§8.カッパの授業プリント例

1.お金の世界 

 

参考動画

【宇治原が選ぶ】20数年後の紙幣はこの人だ!

 ロザンの楽屋  2024/07/03  15:47

 これは楽しい予想動画で興味深い話題。視聴させる前に生徒たちにあらかじめ予想させておくと盛り上がるだろう。また近代以降、紙幣に選ばれる人物は日本では戦前と戦後に分けてそれぞれどういう経歴、実績の持ち主だったか、戦前と戦後の人物の特徴をまず挙げさせてみたい。特に1984年、2004年の人物をしっかりと振り返らせてから近年の傾向を理解させ、2044年の予想にチャレンジさせることも悪くない。

 宇治原氏が指摘した最近の傾向は着眼点としてとりわけ注目させたいところ。千円札は理系の学者、五千円札は女性の偉人、一万円札は男性の偉人でいずれも近代以降活躍した故人…以上の条件を満たす人物から2044年の新紙幣の人物を選ばせるとかなり候補者数を絞ることが出来る。生徒たちにはそれぞれ予想した理由もいくつか挙げさせてみよう。また人物だけではなく、他に風景や動植物、文化財など、どんなデザインが日本の紙幣に利用できるのか、候補を挙げさせると、日本の観光振興という観点も加わり、さらに話題が広がるだろう。

 

 今回、ご紹介するプリントは20年ほど前に作成したものを多少の修正を加えながら10年ほど前まで授業で利用していたものです。2024年の紙幣改訂の記述さえ加えれば現在もまだ利用できるかと思います。

 ぜひ、遠慮なくご利用ください。

 ※前半は穴埋め無しの元原稿ですので、参考までに載せておきました。後半は実際に授業で利用して

  いたものです。

 

1.貨幣の歴史

 現在のような貨幣が出現する以前は物々交換で必要なものを手に入れていた。やがて農耕牧畜が始まるとその社会で中心的な価値を持つ品が登場し、あらゆるものと交換可能な万能商品のような役割を果たすようになる。このような役割をになう品を現在では物品貨幣という。牧畜を中心とする社会では牛や羊など、農耕を中心とする社会では米や麦などが物品貨幣であった。物品貨幣はそれ自身に使用価値があるため、貨幣と同じ役割を果たすようになったのである。

 しかし物品貨幣にも不便な点があった。長期の保管が難しく、かさばる…などである。そこで西洋では紀元前670年頃、リディア(現在のトルコ)で世界最古といわれる金属貨幣(当時のものは金と銀の合金)が出現した。東洋でもほぼ同じころに中国(春秋戦国時代)で青銅(銅と錫の合金)製の貨幣が出現している。金属貨幣は物品貨幣に比べて使用価値自体は劣るが…

・容量に比して素材価値が高い→コンパクトで持ち運びに便利

・分割化、数量化可能(cf.牛、羊)→価値の計数表示容易に

・腐りにくく摩耗しにくい→長期の利用・保管と価値の蓄積容易に

 といった大きなメリットがあり、現在に至るまで利用され続けている。

 金属貨幣の歴史は東洋と西洋では若干異なっている。西洋ではお互いに依存しあう小国が数多く存在するなかで交易が行われてきた。そうした小国間での取引においては国家の違いを超えて流通できるだけの普遍的な価値が貨幣に備わっていなければならず、必然的に西洋での金属貨幣は金や銀を中心とした貴金属が主体となった。しかし古代中国では金や銀の産出量が少なかったために青銅製の貨幣が主体となった。青銅は金や銀に比べて素材価値はかなり低いため、青銅製の貨幣は低額貨幣とならざるをえず、高額の取引には不向きであった。そのせいか初期の青銅貨幣は価値を持たせるために農耕具や武器、あるいは貝(銅貨出現以前は中国の沿岸部で貨幣の役割を果たしていた)を象っていた。また貨幣経済の発展のためには大量に発行する必要もあったが、幸い古代中国では世界に先駆けて鋳造技術が発達していたため、銅貨を大量にかつ均一に製造することは可能であった(西洋の金属貨幣は当初、打圧製)。とはいえ遠隔地における高額取引に際しては低額貨幣の銅貨の不便さがどうしてもまとわりついていた。この欠点を補うために宋の時代(1023年)、世界で初めての紙幣「交子」が中国で登場したのである。

 紙幣には金属貨幣にはない特色があった。長所としては製造コストが安くつき、発行額も容易に調節可能なため、国家としては景気対策が取りやすいし、財政も補てんしやすい。軽くて持ち運びにも便利である。このため紙幣は通貨の中心に定着する一方で金属貨幣は補助貨幣としての地位に退いていった。しかし紙という素材のために長持ちせず、偽造されやすいという欠点(各国とも通貨偽造の罪は重く、死刑や無期懲役にする国が多い。日本の刑法第148条では「無期または3年以上の懲役」となっている。また現在は紙幣の偽造を防ぐために「ホログラム」などの高度な技術が随所に生かされている)もある。

 とりわけ紙幣の価値の源泉は発行元の信用に基く交換価値だけで、紙自体には使用価値、素材価値はほとんど無い。したがって発行元の信用が揺らいだり、政府の一方的都合で発行高をいたずらに増やしてしまうと紙幣自体の価値も下落し、インフレーションを招いてしまう危険も秘めている。その最悪のケースが第一次世界大戦に負けて天文学的な賠償金を支払うために1923年にドイツで発行された100兆マルク札である(最近では1993年、内戦中の旧ユーゴスラビアで発行された5000億ディナール)。猛烈なインフレーションによって札束はただの紙くずに化してしまい、多くの人々が厳しい生活難に瀕した。

 紙幣のこうした欠点を補うために18世紀以降、イギリスを中心に金本位制が採られていた。金本位制のもとでは兌換紙幣が発行され、紙幣は同価値の金と交換できることで紙幣の価値の安定が図られていた。しかし紙幣の発行高は発行元の金の保有量に制約されるため、おおくの植民地を支配し、金の保有量が十分にあった欧米列強には有利な制度だが当時のドイツや近代国家日本はなかなか金本位制に参入できなかったのである(日本が本格的に金本位制に移行できたのは日清戦争に勝利して金貨による莫大な賠償金を清から入手した1897年のことである)。

 20世紀に入ると自由主義経済の矛盾が噴出し、二度の世界大戦と大規模な世界恐慌を招いた。この過程でイギリス中心の経済体制と揶揄されていた金本位制は崩壊し、次第に国家による景気対策や福祉政策が重視されるようになる(ケインズ革命)なかで管理通貨制度に各国とも移行し始めた。各国の通貨価値の安定は金保有量ではなく、各国政府と中央銀行、さらにはIMFやIBRDなどの国際機関に委ねられるようになったのである。

 

2.お金の現在と未来

①「ユーロ」の出現

 20021月からヨーロッパ12カ国で新しい画期的な通貨「ユーロ」が登場した。ユーロは「ユーロランド」と呼ばれる加盟国内では国境を越えて流通する「欧州の単一通貨」である。ユーロ出現の経緯を概観してみよう。20世紀、ヨーロッパは二度の世界大戦を経験し、痛切にヨーロッパの平和的統合を願うようになった。さらにアメリカや日本の経済的脅威も停滞気味のヨーロッパの団結を強める契機となった。まず1958年、EEC(ヨーロッパ経済共同体)が結成され、経済面での協力体制が整えられていった。1967年にはそれが発展拡充してEC(ヨーロッパ共同体)となり、一層連携を強めた。1989年前後のソ連崩壊と東欧革命を挟んで統合の機運はさらに高まり、1991年のマーストリヒト条約(オランダ)が結ばれた結果、1993年に現在のEU(ヨーロッパ連合)が発足した。こうしてヨーロッパ諸国は連携を強めることで対立を解消し、平和なヨーロッパを実現させるとともに、経済面ではアメリカや日本との競争に有利な立場を築こうとしてきたのである。ユーロの登場はまさにこうしたヨーロッパ統合の歩みの重要な一歩に位置付けられる出来事であった。

 しかし「ユーロ」は決してすんなりと誕生できたわけではない。そもそも各国の通貨のデザインは世界に向けたその国の「象徴」「顔」ともいえるもので、紙幣や硬貨のデザインからその国のお国ぶりや歴史認識をうかがうことができることも多い。EUという歴史的には対立を繰り返してきた国々の統合体がどのようなデザインでユーロを完成させるのか、どのようなデザインでEUの「顔」を表現するのか…難しい検討が繰り返されたのである。結果的には特定の国をイメージさせないよう配慮され、紙幣に関しては実在しない「ヨーロッパ風」の建造物やヨーロッパの地図など無難なデザインが採用された(硬貨は片面に限り国ごとのデザインが許され、各国の個性も認められた)。

②日本の紙幣改訂

 日本では200411月から一万円札、五千円札、千円札の新紙幣が20年ぶりに登場した。その最大の理由は偽造防止にある。それまでの紙幣と比べると違いは一目瞭然。五千円と一万円札には金属的光沢のあるシールのような印刷(ホログラム)が新たに施されるようになったのだ。これによりカラーコピー等による単純な偽造は不可能となったといってよい。他にも各種の新技術が導入され、偽造防止策は一段と進展した。新紙幣の発行は景気浮揚効果も期待でき、また紙幣の「顔」をすげ替えることで特定のメッセージを国民に発する狙いもあったろう(紙幣のデザインは閣議で決定される)。たとえば野口英世千円札は日本の子供たちの間で理数科離れが進むことへの危機感の表れであろうし、樋口一葉五千円札はそれまで神功皇后しか登場してこなかった日本の紙幣に対して男女平等の観点から浴びせられてきた国際的な非難をかわす狙いがあったろう。では日本の紙幣の「顔」には今回の改訂に至るまでにどんな変遷があったのだろう。以下、概観してみよう。

 戦前は特定の人物が繰り返し登場している。最も多く登場(4回)したのは以下の三人である。

・菅原道真:宇多天皇に寵愛され、894年には遣唐使廃止の建議をしたことで知られ 

 る。901年、左大臣藤原時平の讒言により大宰府に左遷。死後は天神様として各地

 に祀られ、学問の神としても有名。

・竹内宿禰:「古事記」によると景行天皇から仁徳天皇までの五代に仕えた忠臣で

 295歳の長寿を全うしたという。

・藤原鎌足:645年、中大兄皇子とともに大化の改新のクーデターを決行し、改新政

 治を補佐。死の直前、天智天皇から藤原姓を与えられる。

 

 明治初期は藩札の伝統を受けて竜の文様で縦長の形であったが、次第に欧米の影響から横長となり、主に肖像を中心としたデザインに変わっていった。天皇制の成立とともに紙幣の「顔」は天皇を支えた人物(他に神宮皇后、和気清麻呂、聖徳太子、日本武尊、楠木正成)が多くなった。上記の三人もそうした発想から繰り返し選ばれたようである。

 とりわけ太平洋戦争中は忠君愛国、尽忠報国の精神を体現する人物(楠木正成ら)や図像(八紘一宇の塔、靖国神社等)が登場し、戦意高揚に役立てられた。しかし敗戦後はデザインが一変し、平和主義と民主主義にふさわしい人物(高橋是清、板垣退助)やデザイン(鳩、国会議事堂)が多用された。戦前に使用された「顔」で存続できたのは聖徳太子のみである。

 昭和三十年代前半は千円札、五千円札、一万円札の三種類が聖徳太子をデザインに使用しており、彼は戦後、最も多く紙幣に登場した人物となっている。なお昭和38年(1963)に千円札の「顔」となった伊藤博文と、昭和59年(1984)に一万円札の「顔」となった福沢諭吉に関しては紙幣発行に際して近隣諸国(特に中国や韓国)から猛反発を受けている。また2000年に発行された二千円札は米軍基地問題で揺れていた沖縄の人々の不満を緩和する目的もあって沖縄のシンボル「守礼門」がデザインに採用された。今も昔も紙幣のデザインには一定の政治的な狙いが込められているのである。

※戦後、紙幣の肖像に用いられた人物は二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、板垣退助、

 聖徳太子、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、樋口一葉、野口英世の11

 人。ただし二千円札の紫式部を加えると12人。偽造防止の観点からしわが多く、ひ

 げのある人物が選ばれやすい(戦前を含めて肖像画が利用された人物17人中12人に

 ヒゲあり)。

2024年、20年ぶりに紙幣のデザインが変わり、1万円札が渋沢栄一、5千円札が津

 田梅子、千円札が北里柴三郎となっております。

 

③電子マネーの普及

 高度情報化社会の到来に伴い、通貨の在り方も変化を余儀なくされている。たとえばクレジットカードなど小銭を気にせずに支払いが済ませる上にポイントが加算されてカード払いを増やすほど得になるよう仕組まれている。便利な上にお得…とくれば多くの人が飛びつくことになる。いずれ現金にとって代わることも予想された電子マネーだが、かつて「カード破産」という言葉があったように危険も潜んでいる。しかも「カード払い」とはローン払いであり、利子付きの借金をすることと同然。安易な利用は戒めなければなるまい。

 

 以上のプリントを穴埋め方式にすると…

 

お金の世界 

 

   )組(   )番(          

1.貨幣の歴史

 現在のような貨幣が出現する以前は(       )で必要なものを手に入れていた。やがて(       )が始まるとその社会で中心的な価値を持つ品が登場し、あらゆるものと交換可能な万能商品のような役割を果たすようになる。このような役割をになう品を現在では(       )という。牧畜を中心とする社会では(   )や羊など、農耕を中心とする社会では米や(   )などが物品貨幣であった。物品貨幣はそれ自身に(      )があるため、貨幣と同じ役割を果たすようになったのである。

しかし物品貨幣にも不便な点があった。(        )が難しく、かさばる…などである。そこで西洋では紀元前670年頃、リディア(現在のトルコ)で世界最古といわれる(    )貨幣(当時のものは  と銀の合金)が出現した。東洋でもほぼ同じころに中国(春秋戦国時代)で(    )(=銅と錫の合金)製の貨幣が出現している。金属貨幣は物品貨幣に比べて使用価値自体は劣るが…

・容量に比して(       )が高い→(       )に便利

・分割化、(     )可能(cf.牛、羊)→価値の計数表示容易に

・腐りにくく摩耗しにくい→長期の利用・保管と価値の(    )容易に

といった大きなメリットがあるため、現在に至るまで利用され続けている。

※なお金属貨幣が出現する以前の中国では沿岸部を中心に(   )が貨幣の役割を 

 果たしていたため、「貝」は「貯・財・貨・資・貸…」など財産・価値などを表す

 漢字に多く使われている。

 金属貨幣の歴史は東洋と西洋では若干異なっている。西洋ではお互いに依存しあう小国が数多く存在するなかで交易が行われてきた。そうした小国間での取引においては国家の違いを超えて流通できるだけの(         )が貨幣に備わっていなければならず、必然的に西洋での金属貨幣は(   )や銀を中心とした貴金属が主体となった。しかし古代中国では金や銀の産出量が少なかったために青銅製の貨幣が主体となった。青銅は金や銀に比べて素材価値はかなり低いため、青銅製の貨幣は(       )とならざるをえず、高額の取引には不向きであった。そのせいか初期の青銅貨幣は価値を持たせるために農耕具や武器、あるいは(   )を象っていた。また貨幣経済の発展のためには大量に発行する必要もあったが、幸い古代中国では世界に先駆けて(     )技術が発達していたため、銅貨を大量にかつ均一に製造することは可能であった(西洋の金属貨幣は当初、打圧製)。とはいえ遠隔地における高額取引に際しては低額貨幣の銅貨の不便さがどうしてもまとわりついていた。この欠点を補うために宋の時代(1023年)、世界で初めての(    )「交子」が中国で登場したのである。

 紙幣には金属貨幣にはない特色があった。長所としては(       )が安くつき、発行額も容易に調節可能なため、国家としては(       )が取りやすいし、財政も補てんしやすい。軽くて持ち運びにも便利である。このため紙幣は通貨の中心に定着する一方で金属貨幣は(       )としての地位に退いていった。しかし紙という素材のために長持ちせず、(    )されやすいという欠点(各国とも通貨偽造の罪は重く、死刑や無期懲役にする国が多い。日本の    第148条では「無期または3年以上の懲役」となっている)もある。

とりわけ紙幣の価値の源泉は発行元の信用に基く(       )だけで、紙自体には使用価値、素材価値はほとんど無い。したがって発行元の(    )が揺らいだり、政府の一方的都合で発行高をいたずらに増やしてしまうと紙幣自体の価値も下落し、(          )を招いてしまう危険も秘めている。その最悪のケースが(           )に負けて天文学的な賠償金を支払うために1923年に(     )で発行された100兆マルク札である(最近では1993年、内戦中の旧          で発行された5000億ディナール)。猛烈なインフレーションによって札束はただの紙くずに化してしまい、多くの人々が厳しい生活難に瀕した。

紙幣のこうした欠点を補うために18世紀以降、(       )を中心に

       )が採られていた。金本位制のもとでは(       )が発行され、紙幣は同価値の(   )と交換できることで紙幣の価値の安定が図られていた。しかし紙幣の発行高は発行元の(        )に制約されるため、おおくの植民地を支配し、金の保有量が十分にあった欧米列強には有利な制度だが当時のドイツや近代国家日本はなかなか金本位制に参入できなかったのである(日本が本格的に金本位制に移行できたのは       に勝利して金貨による莫大な賠償金を清から入手した1897年のことである)。

 20世紀に入ると(       )経済の矛盾が噴出し、二度の世界大戦と大規模な(       )を招いた。この過程でイギリス中心の経済体制と揶揄されていた金本位制は崩壊し、次第に国家による景気対策や福祉政策が重視されるようになる(       革命)なかで(       )制度に各国とも移行し始めた。各国の通貨価値の安定は金保有量ではなく、各国政府と(       )、さらには(    )やIBRDなどの国際機関に委ねられるようになったのである。

 

2.お金の現在

①「ユーロ」の出現

 2002年1月からヨーロッパ12カ国で新しい画期的な通貨「     」が登場した。ユーロは「ユーロランド」と呼ばれる加盟国内では国境を越えて流通する「欧州の単一通貨」である。ユーロ出現の経緯を概観してみよう。20世紀、ヨーロッパは二度の世界大戦を経験し、痛切にヨーロッパの平和的統合を願うようになった。さらにアメリカや日本の経済的脅威も停滞気味のヨーロッパの団結を強める契機となった。まず1958年、EEC(ヨーロッパ経済共同体)が結成され、経済面での協力体制が整えられていった。1967年にはそれが発展拡充して(   )(ヨーロッパ共同体)となり、一層連携を強めた。1989年前後の(    )崩壊と(      )を挟んで統合の機運はさらに高まり、1991年の(         )条約(オランダ)が結ばれた結果、1993年に現在のEU(          )が発足した。こうしてヨーロッパ諸国は連携を強めることで対立を解消し、平和なヨーロッパを実現させるとともに、経済面ではアメリカや日本との競争に有利な立場を築こうとしてきたのである。ユーロの登場はまさにこうしたヨーロッパ統合の歩みの重要な一歩に位置付けられる出来事であった。

 しかし「ユーロ」は決してすんなりと誕生できたわけではない。そもそも各国の通貨のデザインは世界に向けたその国の「    」「顔」ともいえるもので、紙幣や硬貨のデザインからその国のお国ぶりや(       )をうかがうことができることも多い。EUという歴史的には対立を繰り返してきた国々の統合体がどのようなデザインでユーロを完成させるのか、どのようなデザインでEUの「顔」を表現するのか…難しい検討が繰り返されたのである。結果的には特定の国をイメージさせないよう配慮され、紙幣に関しては実在しない「ヨーロッパ風」の建造物やヨーロッパの地図など無難なデザインが採用された(硬貨は片面に限り国ごとのデザインが許された)。

②日本の紙幣改訂

 日本では2004年11月から一万円札、五千円札、千円札の新紙幣が20年ぶりに登場した。その最大の理由は(    )防止にある。それまでの紙幣と比べると違いは一目瞭然。五千円と一万円札には金属的光沢のあるシールのような印刷(ホログラム)が新たに施されるようになったのだ。これによりカラーコピー等による単純な偽造は不可能となったといってよい。他にも各種の新技術が導入され、偽造防止策は一段と進展した。新紙幣の発行は(    )浮揚効果も期待でき、また紙幣の「顔」をすげ替えることで特定のメッセージを国民に発する狙いもあったろう(紙幣のデザインは    で決定される)。たとえば(       )千円札は日本の子供たちの間で理数科離れが進むことへの危機感の表れであろうし、(       )五千円札はそれまで神宮皇后しか登場してこなかった日本の紙幣に対して男女平等の観点から浴びせられてきた国際的な非難をかわす狙いがあったろう。では日本の紙幣の「顔」には今回の改訂に至るまでにどんな変遷があったのだろう。概観してみよう。

 戦前は特定の人物が繰り返し登場している。最も多く登場(4回)したのは以下の三人である。

・(       ):宇多天皇に寵愛され、894年には遣唐使廃止の建議をしたこ

 とで知られる。901年、左大臣藤原時平の讒言により大宰府に左遷。死後は

 (    )様として各地に祀られ、学問の神としても有名。

・竹内宿禰:「古事記」によると景行天皇から仁徳天皇までの五代に仕えた忠臣で

 295歳の長寿を全うしたという。

・(       ):645年、中大兄皇子とともに大化の改新のクーデターを決行

 し、改新政治を補佐。死の直前、(   )天皇から藤原姓を賜与。

 

 明治初期は(    )の伝統を受けて竜の文様で縦長の形であったが、次第に欧米の影響から横長となり、主に肖像を中心としたデザインに変わっていった。

 (    )制の成立とともに紙幣の「顔」は天皇を支えた人物(他に神功皇后、和気清麻呂、聖徳太子、日本武尊、楠木正成)が多くなった。上記の三人もそうした発想から繰り返し選ばれたようである。とりわけ太平洋戦争中は忠君愛国、尽忠報国の精神を体現する人物(楠木正成ら)や図像(八紘一宇の塔、       等)が登場し、戦意高揚に役立てられた。しかし敗戦後はデザインが一変し、平和主義と民主主義にふさわしい人物(高橋是清、板垣退助)やデザイン(鳩、国会議事堂)が多用された。戦前に使用された「顔」で存続できたのは(       )のみである。とりわけ昭和三十年代前半は千円札、五千円札、一万円札の三種類が聖徳太子をデザインに使用しており、彼は戦後、最も多く紙幣に登場した人物となっている。なお昭和38年(1963)に千円札の「顔」となった(       )と、昭和59年(1984)に一万円札の「顔」となった(       )に関しては紙幣発行に際して近隣諸国(特に中国や韓国)から猛反発を受けている。また2000年に発行された二千円札は(       )問題で揺れていた沖縄の人々の不満を緩和する目的もあって沖縄のシンボル「守礼門」がデザインに採用された。今も昔も紙幣のデザインには一定の政治的な狙いが込められているのである。

※戦後、紙幣の肖像に用いられた人物は二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、板垣退助、

 聖徳太子、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、(       )、樋口一葉、野

 口英世の11人。ただし二千円札の(     )を加えると12人。偽造防止の観点

 からしわが多く、(   )のある人物が選ばれやすい(戦前を含めて肖像画が利

 用された人物17人中12人にヒゲあり)。

 

③(        )の普及

 高度情報化社会の到来に伴い、通貨の在り方も変化を余儀なくされている。たとえばクレジットカードなど小銭を気にせずに支払いが済ませる上にポイントが加算されてカード払いを増やすほど得になるよう仕組まれている。便利な上にお得…とくれば多くの人が飛びつくことになる。いずれ現金にとって代わることも予想された電子マネーだが、かつて「カード破産」という言葉があったように危険も潜んでいる。しかも「カード払い」とはローン払いであり、利子付きの借金をすることと同然。安易な利用は戒めなければなるまい。