㊻千葉県の公教育はオワコン?

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

千の葉の先生たちの一歩目【千葉県教員採用プロモーション動画】

 千葉県公式PRチャンネル 2025/01/15 8:57

 この動画の薄気味悪さに辟易するのは私だけだろうか。教師不足に対応するために教職の魅力を分かりやすく動画で発信する、というコンセプトは多少ともその意図を含めて分からなくはない。が、やはり現役の教師たちが徐々に募らせてきた学校教育への不安や不満、苦悩とまったく向き合おうとしない県教委の、相も変わらぬ無責任で厚顔無恥な姿勢ばかりが目立つ動画…などと感じてしまうのは、はたして私のヒガミ根性が過ぎるのだろうか。

 これらの動画を視聴していると、なぜ今、教師不足が生じているのか、その原因について県や市(千葉市も同様な動画を発信している)がまともな分析をしているようには到底思えない。そもそも現状として、今の若者たちに教職の魅力が広く理解されていない…などとはどうみても思えないはずである。

 多くの教師たちはこれまでも児童生徒の力になろうとして悪条件の下でそれなりに奮闘してきたはずである。それを10年以上の長期間、児童生徒の立場で教師のすぐ傍から見て育ってきた今の若者たちは、当然のことながら教職の魅力、やりがいについてそれなりの理解を持っている。そうでなければ児童生徒の将来就きたい職業の上位に長期間にわたって教師が登場し続けるわけがない。

 明らかに教師不足の問題は若者たちの教職のやりがいへの無理解、無知にあるのではない。したがってこの程度の薄いつくりの動画で既に分かり切ったことを敢えてプロに依頼して動画編集を重ねても、教員志望者数を増やす面での効果はほとんど期待できまい。いや、これはむしろ美辞麗句を連ねたブラック企業の新入社員募集広告に酷似する、詐欺まがいの怪しさすら漂っている。一言でいえばまさに前途有望な若者たちをたぶらかす、悪質な詐欺広告に過ぎまい。

 どうやら動画に実名で登場する二人の新人教師たちは自分たちの勤務校までネット上に晒されている恐ろしさにまだ気づいていないようだ。初任なので彼らがその恐ろしさに気付けないのはある程度仕方ないのだが、そうした彼らの無知さと立場の弱さに付け込み、ただの詐欺まがいの広告に利用する教育委員会の狡猾さには怒りしか覚えない。

 管理主義教育先進地で悪名高い千葉県のことである。数年後、彼らは厳しい労働環境に耐えかねて早くも休職や退職に追い詰められているのかもしれない。いや、さほど遠くない将来、彼らが自分たちの動画を一刻も早くネット上から削除して欲しいと願う日さえ来るかもしれない。

 なぜならば小学校に赴任した女性教師は初任であるにもかかわらず、いきなりクラス担任を任されている。初任者研修の厳しさからすればこれは決して好ましくない人事であり、初任をいきなりクラス担任に据えることは本来、学校として極めてみっともない人事であるし、決して世間に晒してはならないはずの異常で残念な事態であるべきだろう。公にされたら恥ずかしいレベルの人事が千葉県の場合、平然とネット上でさも自慢げに晒されている…これは残念極まるこのような異常な人事がこの地では既に常態化している証拠なのである。こうした「恥知らず」の人事が横行しているのは間違いなく木更津市だけではあるまい。

 そして男性の高校教師の方は県内でも有名な教育困難校に、可哀そうにも初任で赴任している。こうした初任教師に対する慎重な配慮の欠片も見られない人事は、ベテラン教師が異動先として嫌がる困難校での人手不足を無理やり補うべく千葉県でも古くから常套手段と化していた。これもまたどんな赴任先でも「ノー」とは言えない初任者の弱い立場に付け込んだ卑劣な人事というほかない。ところがこれも常態化してしまっているがゆえにその異常さ、卑劣さに県の誰もが気付けていない。

 非常識な異常事態を常識的人事であるかのように押し付けてくる、恐ろしい教育風土が千葉県には根深くかつ幅広くこびりついているのだ。そしてそうした残念な人事が千葉県の公立高校では一切の反省すらされないまま、いまだに横行している…という極めて情けない実状を千葉県自ら「恥知らず」にもネットを通じて堂々と全国に晒しているわけである。あまりの厚顔無恥さに呆然とする他あるまい。

 千葉県や各市町村が学校の実情をどこまで直視し、学校のブラック化にどう対処していくつもりなのか…学校の労働環境の改善目標をいくつか的確に明示し、どのような見通し、スケジュールを持って事態の改善にどの程度まで真剣に取り組もうとしているのか…こうした事を赤裸々に開示し、一見キラキラした教職の魅力の裏側に隠された学校のブラックな実情への改善への道のりを教員志望者に対してしっかりと示していく…この事こそ、今の若者が教育委員会に対して真に求めている情報であると思うのだが、いかがだろう。

 こんなゴマカシ動画が今もまかり通ると信じている教育委員会の方々、若者を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

参考記事

公立高のバリアフリー格差、調べた千葉の高校生「こんなに違うなんて」 エレベー

    ター設置率が東京と段違い 東京新聞 2025.7.6

 東京都立高・中等教育学校は85.9%、埼玉県立高の設置率は29.1%、神奈川県立高・中等教育学校は32.4%、千葉県立高では14.8%らしい。…東京と3県との格差について、千葉県教委の担当者は「財政的な違いではないか」と推測。2028年度までに設置率40%を目指し、車いすの生徒がいる学校への優先設置や、初期費用を抑えられるリース方式で導入を進める…らしい。

 千葉県教委の担当者のおとぼけぶりには怒りを覚える。「財政的な違い」だけで埼玉の29.1%と千葉の14.8%、すなわち倍近くの格差をはたして説明できるのだろうか。県教委においては財政的格差以上にバリアフリーへの意欲に格差があったに違いない。相変わらず上辺だけ改革するふりをして、その実、面倒なことは学校現場に丸投げして平気な千葉の公教育の伝統が見事にこの格差に表れている、と思うが、いかがか。

    他の46道府県と最初からケタ違いに財政状況の違う東京都なんかと比べるよりも、財政規模にさほど大差ない埼玉との格差「2倍」にここは注目したい。財政の問題にすり替えてバリアフリー実現を埼玉よりも「2倍」サボり続けてきた、厚顔無恥で責任逃ればかりの千葉県教委こそが公教育における差別残存の黒幕である。

千葉県の小学教員倍率、平成以降最低1・5倍…欠員補充できない「未配置」など

    教員不足深刻化 読売新聞 2025.6.28

 都道府県によってはわずかながら試験倍率引き上げに成功したところもある。なぜ千葉県での倍率が上がらないのか、その理由はあまりにも単純であり、今更繰り返すまでも無いが、念のため最大のポイントだけ指摘しておこう。

    明確なレベルでの教員の負担軽減こそが第一の決め手である。初任にいきなりクラス担任を任せるような、思いやりの欠片も無い人事を千葉県は続けておきながら、大学生の「青田刈り」や試験のハードルを下げることで教員採用試験の倍率を上げようとすることがどれほど卑劣なイカサマに過ぎないか…そんな事は大学生でも自明のことだ。学生たちを馬鹿にするのもいい加減にしろ!

教員の病気離職者が、21世紀に入って右肩上がりに急増している

    ニューズウィーク日本版 舞田敏彦(教育社会学者) 2025.6.25

    ここ最近の若い教員の病気離職者の急増ぶりに注目したい。特に20代の病気離職者率は2000年度にくらべて2021年度は何と11倍を超える上昇を見せている。現在の大学生の教員志望者数減少と併せて考えれば、これはかなりの危機的状況と言って良いだろう。ただでさえ千葉県を含めて多くの都道府県では学校の中核となるべき40代後半から50代前半の教員数が相対的に少なく、かつ過去に大量に採用された60代の教師がここ数年の間に続々と退職してきている。この急速に拡大してきた教員不足の大穴を一体、誰がどう埋めるのか。

    穴を埋めるべく、若手をいきなり主任等に任命するといった、極めて安易で乱暴な校内人事はその副作用として若手教員の病気離職者を急激に増やしてきた…と私は考える。したがって今後、同じ轍を踏むことは許されまい。

 教師の数をすぐに増やすことはできない、若手で穴を埋めることもできない…となれば教師の仕事をできるだけ迅速にかつ大胆に削減するほかに手はないだろう。こんな状況で教員の給与をわずかばかり引き上げたところで、仕事の大幅な削減が進まぬ限り、何の効果も期待できないのは火を見るより明らか。今、文科省や千葉県教育委員会に、教員負担削減策断行に向けての決死の覚悟が求められている。

女子生徒に訪問看護師が付き添えるよう「検討する」 高校での利用断った千葉県教

    委、ガイドライン見直しへ 東京新聞 2025.4.17

    特別な医療的処置を必要とする生徒や日常的な介助や配慮を要するような障がいを持つ生徒の入学を認める方向で国家は今、全国の普通科公立高校にしっかりと働きかけているのだろうか…何はともあれ、相変わらずやる気のない千葉県教委はひたすらサボルことしか考えていないようだ。たかだか一人の訪問看護師の派遣すら文科省から言われるまでは検討すらしない。そのようなレベルの県教委に新しい取り組みを期待する方が間違っているのだろう。

 他方で教師の総意を無視して校長の独断で障害を持つ生徒の入学を続々と許可し、何らの人的サポートもロクにしないまま、担当の教師たちに丸投げする、無責任極まる校長の得点稼ぎを黙認してきた県教委…こんな矛盾だらけの無気力な組織にまともな事ができるとは思えまい。

「教員不足にオール教委で」杉野可愛・千葉県新教育長が抱負

   産経新聞 2025.4.2

 「教員の成り手不足対応や教育現場の働き方改革にはオール教委として、全力で取り組みたい。特に、県立高校を強化し、魅力ある高校にすることは優先課題だ。やれることは全てやる覚悟だ」と強調したらしいが、この発言にはどうにも不安しか感じない。特に太字の部分はむしろ恐ろしささえ、感じてしまう。「県立高校を強化」することが結果的には教師の労働強化、管理強化…すなわち学校のブラック化に直結しやしないか。この方の言う「教育現場の働き方改革」とは、実は県立高校のブラック化を一層推進することなのではないか。

 「無償化で県立高校が衰退し、逆に選択肢を減らすことにならないよう県立高校も引き続き、私立と変わらず魅力的な選択肢としてあり続けられるように力を入れて取り組む」とも語ったという。この方、本当に大丈夫だろうか。余計に心配を募らせる発言でしかあるまい。高校の無償化によって大阪府や東京都の様に公立高校が衰退してしまうのはもはや必然的ではないのか。他と違って千葉県だけがなぜ公立高校の衰退を免れると思えるのか、その根拠をぜひ具体的に示していただきたい。

 そもそも公立高校の魅力を一体、誰がここまで貶めてきたのだろうか。もしかすると教師たちにすべて責任転嫁するつもりだろうか。真っ先に「改革」されるべきは文科省であり、県教委の方ではなかったか…正直言ってこの方の発言、あまりにも無邪気過ぎて不安と恐怖しか覚えない。

   千葉県に限らず、まず看過できない悪性の症状として挙げられるのが各学校での正規教員の不足であろう。これに休職者や中途退職者数の増加も加わり、一人一人の教師にかかる負担は重くなる一方…という学校が特に義務教育中心に増えてきている。さらに教師志望者の減少も教員不足と学校のブラック化という事態の悪化を加速させているに違いない。しかも教員不足がさらなる休職者や退職者の増加につながるという、恐ろしい悪循環が生まれてきている現場もあるようだ。

 なお、教師不足の一因としては景気回復傾向がもたらした民間企業への就職志向の高まりに伴う若者の公務員離れが考えられなくもないが、それは主因というほどのものではあるまい。最大の原因と考えられるのは教育行政の画一的管理主義の息苦しさに加えて、止まることの無い仕事量の増大による学校のブラック化であり、それらがもたらした若者の教職離れであると考える。

 残業手当や休日手当がつかない部活動指導の過熱化、数が多過ぎる上にそれぞれが過重な負担となっている学校行事、不登校やイジメの多発とそれに伴う保護者対応の増加、新教科・科目の設置などによる仕事の量と難易度の上昇、説明責任を果たすためだけの記録作成等のアリバイ作り(管理職や教育委員会への報告書、提出書類の増加が顕著でその多くは煩雑かつ形式的なものに過ぎず、教師の力量を向上させることにはほとんどつながらない。つまりほとんどがブルシットジョブ)の増加、教育行政による教員への過剰な統制・管理強化がもたらす心身両面への重圧(教師の創意工夫を挫く無意味な官製研修の増加、授業内容・方法への過剰な介入等)、残業時間短縮による持ち帰り仕事の増大、年齢構成の偏りや管理職の能力不足による職務分担の不均衡、進路の多様化による進路指導の煩雑さ、職員会議の形骸化や教職の階層化などによる職員集団の分断と対立、教師の社会的地位の低下、管理職のパワハラや教師間のイジメの横行等々、数え上げればきりがない。

 こうした事態に対して文科省や都道府県教委は上辺だけの対症療法、その場しのぎの誤魔化しをひたすら繰り返してきた。教育行政による対応を医療行為になぞらえれば、高熱を発した患者に漫然と解熱剤を処方するだけの藪医者のようなものである。

医者の職務は本来、高熱の原因を様々な検査結果から割り出していき、症状を抑えるだけではなく、症状の主な原因となっている病気などを治療対象としていくべきであろう。しかし文科省、都道府県教委は教員不足という症状に対して、揃いもそろって教職の魅力をアピールし、採用試験回数を増やしたり、日程を早めたりして採用試験のハードルを下げることに専念してきた。

 もちろん文科省が「働き方改革」を推進して部活動の地域移行と残業時間の短縮を通じて学校のブラック化を押しとどめようとしているのも事実ではある。が、「持ち帰り残業」の問題などを見ると、学校現場ではさほどの効果をまだ実感できていないのではあるまいか。

 なぜ教職の魅力が低下してきたのか、教員が不足してきたのか、その原因には高熱の原因と同様、様々な要因が考えられるに違いない。ただ兎にも角にも教育行政側の最大の過ちは、その原因が自分たちにも少なからず存在する、という自覚を決定的に欠いてきた点であると思うが、いかがか。不登校の増加やイジメ事件の隠蔽、教員の不祥事の多発、教師の疲弊、授業における児童生徒の落ちこぼれ、吹きこぼれ…どれをとっても教育行政の過ち、不備に淵源する側面が大いにあるだろう。そのことの反省と改善を抜きに、ただ教師のやりがいと就職しやすさを追求しても、若者は二度と騙されないに決まっているのだ。

「部活も修学旅行も運動会も生徒会も廃止せよ!」教員の負担軽減で、学校が“AI

   教師に乗っ取られる未来   ダイヤモンド・オンライン 鈴木大裕 2025.3.17

   鈴木氏の考えをどう捉えるかで、学校教育の方向性はおそらく決定的に変わってしまうだろう。そうした点でこの記事には慎重な議論が必要である。

 個人的には「部活も修学旅行も運動会も生徒会も廃止せよ!」という発想がすっかりブラック化した日本の学校を立て直すにはどうしても必要不可欠だと考える。ただし生徒会は無くしてはなるまい…が、他の三つは今後、学校の業務としてはほぼほぼ不要である思うが、いかがか。

   この判断は日本の学校の現状をどう捉えるのか、学校教師は一体、何をなすべきなのか、学校は一体、どこまでの任務を担うべきなのか、をめぐる考え方によって決定的に違ってくるだろう。すなわち、鈴木氏の認識と私の認識とは以上の観点においておそらく決定的に異なっているのだと感じている。

 まず、鈴木氏も私も日本の教師たちがあまりにも多くの職務を背負い、極めて疲弊してきていると認識している点では一定程度、共通している。しかし鈴木氏と私とではこの状況がどれほど切迫し、もはや一刻を争うレベルに達しているのか、それとも多少のゆとりが残されているのか、といった切迫感において大きな差があるのではあるまいか。

 問題解決のために時間をたっぷりとかけても大丈夫なまでに、教師たちに余力が残っていると見れば、鈴木氏の考えに一理あるかもしれない。しかし私は教師たちに残されている時間的、精神的、体力的余裕はもはや底をついてきていると感じている。

   もちろん各教師が直面している状況には個人差、学校差、地域差が大きく、必ずしも一概には言えないだろうが、教職志望者の不足、中途退職や休職の状況などから見て、教師の働き方改革は既に一刻の猶予も許さない状況だろう。まずは部活動という教師たちの休日や放課後の時間を奪う最大の重荷こそ、一刻も早く取り去るべきであると私は考える。

   しかしそれは教師たちにただ楽をさせたい、という事ではない。かつてOECDの調査で指摘された、日本の教師たちの授業準備にかける時間の少なさはいまだに大問題である。この問題を部活動の廃止によって解消させ、より一層授業の充実を図り、授業という教職の本務におけるやりがいや達成感をもう一度教師たちに取り戻すことが最も緊急を要する大切な取り組みではないのか。

   もちろん部活動の持つ教育的意義は決して小さくはない。したがって児童生徒は学校外で部活動の体験を続ける事が必要だ。そのための施策は公民館の利用や統廃合されて使われなくなった学校の施設の再利用、民間施設の利用などが考えられる。

 指導者の不足は最終的に高校での体育や芸術といった教科を廃止して一日の授業時間を4~5時限に減らし、体育科や芸術科の教師たちを指導者に回すなどで補うしかあるまい。つまり部活動は鈴木氏が指摘するように誰かが大きな犠牲を払わなければ成り立たない業務である。だからこそ私は部活動を現状において今の学校教師が背負いきれる業務ではないと判断している。

 もちろん上に挙げた対策には法制度の改正などに時間を要するので、これまでと同様、当面は徐々に部活動を地域に移行していくしかないが、地域によっては受け皿の不足が生じてしまうのは不可避である。当分の間、学校、教師たちが請け負う部分は出てしまうだろう。また部活動の種目によっては多少、削減されてしまうのも仕方ないだろう。とは言え、今、何よりも優先されるのは目に見えるレベルでの教師たちの負担軽減であり、それを最優先すべきであると私は考える。

 教職志望者の減少と現職教員の減少、とりわけ正規教員の減少とが同時進行している現状は間違いなく、学校教育の崩壊を一気に加速する。今、まさに一刻を争う緊急事態であると私は認識している。たとえそれが児童生徒に極めて必要であり、成長するために役立つ業務といえども、その業務従事者自体が今後、致命的に不足してしまっては元も子もないのだ。

 さらに決定的な問題は日本の教員養成制度と教員採用制度、および管理職の登用制度にあると私は考えている。日本の大学における教員養成教育の実態は必ずしも学校現場で生じている各種問題や学校現場で要請される各種課題に向き合えるに十分な内容ではない、というのが私の考えである。もちろんこれには大学間格差が大きな問題として存在している。が、そもそも日本の教員養成教育の在り方自体に制度設計上の大きな欠陥があると私は捉えてきた。教員採用や管理職登用を含めたこの問題は別の箇所である程度論じているので、ここでは問題の所在を指摘するにとどめる。

 修学旅行や遠足、運動会、文化祭などの学校行事については当分の間、その多くを廃止すべきだろう。また入学式、卒業式なども簡素化すべきだと考える。もちろんそれらが児童生徒の成長にとって極めて重要であることは疑いようもない。しかし文科省がいつまでも迷走を繰り返し、グズグズしている内に事態はとうとう「ここまで」切迫してしまった。もはや「背に腹は代えられない」のだ。

 これまでのように文科省の失敗をひたすら学校現場に責任転嫁するのはもうやめていただきたい。「ここまで」事態を甘く見て問題をこじらせてしまった政府、とりわけ文科省の責任は「万死に値する」ほど重い。今、財務省解体を求めるデモが発生しているが、文科省もぜひ解体していただきたい…というのが疲弊しきった日本の教師たちの、現時点における偽らざる思いではないのか。

千葉県、教員の勤務実態調査…月45時間超過勤務は約3割に減

   リシード 2025.3.11

   千葉県教委がまたいい加減な調査で千葉県での働き方改革の推進を自画自賛しようとしている。校長や教頭が先頭となって教職員に勤務時間の過少申告を強いているような状況で、この調査結果を一体、誰が信用できるというのだろうか。冗談もいい加減にしてほしい。どうせ校内での勤務時間を減らしてわずかばかりの光熱費の削減を狙うのが県の本当の目的であろう。

 働き方改革の本丸は仕事量の削減であって、表面的な勤務時間の削減では無い。仕事量の削減を伴わない校内勤務時間の削減はひたすら残業の自宅持ち帰りを増やすだけである。自宅での勤務時間は一切、調査されないだろうし、勤務時間としてまったくカウントされないのだ。一体、いつまで教師たちと世間を欺くつもりなのだろう。

 こうした各県教委からのデタラメだらけの情報を基に文科省が政策を決めてしまうから、いつまでたっても本当の働き方改革は進まないのだ。しかもあろうことか、これから千葉県教委は教師の意識改革を進めていくという。

 まるで教師の働き過ぎはあくまで教師たちが自分たちの好き勝手放題に行っている結果だと言わんばかりの物言いではないか。どうやら残業時間の多さの責任はもっぱら教師たちの間違った心構えにあるらしい。

 千葉県では「やりがい搾取」と揶揄されたことへの振り返りは一度も行われてこなかったようだ。つまりは「やりがい」を勝手に感じて、勝手に残業してきた教師たちこそが一番の悪者と考えているのだ。その傍らで教員志望者には教員のやりがいを宣伝するというのだから呆れる。若者や教員を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

「中学生の娘が先生から無視されて…」教師からのいじめ被害に「学校に訴えると

   隠蔽されるかもしれない」と考える親の不安 どこに相談すればよいのか、弁護士

   が解説 マネーポストWEB 2025.2.27

   「学校に訴えると隠蔽されるかもしれない」という保護者の不安は、過去の学校における隠蔽事件の数々を思い返せば素直に同感せざるを得ない。すっかりブラックボックス化した現在の学校社会を保護者や児童生徒が下手に信用してしまうと、どんな災いが身に及ぶか、あらかじめ想像しておいた方が良いだろう。

 もはや日本の学校はこれまでのような無防備さで子どもたちが安全、安心に通学できるほど、牧歌的な世界ではなくなっている。

東京都立高の一般入試スタート 全日制の倍率は過去最低1・29倍 無償化が影響か 

   産経新聞 2025.2.21

   大方の予想通り、東京都も大阪府と同様、公立高校の入試倍率が低下している。しかし、それ自体は高校教育の改善に関してプラスでもマイナスでもないだろう。府立高校や都立高校が多少、統廃合されたとしても高校教育の改善には必ずしも結びつかない。問題は教科書検定制度と共通テストによる授業内容の過剰な画一化や統制強化、教育行政の過剰な管理主義化、知識偏重主義の横行、一斉講義形式の蔓延、肥大化するばかりの学校業務、大学での教員養成教育の遅れ、旧態依然の教員採用試験と管理職登用試験、各高校における不公平な校内人事…などなど数多ある。

   これら、山積する難題を学校間や教師間の新自由主義的競争、単純な市場原理だけで解決できるわけがあるまい。法制度の大幅な見直しを前提とする、1980年代の臨時教育審議会並みの、腰を据えた本格的で中長期的な展望に立った議論が、今後は避けて通れない、と考えるべきだと思うのだが、いかがか。

高校無償化巡り、教育の質の重要性を石破首相強調「卒業証書さえもらえばよいと

   いうものではない」 読売新聞 2025.2.26

県立高校一般入試、最終倍率は0.82倍 志願者は3159人 朝日新聞社 2025.2.26

   県立の全日制普通科高校の受験倍率が県単位で平均1倍を割り込んだのは宮崎県だけではない。富山県では史上初めて0.99倍となっている。高校教育全体の無償化が検討されている中で、公立から私学へと受験生がかなり流れてきているのだろう。このようなことは大阪府や東京都では以前から表面化していた。当然、これは早くから予想されていた事態である。

   競争原理が働かない上に「金太郎飴」のような没個性の公立を、できるだけ数多く淘汰し、激しい競争を通じて高校教育全体の質を向上させる…こうした維新の会の目論見はいよいよ全国レベルで進んでいくだろう。しかし、長い事、無競争もあって停滞気味の公立高校の没落を今後、加速させていくことが、実際に高校教育全体の質を上げていく…という保証は必ずしもない。私学の教育の質があらゆる面から公立よりも本当に高いのかどうか、は多少、議論の余地があるからだ。もちろん、公立高校の質は全体として決して高いレベルではないが…

  真っ先にここで問われるのは学校教育における「質の良さ」とは一体、何なのか?ということだろう。石破首相が言葉にする「質の良さ」とは具体的に何を意味しているのか、詳細に問うべきである。学校教育を語る際、下手な美辞麗句、抽象的な理念は誤魔化し、誤解、曲解を避ける上でもできるだけ口にすべきではあるまい。

「決まったことが伝達されるだけ」になってしまった学校の「職員会議」。「学校

 運営にかかわりあいたくない」という若い教員も多数派に

 日刊SPA! の意見 2025.1.7

 児童生徒の当事者意識、主権者意識を育む立場の教師たちの間でほとんど所属する学校への当事者意識が見られない点は、学校がガラパゴス化の道を歩み続けてしまう大きな原因の一つであろう。2000年から職員会議は校長の仕事をサポートすることと位置付けられた。これは確かに大きな変化を職場にもたらしてしまった。この結果、職員会議で多数決を取る場面がなくなり、職員の意向を無視して校長の独断が横行するようになったのは千葉県だけではあるまい。

 個人的にはかつて企画委員会のメンバーになったことがあるが、その企画委員会ですら、校長らの諮問機関に成り下がっている学校は少なくないのではあるまいか。意見は言えても結論は校長任せ…これで当事者意識が生まれるわけがあるまい。

 こうした結果、様々な問題を抱えて学校が定員割れを起こし、地域住民の信頼をすっかり失っている状況であっても、教師たちの多くは「外れくじを引いた」とばかりに他校への転勤希望を出すだけとなる。自分たちが学校を改善しようとする意欲は近年、ほとんど見られなくなっている。むしろ下手に意見を言えば、多くの学校では「あいつはきっと管理職を目指している」と後ろ指を指されるのがオチである。

 千葉県の公立高校受験の志願状況などをみると新学年2クラス、新入生80人の募集なのに20人台の志願者しか集まらない高校が複数、存在している。つまり1クラス分すら集まらない、大規模な定員割れが生じている。確かに少子高齢化の中で過疎地の学校は非常な苦戦を強いられている。しかし中には比較的、都市部に近い立地にありながら、20年余りも危機的な状況に置かれている高校がある。そこでは少子高齢化を定員割れの口実にするわけにはいくまい。あきらかに学校経営の失敗がその高校には見られるはずである。

 かつてはそうした教育困難校でも危機感を持った管理職や教師たちが中心となり、どうすれば少しでも志願者を増やせるのか、学校の荒れを沈静化できるのかについて各種会議で白熱した議論を続けていた。私も20年近く前に学校改善委員会を組織して教師や生徒たちを対象にした質問紙調査を行い、その結果を踏まえた改善案を職員会議で幾度か示した経験がある。こうした動きは当時、どの学校でもごく自然発生的に見られていたはずである。

 しかし、今や誰もが普段は押し黙ったまま、大して文句も言わずにただその時期がくると転勤希望を出し続ける。管理職側も、定員割れに対して何ら責任を問われることが無いため、定員割れはいつまでたっても放置されたまま。他方で自分の管理責任が問われてしまう教師の不祥事を管理職は極度に恐れている。結果的に厳しく教師たちを隅々まで管理しようとしているのが多くの管理職の実態である。

 こんな状況で学校現場から改革に向けてのインセンティブが生まれるわけはあるまい。児童生徒の当事者意識の薄さを問う前に、教師たちの学校運営者としての当事者意識を高めていく工夫とは一体何なのか、文科省はぜひ熟考すべきだろう。

【高校受験2025】千葉県公立高、一般選抜の志願状況(確定)東葛飾2.05倍

 リセマム 2025.2.14

 千葉県内の全日制普通科の公立高校で志願倍率が0.5を切る高校が6校、0.3を切る高校が2校あった。これらの高校の中には深刻な少子高齢化、過疎化が進んでいてそもそも学区内の中学生の数が激減している地域に立地する学校が少なくない。他方でそれほど人口減少に直面している地域の学校ではないのに、大きく定員割れを起こしている学校もある。

 ただ、いずれにせよ、大幅に定員割れを起こしている高校が、かなり以前から定員割れを起こし続けてきた学校であることに変わりはない。そして大幅な定員割れは出来れば避けたい現象であり、避けるべき現象でもある。ではなぜ、同じ高校で大幅な定員割れが何度も繰り返しされてきたのか、が疑問となるだろう。

 どの高校がどれほどの志願者を集められるのかについての予想は素人でも決して難しくはない。ここ数年の志願者状況と学区内の中学卒業予定者数の予測を見れば、およその予想は出来るだろう。20人台の志願者しか集められなかった2校もそうなること位、当該校の教師たちのほとんどはあらかじめ察しが付いていたはずである。問題は、定員割れの予想がついていたにもかかわらず、当該校ではなぜ一学年のクラス数をあらかじめ一クラス減らしておかなかったのか…という点にある。

 この点について、生徒たちに考えさせ、議論させると面白い授業になるだろう。

千葉県教委が高校入試を改善 調査書の記載内容簡素化、国語の聞き取り問題廃止へ

 産経新聞 2024.12.18

   ようやく調査書の記載内容の簡素化が実現した。これで中学校、高校共に、わずかながらではあるが、入試の際の負担は軽減するだろう。国語の聞き取り問題も放送のチェックや難聴者、周囲の騒音への対応に多少の困難が生じていた。

   しばらく前の千葉県高校入試における採点ミスの大量発生事件への反省が少しはあったのだろう。あまりにも遅過ぎたきらいはあるが、一つの前進として評価したい。

高2が東京都知事選で考えた 「投票しなければ、何も変わらない」 柏・東葛飾高で

 主権者教育 東京新聞 2024.7.6

 制服が無く、リベラルアーツといったユニークな授業で知られる同校での試みは、ヨーロッパからすれば何一つ新しさを感じないレベルのものだが、古臭い教育がはびこる千葉県では極めて先進的に映る。私自身、同校のリベラルアーツの授業に幾度か参加してきたが、20年近く前からのこうした試みが他の公立高校に広がることはほとんど見られなかった。子どもの権利条約を知ろうともしない管理職や年配の教師たちが生徒たちに主権者教育などできるわけがない。

 まずは千葉県の公教育の体質を変えなければ「何も変わらない」のだ。

「忙しいはありがたい」? 新採用教員にブラック職場「肯定」冊子 千葉県総合

 教育センター 東京新聞 2023年3月20日

 千葉県の学校教育と教育行政がいかにダメなものかをこれだけ堂々と発信してしまって良いのだろうか?通常はタダで済まされないような暴言に等しい内容であろう。これからの千葉県の学校の大躍進を願うばかりである。

教員未配置が深刻、過去最多の449人 過重勤務・自習授業増

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.30

 千葉県の公教育の土台が予想通りに崩れつつあるようだ。

千葉県公立高の入試採点ミス 7月にも改善策提示 教育長「人為的ミス防止が第一

     の視点」  千葉日報社 によるストーリー 2023.5.20

「デジタル採点導入を」 千葉・公立高入試で有識者会議が提言 

  産経新聞 2023.6.14

【高校受験】千葉県公立高、デジタル採点導入など…採点ミス改善策で提言

  リシード 2023.6.19

 2022年度の千葉県における公立高校での入試採点ミスが98校、933件にも達してしまった件に関して県の教育長は「…各県立高へのアンケートで不注意や解答用紙の様式などが採点ミスの原因として挙げられた」との認識を示し、専門家からなる改善検討会議を設置してその提言に基づく改善を検討していくとのこと。

 しかしながら直近まで高校入試の現場にいた自分としてはなぜもっと早くから改善策がとられなかったのか、不思議でならない。そもそも「解答用紙の様式」と「模範解答の様式」が異なることが採点時のミスを招く、との指摘はかなり昔から存在していたし、アンケートでも繰り返し指摘されてきたはず。ところがこれまでまったく改善されることは無かった。

 加えて入試の前後は3年生の追試、成績処理、卒業式の準備、就職指導などと重なり、3学年に関わる多くの職員は極めて忙しい。殺人的な忙しさに振り回される中での不注意を一体、誰が咎められるのだろう。「入試」は別格の重要な仕事であることなぞ、とっくの昔に承知している。別格の仕事ならばその時期に他の仕事を集中させてはならぬはず。

 採点ミスの責任の一端は教員の多忙化を加速させ、アンケートの結果、すなわち現場からの提言を黙殺してきた県教委にあることは明白だろう。これこそが「人為的ミス」の最たるものなのに、相変わらず自らは反省せず、ミスの責任を現場に転嫁する無責任な弱いもの叩き…いかにも千葉県らしい対応ではある。入試という重大な場面でのこれだけの大失態を招いた責任を本来、真っ先に負うべきは教育長以下、県教委の幹部たちであるはず。ならば教育長が率先して引責辞任をしてみせてから現場への指導を行うのがスジではないのか。

 とはいえ高校入試の受験者数が年々、減少の一途をたどり、採点すべき答案の枚数は以前よりかなり減ってきているはず。しかも千葉県では年2回の入試が1回に軽減されたばかりの段階であるにも拘わらず、ミスがこれだけ多い…となると、この件がはらむ問題は意外に根深く、相当に深刻なのでは。

 おそらく採点ミスの件数は実際には数千件に達しているものと考えてよい。近年、生徒や保護者から自分の入試答案の開示請求が多くなり、開示請求で採点ミスが発覚してしまうという悩ましい案件が生じてきていた。こうした事態にようやく重い腰をあげた県教委が本格的に抽出答案(実際の答案枚数のほぼ1割に相当する答案で、毎回、各高校から県教委に提出されている)のチェックを行ってみたところ、今回の件が不覚にも「発見」された…という事件発覚の経緯が推測される。つまり県教委側も抽出答案のチェックがこれまで不十分だった可能性を指摘できるだろう。

 とすればもはやミス多発の原因を単なる教員の過労や県教委の怠慢…といった分かりやすい要因だけでは十全に説明できないようにさえ感じられるのだ。少なくともそう思えるほどに千葉県の高校教育現場の疲弊ぶり、破綻ぶりは今や切迫してしまっているのではあるまいか。

 では現今の入試採点ミス多発が意味することとは一体何だろう。もしかしたらこれは学校運営の中核たる40代後半から50代前半の教員の異常なまでの少なさと校務全体の複雑化、多忙化などによって千葉県公立高校全体が徐々に自らを教育機関としてまともに運営する力を失い、まさに今、地滑り的崩壊が始まろうとしている…すなわちこれは公教育としての破局的な局面に移行しつつある一つの予兆なのかもしれない。

 現に大学生は「沈もうとする船に乗りたくない」と言わんばかりに教職を忌避するようになっている。教師不足が叫ばれる一方で今や再任用を断る退職予定の教師だって少なくない。一番悲惨なのは職場から長期離脱したり、早期離職に追い込まれる働き盛りの教師が増えていること。加えて生徒たちもまた学校への忌避感が増大し、不登校児童生徒数は増える一方である。これらの問題ばかりは「人為的ミス」という表現でアッサリと説明してしまうことは許されないだろう。

 従って私としてはせっかくの有識者の提言もおそらく時すでに遅し、入試を含めたあらゆる事態の悪化が容赦なく加速度的に同時進行し、視野の狭い部分的改善など現時点に至っては近い将来、何の意味もなさなくなる…と考えるが、いかがか。

異例の196人処分・指導措置 千葉県教委、入試で採点ミス相次ぎ

 毎日新聞 によるストーリー 2023.7.20

 結局はトカゲの尻尾切りである。これで教師の意欲はさらに低下し、千葉県の公立高校における機能不全はさらに進行するだろう。マークシート方式の導入など、採点業務に絞られたミクロな観点からの改善策だけでは高校現場の働きやすさの向上には何一つ、つながるまい。採点ミスが減ったとしても教員採用試験の倍率が上がるわけではない。県の対応は対症療法でただのモグラたたきに過ぎず、今度は別の事件事故が頻発するだけ。

教員の魅力を動画でPR 千葉県教委作成、来月にも公開

  東京新聞 2023年9月10日

 教員採用試験の倍率低下、教員不足に危機感を抱いた文科省と各地の教育委員会は恥も外聞もはばかるこ となく、「青田買い」どころか教職のバーゲンセールまがいの詐欺的商法にまで手を伸ばし始めている。ずいぶんと落ちぶれたものだ。

 さしずめ千葉県の場合はこう言った塩梅ではなかろうか。これまで堅調に売り上げが出ていた人気商品がこのところ何だか少しずつ、売り上げが落ちている。宣伝広告にもっと力を入れればきっと売り上げは回復するに違いあるまい。だって商品の質にはそれなりの自信があるし、老舗としての伝統の力もある、問題はあくまで宣伝不足にある…そこで思い切った新機軸を打ち出そう。そうだ、若者に訴求力のある動画作成を業者に依頼し、商品の魅力を分かりやすく、かつガッツリとアピールしてもらおうではないか…

 しかし本当に商品の品質は保たれてきたのだろうか。肝心のお味の方は時代の流れに取り残されていないだろうか。今どきパッケージだけ飾り立てても胡散臭いだけ…箱の中身は実際、いかがなものだろうか。とっくの昔に賞味期限が切れていないだろうか。どうみても強烈な腐臭が漂っているはずなのだが、なぜ、売り場の誰一人としてそれに気づかないのだろうか。

 そもそも商品が劣化していないか、誰か定期的にきちんとチェックしてきたのだろうか。腐り切った商品を30年以上の歳月と交換に若者へ売り渡し、彼らをたちまち過労死や精神障害に追い込む…こんなブラック企業のような悪徳商法を国と千葉県はいつまで続けるつもりなのだろうか。

 完全なブラックボックスと化している学校の中身は意外なほどに闇が深い。箱の中身が見えにくかったからこそ売れてきただけのインチキ商品に未来ある若者が騙されて手を出してはなるまい。

飲酒、わいせつ、セクハラ…千葉の先生のモラルはどこへ? 懲戒処分、最悪のペー

 ス 産経新聞 2023.12.20

令和5年度の教職員の懲戒、過去最多の52件 千葉県教委 

 産経新聞 2024.3.21

 案の定、千葉県での教員の不祥事が多発してきている。明らかに千葉県の教育界は機能不全に陥っているのであり、その原因は多岐にわたるだろう。しかし最大のポイントは県の教育界の頂点にいるはずの教育長に責任を問う論調がマスコミにおいて皆無であること。

 指導的立場にいる人物が部下たちの不祥事の責任を一切、とろうとしないような組織に自浄能力は一切期待できない、と考えるのが世間の常識であろう。マスコミの機能不全は今に始まったことではないが、やはりマスゴミには今後も一切、期待してはなるまい。

25歳の女性、県立高の教育実習で教員から暴言・暴力を受け「今でもつらい」と

 県を提訴…抑うつ状態で働けず 読売新聞 によるストーリー 2023.11.6

 鍛錬と協調を旨とする抑圧的な精神主義がいまだにはびこる学校ではありがちな事件。また本格的な教員養成教育を受けなくとも高校教師に採用されてしまうシステム上の問題も背後にはあるかもしれない。それに加えて学校現場のブラック化による慢性的なストレスで精神的に追い詰められた教師による感情の暴発、といった要素も十分考えられる。ただ県としてはこうした事件によって教員志望者数がさらに減ってしまうことこそ、避けなければならない事態なのだろうが、いずれにせよ、千葉県の公立高校が抱える問題の深刻さを予感させる事件の一つとして捉えたい。

教員の精神疾患による休職・病休は依然として多く、20代30代で増加:背景になに

 がある? 妹尾 昌俊教育研究家、学校・行政向けアドバイザー

 YAHOO!ニュース JAPAN 2021/12/22(水) 15:00

教員免許の授与数、20万件割れ 「過労死ライン」の労働環境影響か

  朝日新聞社 2022/08/01 06:00

 高校での教員免許授与数が特に激減していることの背景を問いただしたい。文科省は教員免許取得条件の緩和による取得免許数の増大を検討しているようだが、ただの数合わせ、泥縄式の発想に過ぎず、かえって学校現場の混乱を深めるだけであろう。 

 このような短絡的発想しか出来ない教育行政の側こそが最早オワコンなのだとつくづく思う。

精神疾患による休職者増加中、教員の復職支援や学校現場でのメンタル対策の手引

 を文科省作成 読売新聞 2025/06/02 15:00

 教師の負担軽減を進めてきたと文科省は再三、言い訳ばかりしてきたが、現場の負担が決して軽くなってはいないことをこの記事は示しているだろう。

千葉県・市の教員採用、2,037人合格倍率2.24倍

 リシード 2024.9.26

 「千葉県教育委員会は2024年9月24日、2025年度(令和7年度)千葉県・千葉市公立学校教員採用候補者選考の第2次選考合格者を発表した。2次選考の合格者は全校種あわせて2,037人となり、前年度に比べて39人減となった。」とのこと。全体で2.24倍の倍率となるが、小学校に限定すると1.38倍。合格者の辞退、中途退職者、休職者などの発生なども考慮すれば、受験すればほぼ誰でも合格、となるとみて良いだろう。千葉市分を入れると全体で2.4倍、小学校は1.6倍となる。

千葉県・千葉市 志願状況を公表。平均倍率は2.5倍 大学3年次等対象の特別選考

 には1,498名が応募 教員採用試験対策サイトPowered by 時事通信

 出版局採用試験関連 2025.06.12

 千葉市を入れた全体では2.5倍、小学校は1.5倍の倍率となっている。小学校での低倍率問題は依然として改善されていないという残念な現状が読み取れる。

「業務断れず限界まで」「眠るのが怖い」20代教員に心の病増加…過重業務で適

 応障害、自殺も 読売新聞 2022/10/24 05:00

千葉の中学3年の過半数は公立高校志望、でも「学費が同程度なら私立」選ぶが7

 6% 読売新聞 によるストーリー  2023.11.24

 確かに公立高校の改革はすでに手遅れであり、もはや多くの公立高校が時代の急速な進展にまったくついていけなくなっていることは明白だろう。とりわけ千葉県の場合、公教育における制度的、組織的欠陥、束縛の多さや頑迷な保守的体質、予算の圧倒的少なさが教育の改革、改善の足を引っ張る…そうした現象があまりにも目立ち過ぎてはいないだろうか。

 今後は東京都や大阪府のように高校改革の多くを私立校の努力に委ねる方向に動いていくのが多くの民意に沿い、現実的であるように思えるが、いかがだろう。すなわち公教育の民営化を進め、市場原理を導入して高校間での競争を煽ることで時代の変化に即応できる高校教育の実現を目指した方が現在の高校教育の、残念なまでの行き詰まり、閉塞状況を打開するにはどう見ても手っ取り早いように思えるのだ。

 中学生の4分の3以上が私立進学希望であるならば、今後は中学生の進路希望に応えて私立高校の数を増やすとともに私立高校の入学定員を大幅に拡大していくべきだろう。私立における保護者の学費の減免はある程度必要になってくるだろうが、公立高校の予算を削った分をまわすことで相当程度、家計負担の軽減は可能となるはず。そのためには当然、公立高校の職員数の大幅な削減も進める必要はあるだろうが、現今の教員不足がむしろ追い風となっており、文科省や県教委の管理主義的妨害さえ排除できれば公教育の縮小は思いのほか順調に進むのではないか。 

 公教育の大幅な民営化こそ、保護者、児童、生徒の要望にこたえる方途であり、文科省は学習指導要領や学校設置基準等による下らない縛りを緩めてより自由で多様性に満ちた高校教育の実現を推進するためにまずは徹底的な自己変革を行うべきであろう。

 1980年代以降、鉄道や郵政など多くの分野で民営化が進み、その都度、様々な議論を呼んできた。もちろん民営化に大きな犠牲が付きまとってきたのは事実であろう。教育の民営化に反発する人は少なくあるまい。しかし日本の公教育は既に日本の経済力、政治力を酷く毀損させてきているほどに深刻な機能不全に陥っているのではあるまいか。今後、「公」の力に期待できないとすれば民活導入は不可避であろう。それほどに文科省以下、千葉県教委、公立高校の弱体化は深刻であり、公立高校が自身の力だけで悲惨な現状を打破できる可能性は決定的に低いと言わざるをえないほど、厳しい現状があると私は考える。

 したがって千葉県教委はこれまでの公立高校の入学定員を今後は大幅に削減させていき、私立高校に高校教育の主導権を委譲する決断をすべき段階にきていると思うが、いかがだろう。

    昨今のパーティー券販売による裏金問題では関係する自民党所属の閣僚が相次いで辞任している。当然、岸田首相もまた任命責任を厳しく問われることになろう。相変わらず腐敗を極める政界ですら、多少のケジメはとろうとしている。ところが千葉県の教育界では令和4年度の高校入試における採点等のミスが千件近くも発覚するという、未曾有の不祥事を引き起こしてもなお、教育長は自ら責任をとることを一切せず、末端の教員ばかりを処罰するにとどまっていた。そしてたちまち令和5年度の教員による不祥事多発である。

 残念ながら教育次長は何と学校現場に綱紀粛正を求める通達を出すだけで事足れりと考えているようだ。しかも教育委員会として他に出来ることは無い、というみっともないほどの言い訳がましいセリフを残しているという。あまりにも無責任であり、恥知らずであり、無能すぎるのではないのか。この発言は教育困難校で授業中に騒ぎ出した生徒たちに対して「静かにしろ」と切れてみせるしか能の無い問題教師とまったく等しいレベルではないのか。真っ当な教師ならば自分の授業のつまらなさ、分かりにくさを反省して授業をより魅力的にするための努力を重ねていくはずであろう。

 仮に教師が授業中の騒がしさをひたすら学習意欲に欠ける無作法な生徒たちの責任であるとして自身の授業改善に一切取り組まないようなら、校長はその教師を厳しく指導するのが管理職としての当然の責務である。同様に部下の不祥事多発に対して教育長らが綱紀粛正を口先だけで求めても何らの意味が無いどころか、それはむしろ職務放棄に近い愚挙なのである。

 教育長、教育次長らが率先垂範、示してしまったこうした自浄能力の欠片も感じさせない無気力な姿勢はただでさえ問題の山積する千葉県教育界の隅々まで行き渡り、次年度以降のさらなる不祥事多発を呼び込むに違いない。

 一体、県の教育長は何のために存在しているのだろう。よくありがちな文科省の官僚が天下る高給取りの名誉職という、ただの肩書だけの役職に過ぎないならばいっそのこと無くしてしまった方が良いに決まっている。いよいよ兵庫県などに追いつき、追い越せとばかりに学校不祥事多発の県としての悪名を全国に轟かせようと勢いづいてきた千葉県の教育界からは今後、片時も目を離してはなるまい。

副校長・教頭の時間外勤務の多さ浮き彫りに…千葉県調査 リシード 2024.3.22

 これはかなり以前から指摘されてきた事態である。何をいまさら…という感は否めないが、学校の危機的状況の一端ではあり、世間にも周知された方が良いのは確か。

千葉県の7年度教員選考 志願者数と倍率ともに過去最低 見えぬ妙案

 産経新聞 2024/6/26 18:34

 「令和7年度採用の教員選考試験の志願者は計4560人と2年連続で減少し、平成以降で過去最低を更新した。志願倍率も2・4倍で最低」だったらしい。当然の報いであろう。いよいよ千葉県の学校教育は自ら破滅に向かってまっしぐら…傍から見れば誰もが分かるほどに危機的な状況がこれまでも続いてきたのに県教委の対応は相変わらずトンチンカンそのもの。

 …県教委は今後、志願者増のため、「教員免許を持つが、民間企業に勤めるなど教職には就かない『ペーパーティーチャー(先生)』にアプローチしたい」(担当者)として、教職の仕事の魅力発信に力を入れる…というのだから驚き呆れるほかあるまい。教員志望者の減少を「教職の魅力」のアピール不足とする、陳腐な発想があまりにも情けなさすぎる。

 商品の品質が悪いのに誇大広告で買わせようとするが如き詐欺まがいの対策は直ちにやめた方が良いだろう。時間の無駄であるばかりか、それ自体、若者に対する犯罪行為である。進めるべきは見せかけの、偽りだらけの「働き方改革」ではなく、真の意味での「働き方改革」であり、教師が本来の職務の中心におくべき授業準備に専念できるだけの時間的余裕の確保なのだ。すなわち授業準備を除く大幅な職務の削減を抜きにして、一切の対応は意味をなさない。一体、いつまでこの不毛な茶番劇を千葉県教委は続けるつもりなのだろうか。厚顔無恥も甚だしい。

千葉で教員志願者減少 その背景は? 教育現場に余裕なく、ほど遠い理想像

 産経新聞 2024.6.26

 …管理職の男性は、教員志願者が減少する要因を「『ブラック』という現場のイメージが先行し過ぎている。確かに現場の負担は増えているが、『子供たちのために頑張る』という前向きな声があるのも事実だ…という。こうした現実離れした幼稚なレベルの分析しかできない管理職のいる学校に勤めたいと思う若者ははたしてどのくらいいるのだろうか…

 この管理職にとっては「ブラック」はあくまでマスコミが勝手に作り出した悪しき印象操作であり、一部の怠け者の教師たちの被害妄想に過ぎないらしい。この程度の貧弱な認識しか持てない管理職が千葉県には沢山存在している。だからこそ千葉県での教員志願者が減少し続けているのだが、こういう人たちはそれに気付こうとしない。あるいは気付かないふりをしている。

 …北総地域の小学校の40代女性教員は、現状について「児童のために何かしてあげたいと思っても、働き方改革で『早く帰れ』と言われ、報告書作成や保護者対応など最低限の仕事をこなす毎日」と、時間的な余裕のなさを嘆く…と記事にあるように、現状では表面を取り繕うだけの管理職による強制的な「働き方改革」が一層、現場の教師たちを圧迫している側面にも注目すべきだろう。

 一刻も早くブラックな学校の現状を変えていかない限り、教員不足による学校のさらなるブラック化は不可避である。しかしそのことへの認識を欠く管理職の存在が学校をさらなるブラックな世界に陥れている…それこそが千葉県教育界の大きな不幸の源なのだと思うが、いかがか。

若者に「教員になること」勧めたい日本人19%ワースト2位

  リセマム オピニオン 2023.9.22

まじめな教師を休職に追い込む4つの深刻問題 心の不調を抱えながら勤務する先生

 も多い 諸富 祥彦 : 心理カウンセラー    2020/06/16  東洋経済オンライン

文化部もブラック化「本末転倒」な部活動の実態 文化とは、教員とは忘れ去られ

 るその「本分」 2022.3/29(火) 8:02配信 東洋経済education×ICT

「82歳の講師」が教壇に立つ深刻すぎる教員不足 教員の自己犠牲で成り立つ公立学校

 は崩壊寸前 井艸 恵美,野中 大樹 2022/07/19 07:30 東洋経済オンライン

1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を

 持つ教員たち  佐藤明彦 2022/07/30 08:00 東洋経済オンライン

生徒の動画を撮る"問題教師"もクビにならぬ背景 深刻化する「教員不足」の影響が各

 所に 東洋経済オンライン 小林 美希 によるストーリー 2023.9.29

公立校教員の採用試験、数カ月前倒しを検討 成り手不足が深刻

 毎日新聞 2022/10/19 20:15

 こんな小手先の改善では教師のなり手不足の解消など不可能。教員不足への対応があまりにもその場しのぎの「泥縄式」。中には教員免許状も不要とする採用まで登場してきた。まるで教職の大安売り、たたき売りのような状況が各都道府県で一斉に始まったかのようだ。こんな対応で教師の社会的地位は向上するわけもなく、むしろ不祥事の多発を招くに違いない。そしてその尻ぬぐいはまたもや現場の教師に丸投げされるだろう。

 しかしパンドラの箱は開けられてしまった。この悪循環を誰がいつ、どのようにして止められるのか…絶望感だけが募ってくる。もはや公立学校のメルトダウンはまじかに迫っているのか…

参考動画

“良い先生”が、学校を壊す?|元校長・国会議員が語る教育現場のリアル【前編】 

 #7 東修平の対話チャンネル【公式】  2025/04/22  33:56

【問題提起】半径2メートルの教育観を壊せるか|元校長が、教育は宗教”と語

 る理由【後編】#8 東修平の対話チャンネル【公式】 2025/04/25  38:24

 高校教育の改革を主題とした記事や動画はこれまで極めて少なかったと思うが、いかがか。昨今の高校教育無償化を巡る論議によってようやく高校教育への注目度が高まってきたのだろうが、この二つの動画は高校教師にとっては貴重な動画だと考える。

 元高校校長の荒井氏の指摘の中で都道府県立高校の一部を市町村立にして地域社会活性化の核としていく案は極めて興味深い。公民館や小中学校、高校などが一体化して地域社会の核となれれば、部活動の地域社会への移管も進むだろうし、児童生徒の異年齢間の交流も活発化するだろう。また都道府県立高校が抱える均質化、同質化の圧力を低め、各学校の個性化、自由化が進むかもしれない。

 千葉県の公教育を変えていく上で大いに参考となるだろう。