さいと言われ辛かったし、頭が回らなかった。

診察室を出ると旦那は病室にすでに連行されてて、色んな書類を書かされた後、旦那の病室に行ったときには寝ていたのか、辛くて朦朧としてたのか会話があまり出来ず帰宅した記憶。

あのときは初診そうそう延命処置だの、急変するかもだの言われて涙をこらえるのが必死だった

 

旦那が我慢強い事・検診から2ヶ月しかたってなかった事が私の判断を鈍らせて旦那に苦しい思いをさせてしまったことを後悔

 

そしてここから浅ノ川総合病院のK医師のあまりにも無知でやる気の無い対応と、私の判断ミスが始まった。悔しい

 

最近おさまってきてた涙が復活してきてる。

 

私自身もう生きるのが限界なのかも

 

遺言書は書いた。あとはもう少し身辺の物の整理と、彼が残してくれた家を売れる状況にするだけ。

 

いつもなら日曜日は旦那とどっかの食べ放題に外食に行って、楽しんでいたのに…

お骨の前にお供えをどれだけしても空しくなるだけ

 

眠剤を飲んだんだけど結局眠れず、もう30時間は起きてるのかな

 

旦那とまた一緒に外食したり、旦那のお腹の上で眠ったり、手を繋いで歩きたい