司馬遼太郎の坂の上の雲を見た。旅順口攻防戦、203高地奪取の戦いのシーンを視ていて、ふと与謝野晶子の詩を思いうかべた。


君死にたまふことなかれ


ああをとうとよ、君を泣く

君死にたまふことなかれ、

末に生まれし君なれば

親のなさけはまさりしも、

親は刃(やいば)をにぎらせて

人を殺せとをしへしや、

人を殺して死ねよとて

二十四までをそだてしや。


堺の街のあきびとの

旧家をほこるあるじにて

親の名を継ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ、

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家のおきてになかりけり。


君死にたまふことなかれ、

すめらみことは、戦ひに

おほみづからは出でまさね、

かたみに人の血を流し、

獣(けもの)の道に死ねよとは、

死ぬるを人のほまれとは、

大みこころの深ければ

もとよりいかで思(おぼ)されむ。


ああをとうとよ、戦ひに

君死にたまふことなかれ、

すぎにし秋を父ぎみに

おくれたまへる母ぎみは、

なげきの中に、いたましく

わが子を召され、家を守(も)り、

安(やす)しと聞ける大御代(おおみよ)も

母のしら髪はまさりぬる。


暖簾(のれん)のかげに伏して泣く

あえかにわかき新妻を、

君わするるや、思へるや、

十月(とつき)も添はでわかれたる

少女(おとめ)ごころを思ひみよ、

この世ひとりの君ならで

ああまた誰をたのふべき、

君死にたまふことなかれ。


旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて:与謝野晶子




























いろいろな人生訓について読み漁ったが、結局手元に残り、事あるごとに開いたのは佐藤一斎の言志四録だった。



私が言志四録に興味を持つきっかけとなったのは埼玉銀行(現りそな銀行)元専務の井原隆一氏の「言志四録を読む」…プレジデント社を読んでから、というよりも14歳で給仕として銀行に入行し役員まで這い上がった井原隆一氏の生き方に傾倒したためかもしれない。

因みに言志四録については

講談社学術文庫川上正光氏訳「言志四録」全四巻がベーシックであり

他にも

明徳出版社山田準氏著「言志録講話」

文化書房博文社田中佩刀氏編「訓読佐藤一斎選集」

など少し重いものもあるが、手ごろで分かりやすいのは

三笠書房の坂井昌彦氏訳、「佐藤一斎 人の上に立つ人の勉強」が良いだろう。
種をばらせば、佐藤一斎に関する私のブログはこの本からの引用がほとんど。


閑想客感(かんそうかくかん)は、志の立たざるに由る。

一志すでに立ちなば、百邪退聴せん。

これを清泉湧出すれば、

旁水(ぼうすい)の渾入(こんにゅう)するを得ざるに譬(たと)う。

(言志後録一八条)


取るに足らないことを考えたり、外の雑音に惑わされるのは、志が確立していないからである。

一つの志がしっかりと確立していれば、あらゆる雑念は雲散霧消する。

これはちょうど、清らかな泉の水が湧き出ると、外からの余計な水が入り込めないようなものである。


「青雲の志」といった言葉は死語になってしまったのだろうか。
ゆとり教育は我武者羅になって働くことを格好がわるいと追いやり、努力もしない口先ばかりの人間を造りだしているのではないだろうか。

私たちの両親の時代、貧しかったがそれぞれが明るい明日を信じて働いていた。
我家の場合は「教育が明日を切り開く」の考えのもとで父も私たちも頑張った。

頭の良し悪しは問題ではない、日々勉強しようという姿勢を持つことが大切。

努力すれば報われる、少なくとも報われるチャンスを得ることが出来、なによりも自立することができる。

一例をあげれば、生活保護受給者のなかには真に必要とされている人の他に多くの不正受給者がいる。

義父は長いこと民生委員をしていたが、不正受給者の多さに民生委員を止めてしまった。

他人の好意を食い物にするこういう輩こそ、見方を変えれば、ゆとり教育の被害者ではないか。