㊵1960年代以降の子供文化と世相(後編)
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
・1960年から1973年にかけての主な子供向けテレビ番組(アニメ中心)の動向
放送開始 |
作品名 |
制作国 |
放送局 |
1960
|
鉄人28号(特撮) 快傑ハリマオ(ドラマ) 少年探偵団(ドラマ) ララミー牧場(ドラマ) 白馬童子(ドラマ) ナショナルキッド(ドラマ) |
アメリカ |
日テレ 日テレ フジ NET(現テレ朝) NET NET |
1961 |
みんなのうた シャボン玉ホリデー(バラエティ) |
|
NHK 日テレ |
1962 |
隠密剣士(ドラマ) てなもんや三度笠(舞台演劇) コンバット(テレビ映画) ※音楽番組9 |
アメリカ |
TBS TBS TBS |
1963 |
鉄腕アトム 鉄人28号 姿三四郎(ドラマ) エイトマン 狼少年ケン ※アニメ9 |
|
フジ フジ フジ TBS NET |
1964 |
白馬の剣士 ゼロ戦黒雲隊(ドラマ) 水戸黄門(ドラマ) 忍者部隊月光 グーチョキパー(ドラマ) トムとジェリー 0戦はやと ※音楽番組9、アニメ6 |
アメリカ |
TBS NET TBS フジ フジ TBS フジ |
1965 |
新名犬ラッシー(ドラマ) スーパージェッター 宇宙少年ソラン ジャングル大帝 遊星少年パピイ 宇宙エース W3 オバケのQ太郎 ※音楽番組21、アニメ15 バラエティ14 |
アメリカ |
TBS TBS TBS フジ フジ フジ フジ TBS |
1966 |
チャコちゃん(ドラマ) 奥様は魔女(ドラマ) 宇宙家族ロビンソン 泣いてたまるか(ドラマ) わんぱくフリッパー(ドラマ) ウルトラQ(特撮) ウルトラマン(特撮) マグマ大使(特撮) サンダーバード(人形・特撮) おそ松くん ハリスの疾風 魔法使いサリー ※音楽20、アニメ12、特撮7 バラエティ7、演芸(寄席)6 |
アメリカ アメリカ
アメリカ
イギリス |
TBS TBS TBS TBS フジ TBS TBS フジ NHK(→TBS) NET フジ NET |
1967 |
意地悪ばあさん(ドラマ) スパイ大作戦(ドラマ) コメットさん(ドラマ) 黄金バット パーマン リボンの騎士 光速エスパー(特撮) ウルトラセブン(特撮) ※バラエティ19、アニメ17 音楽9、特撮7 |
アメリカ |
日テレ フジ TBS 読売 TBS フジ 日テレ TBS
|
1968
|
男はつらいよ(ドラマ) 怪奇大作戦(特撮) 進め!ドリフターズ(バラエティ) ゲゲゲの鬼太郎 巨人の星 スポ根 サイボーグ009 ※バラエティ20、アニメ13 |
|
フジ TBS TBS フジ 読売 NET |
1969 |
柔道一直線(ドラマ) スポ根 サインはV(ドラマ) スポ根 タイガーマスク スポ根 アタックNO.1 スポ根 サザエさん 8時だヨ!全員集合(バラエティ) ※バラエティ22、クイズ17、アニメ17 |
|
TBS TBS よみうり フジ フジ TBS |
1970 |
金メダルへのターン!(ドラマ) スポ根 ハレンチ学園(ドラマ) あしたのジョー スポ根 赤き血のイレブン スポ根 男どアホウ!甲子園 スポ根 キックの鬼 スポ根 ノラクロ ※バラエティ27、アニメ20、音楽15 クイズ11 |
|
フジ 東京12 フジ 日テレ 日テレ TBS フジ |
1971 |
おれは男だ!(ドラマ) スポ根 コートにかける青春(ドラマ)スポ根 ワン・ツー・アタック(ドラマ) スポ根 ゴルゴ13 天才バカボン ルパン三世 仮面ライダー(特撮) ※バラエティ20,アニメ19 |
|
日テレ フジ 東京12 TBS 日テレ よみうり NET |
1972 |
必殺仕掛け人(ドラマ) 剣道一本(ドラマ) スポ根 ドキュメントミュンヘンへの道スポ根 ど根性ガエル ※バラエティ19、アニメ17、音楽15 |
|
TBS フジ TBS TBS |
1973 |
サインはV第2作(ドラマ) スポ根 ドラえもん 空手バカ一代 スポ根 エースをねらえ! スポ根 侍ジャイアンツ スポ根 ※バラエティ24,アニメ18 |
|
TBS 日テレ NET 毎日 よみうり |
※表中の赤字は戦記物、戦争物
以上の表から読み取れる点を挙げてみる。まず高度経済成長期の初期における子供向けテレビ番組はドラマ中心であり、アニメは1963年の「鉄腕アトム」の登場以降、中心的地位を占めていく。この時期の前半は設立されて間もない日本のテレビ局に十分な番組制作能力が無かったようで、アメリカで放映されている番組をその不足分を補うかのように数多く当てている(表中の下線部)。
表には出ていないが1958年にはディズニーの番組が日テレで放映され、1959年には「ミッキーマウスクラブ」の放映が始まっていて、1960年代も続いていた。さらにアメリカの「三ばか大将」」が1963年から日テレで、1966年からはNET(現テレ朝)が「トリオ・ザ・3バカ」というタイトルで放送している。他にも「じゃじゃ馬億万長者」(1962年から日テレ、1967年からはフジテレビ系でも)や「ルーシー・ショー」(1963~66TBS)、「ザ・モンキーズ」(1967~TBS)、「とつげき!マッキーバー」(1963フジ)、「バットマン」(1966~67フジ)、「ローハイド」(1959~65NET)、「アダムズのオバケ一家」(1968~69東京12)等、アメリカ製の番組が1960年代を通じ、各局で頻繁に放送されていた。
高度経済成長期にあるとは言え、当時の日本はまだアメリカとの経済的格差が大きかった。テレビドラマから垣間見える大型の冷蔵庫やテレビ、洗濯機、自家用車を備えたアメリカ人の現代的でリッチな生活。アメリカ製の映画やテレビドラマは物質的な豊かさへの渇望を当時の日本人にかきたてる効果が絶大であった。
高度経済成長に向けて多くの日本人は長時間に及ぶ残業や薄給にもめげず「モーレツ」に頑張る時代へと突入していたのである。池田勇人内閣の唱えた「所得倍増計画」は60年安保による日本社会の政治的亀裂に倦み、いまだ貧しい日本人の多くにとって馬の鼻先に吊り下げられたニンジンのようなものであった。
60年安保などで反米感情が高まる中、日本人の反発を和らげる上でもアメリカ製の番組を数多く放映することは有効であったのだろう。やがて日本人の過半はアメリカ的な物質的繁栄という明確な目標に向かって歯を食いしばり、脇目も振らずに走り出していく。
この時期の漫画やアニメには既に触れた戦争物の復活に加えてもう一つ見逃せない特徴がある。1960年代の中頃に鉄人28号や鉄腕アトムといったロボットや「宇宙少年ソラン」のように「宇宙」を冠するもの、「スーパージェッター」のような未来の乗り物を扱ったSF系の番組が数多く登場してくる点である。
日本の本格的なテレビアニメは1963年の鉄腕アトムからであるが、この作品の主人公等の名前「アトム」と妹の「ウラン」には間違いなく原子力の平和利用を日本に定着させようとする日米の狙いが込められていよう。その背景には政財界から国民に対して工業化社会における経済成長に不可欠な科学技術の発展を促す働きかけがあった事、特に原子力発電の日本への導入を急ぐアメリカの思惑がそこに加わっていた点が考えられる。
当時、アメリカはソ連の核開発とスプートニク打ち上げ成功(1957)、世界初の有人宇宙飛行の成功(1961)に焦りを強めていた。
子供達にとってSF系のアニメは宇宙飛行やロボット開発、はては核開発への期待を膨らませ、理数系の学習を魅力的なものにした効果は大きかったのではないか。しかし同じSF系であっても手塚治虫原作の「W3」は人類を滅ぼすために宇宙から送られてきた動物キャラが人間の少年とともに活躍するという、異色の作品であった。
科学技術の発展が原爆を生み出してしまった・・・唯一の被爆国としての日本という苦い経験が手塚作品には濃厚に漂っており、手放しで科学技術の発達を賛美する方向とは一線を画す作品がこの時代にもあったことは見逃せないだろう。
そうした中で1962年のキューバ危機は核戦争の勃発を強く予感させ、アメリカは「反共の砦」として日本の科学技術力や軍事力増強にも期待を寄せていた。日本は1963年に茨城県東海村の日本原子力研究所で初の原子力発電に成功。翌年、東京オリンピックを開催し、戦後の復興ぶりを世界にアピールする。夢の超特急と謳われた東海道新幹線が開通したのもこの年であった。
ロケット開発で一旦先を越されていたソ連に対抗すべくケネディ政権が力を入れたアポロ計画はケネディ暗殺(1963)後も受け継がれ、ついに1969年、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した。アメリカは莫大な費用と費やしてソ連との宇宙開発競争を最終的に制するにいたるが、一方で中国が核実験に成功(1964)するなど、東西冷戦はくすぶり続けていた。
1965年、ついにアメリカは北爆を開始し、ベトナム戦争に本格的な介入を始めてしまう。キューバ危機以降、アジアにおける最大の核基地と化していた沖縄はベトナム戦争においてもアメリカ軍の重要な拠点として引き続き機能していく。米軍の「不沈空母」とされた沖縄の人々の不満は本土復帰直前、コザ暴動(1970)となってついに頂点に達し、暴発した。
もう一つ1960年代で注目されるのは「白馬童子」や「隠密剣士」などの時代劇、武道もの。大人向けでは1970年代以降も数多く放映された時代劇であるが、子供向けとなると70年代以降目立たなくなる。時代劇の隆盛が武士道精神や封建的価値観の継承を示すのかどうかは見方が分かれるだろうが、少なくともこの時期まで子供達の遊びとしてチャンバラごっこが盛んであったことは確かである。
② バラエティとスポ根ものの全盛期
既に指摘したように高度成長期の前半には戦時中かと見まごうような戦争物のアニメ、ドラマ(表中の赤字)、プラモデルなどが目につくようになる。キューバ危機(1962年)で高まった核戦争への恐れが平和憲法下にある日本をも巻き込む勢いでリアルに戦争へ向かうようなキナ臭さを子供向けの雑誌やテレビ、オモチャにまで漂わせていた。
しかしキューバ危機がギリギリで回避され、軍事的な緊張緩和が進む高度成長期後半になるとキナ臭ささは次第に薄められていく。加えて「所得倍増計画」の目標が達成され、日本人がそれなりに豊かさを実感できる時代に突入するとドリフターズやコント55号のお笑い番組が幅をきかすようになった。テレビにおけるバラエティ全盛時代の到来である。
しかしお笑いの世界とは別に青少年向けアニメ、ドラマでは汗とドロまみれの生真面目な「スポ根もの」が目立ってきた。軍国主義的な風潮の復活によって甦った精神主義、「滅私奉公」の没入志向はおそらく「スポ根もの」という、平和主義的装いを得て「社畜」とも呼ばれた企業戦士を支えていく精神的風土を新たに形成していたのであろう。
1969年にベストセラーとなった石原慎太郎の「スパルタ教育:強い子どもに育てる本」(カッパホームス:光文社1969年)はスポ根ブームを招来した土壌の一つに数えられるだろう。
それは取りも直さず見せかけだけの薄っぺらな物質的繁栄とは裏腹に激しい競争社会が人々を分断しつつ、日々、怠りのない精進を脅迫し続ける残酷な時代の到来を意味していた。
「モーレツ社員」がどこの職場にも跋扈していた高度経済成長期。かつて、植木等らが演じていたグータラ社員はほんの一握りの例外に過ぎない。あくまでもそのグータラないい加減さが「ガス抜き」として聴衆の笑いを誘うのであって彼らはもちろんメジャーな存在ではなかった。
ひたすら右肩上がりに見えていた経済成長が1970年代に入り、次第に限界を迎えてくる中で、努力と根性だけで競争に勝ち抜いていける・・・とは必ずしも思えなくなる、閉塞した暗澹たる時代がやがてやってくる。
かつての昭和世代の日本人には敗戦後の焼け跡から裸一貫でのし上がってきたというそれなりの一体感と自負があった、と指摘する人もいる。おそらく戦後しばらくは普通の人々の間にさほど経済格差による大きな社会的亀裂は生じていなかったのではあるまいか。
しかし1970年代に入ると明らかに経済格差が目立ち始めていた。その格差を何とかして努力と根性で埋められなければ怠け者、根性無しと罵られかねない・・・子供達はそのように身構えながら、毎日手に汗を握り、ブラウン管から繰り出される「スポ根もの」アニメの洗礼を浴び続けていたのかもしれない。
少しでも怠けたり油断して手や足を休めようものならずるずると奈落の底まで堕ちてしまうかもしれない、終わることのない恐怖・・・得体の知れない将来への不安・・・やがて多くの子供達はいつ果てるとも分からない蟻地獄のような競争社会の暗闇に飲み込まれていくことになる。
「血の汗流し、涙を拭くな…」(「巨人の星」の主題歌より)といった軍隊式の根性論に依拠したスパルタ式鍛錬の積み重ねこそが勝利をもたらす・・・そんな戦時中の「大和魂」に限りなく近い精神論が当時の少年達に繰り返し刷り込まれていた。
これは多くの少年達にとって実に効果的な洗脳であったように思える。実際、この世代はやがて「受験戦士」として受験戦争を戦い、成人して「企業戦士」となってからは苛烈な経済競争の渦に巻き込まれ、挙句の果てに「24時間戦えますか」(リゲインCM:1989~91))と叱咤激励されていく。
そして「負け組」となるのをかろうじて逃れ、上司となった暁には少年時に刷り込まれたパワハラ精神で若手を過労死、過労自殺に追い込む、残念な存在にもなりかねなかった。今の60代が社会においてはカッパを含めて少なくともいわゆる「老害」と煙たがれる世代の一員である事は間違いあるまい。
とは言え、受験の重圧下に苛まれていた子供達の気持ちをアッケラカンと吹き飛ばすかの如きナンセンスギャグ漫画は当時も健在であったし、件のウルトラシリーズも順調に続いていた。また現代社会を冷ややかに突き放すような哲学的眼差しをもつ漫画(ジョージ秋山の作品)も1970年には既に登場していた。
子供達を取り囲む下位文化は決して「スポ根もの」によって完全に覆い尽くされていたわけではなかった。とは言え1970年代前半まではそれなりの多様性を孕みながらも、総じて努力と根性を肯定的に描く傾向が少年達を取り囲む下位文化には広範に存在していたと思われる。もちろん学校教育も執拗に努力主義、根性主義を児童生徒に叩き込み続けていた。
この流れが微妙に変化していくのは1973年の第一次オイルショックを境にした低成長期、1970年代の中頃であろうか。光化学スモッグ警報が幾度も発令され、中学校や高校では校内暴力が吹き荒れていた。経済成長一本槍の政策に疑問が出され、学園闘争の無惨な敗北の中で三無主義が若者を覆い始めた時代。
工業を柱とした「重厚長大」型産業構造からサービス業を中心とした「軽薄短小」型産業構造への変化は社会に様々な軋轢を生みつつ、「モーレツからビューティフルへ」といわれたような価値観の本質的な変化を伴って徐々に下位文化のなかへ浸透していったと思われる。
※「ガキデカ」はチャンピオン(1974~80)、「まことちゃん」はサンデー(1976~81)、「マカロ
ニほうれん荘」はチャンピオン(1977~79)に連載。いずれもナンセンスギャグ系漫画。
この頃からナンセンスギャグ漫画が隆盛に向かい、入れ替わるようにしてスポ根ものが衰退していく。とりわけ人情に厚く金銭や組織に縛られない遊び人の自由さを描いた「浮浪雲(はぐれぐも)」(ジョージ秋山作)がちょうど第一次オイルショックの起きた1973年に連載が開始されたのはそうした時代の大きな転換点を象徴する出来事の一つであったように思えてくる。
あくせくせわしなく子供から大人に至るまで懸命に勉学や勤労へとモーレツに勤しんだ高度経済成長期は確かに終わりつつあった。1971年、モービル石油(現ENEOS)のCMに鈴木ヒロミツらが登場し、「ノンビリ行こうよ、俺たちは・・・」と唄いながらガス欠の自動車を押すシーンは、今思えば高度成長期の先を見越した新しい時代の訪れを予感して作られていたように感じられる。
ただひたすら一生懸命であること、勤勉であること、真面目であることを美徳とするこれまで圧倒的に支配的だった価値観への懐疑が一部の日本人の間に次第に鎌首をもたげ始めてきていたのである。
③ オリンピックと万博に至る道程
1970年代の日本は第一次オイルショック(1973)、第二次オイルショック(1979)の影響による経済的な停滞、いわゆる低成長期に突入していく。1960年代のエネルギッシュで活気に満ちた高度経済成長期はすっかり過去のものとなり、当時の日本社会はまさに「ガス欠」状態に陥っていた。
ベトナム戦争で実質的に敗北したアメリカの政治的、経済的低迷も時代の大きな潮目が世界レベルにおいて迫っていることを告げていた。アメリカという富と権力の突出した国家を理想的目標として突っ走ってきた日本は、どうやらこの時期、国家としての目標をしばし見失いかけていたのかもしれない。
今思えば1970年代はあらゆる意味に於いて戦後日本の大きな「曲がり角」に相当する時代であったのだろう。公害問題の多発に象徴されるような、高度経済成長期に生み出された日本社会の歪みが続々と表面化し、学校では校内暴力やイジメが取り沙汰され、家庭内暴力もマスコミを騒がせていた。
もはや日本は富を求めるエコノミックアニマルとしてひたすら経済成長に邁進する時代でも、脇目も振らずに受験勉強に邁進する「刻苦勉励」の時代でもなくなっていた。学園紛争の敗北後、学生の間には三無主義、五無主義がはびこり、政治的熱狂が急速に冷却していく中で若者の多くは自分たちの情熱のはけ口を失って酷く鬱屈してしまったかのようであった。
しかし1980年代に入るとアメリカだけではなく、イギリスを中心としてヨーロッパ全体に地盤沈下による社会の軋みが目立ってくる。加えて社会主義諸国の低迷が際立ってくる中で相対的に日本経済の国際的地位は実力以上に急浮上していったと考えられる。
70年代の行き詰まりが日本社会に深い反省をもたらすことで本格的な価値観や創造性を十分に生み出す間もなく、日経平均株価は高値を続け、円高が加速し、日本はアメリカに肉迫する経済力を持つに至る。日本人の多くはこの相対的な地位の向上による表面的な豊かさの幻想に酔いしれ、「ジャパンアズナンバーワン」(1979)とおだてられた挙げ句にバブル期に突入していった。
学生達の多くは夏にテニス、冬はスキーで若さを発散し、夜はディスコで踊り狂って我が世を謳歌していた。大人達もまた土地転がしや株などのマネゲームに狂奔する。刹那的享楽主義の始まりである。もちろんこれもただの束の間の夢、いずれはじけるバブルに過ぎなかった。
1989年を境にして東欧諸国が徐々に資本主義に移行していく中で日本経済のバブルはやがてはじけ、日本社会は1990年代以降、長期的な不況に苛まれる。その一方で重厚長大型産業は衰え、情報産業を旗手とする第三次産業中心の産業構造への転換が容赦なく進んでいた。若者の就職状況は悪化し、大量の引きこもりやニートを生み出して現在の「80・50問題」が用意されていく。
2000年代に入ると1980年代から広がってきた新自由主義が小泉内閣で一層進展し、自己責任論が叫ばれて教育や福祉はいよいよ後退していく。正規雇用が減少し、非正規雇用が増えて女性の就労条件はさらに悪化した。
デフレスパイラルに陥った日本の自殺率が世界のトップクラスに上昇していく中で2009年のリーマンショック、さらに2011年の東日本大震災が日本社会の屋台骨を揺さぶる。福島原発における被災は日本の電力供給体制の見直しを迫り、他方で少子高齢化問題が一層深刻化していく。国家の累積債務はついに危険水域とされた1000兆円を超えて破局的に膨れ上がってしまった。こうした絶体絶命のピンチに登場したのが安倍政権である。
2010年代の後半は日銀の金融緩和を中心としたアベノミクスによる大胆な景気浮揚策と東京オリンピック開催への期待感からか、景気は徐々に回復へと向かい、雇用状況の改善も見られるようになった。
が、若者、特に女性の貧困化を軸とした格差社会の進展や将来への見通しの悪さが原因なのか、国内消費は意外にも伸び悩み、物価上昇は期待していたほど生じなかった。しかも日本経済は累積債務の膨張と少子高齢化の進展という不気味な時限爆弾を抱えながら、2020年、まさにオリンピック開催の年に「コロナ禍」を迎えてしまう。オリンピックの延期と断続的に繰り返される経済活動の自粛・・・これらが与えた日本経済への打撃には計り知れないものがあるだろう。
安倍政権はオリンピックの開催を見ることなく、2020年8月、歴代内閣における日本最長政権としての数々の「レジェンド」を残して政治の表舞台を去った。
この歴史に残る長期政権が政治的に目指していたのは戦後初めて教育基本法を改正して「愛国心」を学校教育の目標に加えたことに象徴される、天皇制国家主義の復興であったと考えられる。
憲法改正こそ実現できなかったが、国家主義の確立という安倍氏の政治目標は一貫して明確であり、さほどブレなかったように見える。東京オリンピックと大阪万博の二大イベントがそうした彼にとって国家主義的な観点からの国威発揚の手段でもあったのは明白であろう。もちろん戦時中のような天皇制ファシズムの復活を彼が目指していたとは思えない。しかし国家機密保護法など彼が繰り返しちらつかせてきた強権的権威主義への強い志向はかつて満州国で強力な統制経済を推進していた祖父岸信介氏の体質を引き継いでいるといっても過言ではあるまい。
多様性の尊重がより一層必要な時代であるにも関わらず、ブラック校則がまかり通り、同調圧力が強まるだけの日本の学校社会。当然の如く教員間でのイジメが横行している学校現場にかつてほどの革新性と熱気は見られなくなった。目の前の膨大な校務を定型的に無難にこなせるかどうかが教師達の唯一の関心事となりつつある。もはや児童生徒の個々の要望に応じられる柔軟性を持った、個性的な教育は望むべくもなく、教員の仕事は専らただ「こなす」だけの事務労働と化してしまっている。
学校へのコンピュータの普及は事務仕事の軽減に向かわず、世間の批判をかわすべく、「やってます」感を演出するアリバイ作りを中心とした事務仕事の総量を増やすことばかりに利用されている。未来を担う児童生徒を意識した先見性のある取り組みは、すっかり保守的となってガチガチに硬直した学校現場をひたすら混乱させるに過ぎず、余分なお荷物、お節介と受け取られかねないほどに教師集団は限界まで追い詰められ、自己保身に逃げていくうちにすっかり衰弱してしまった。
日本社会にはびこる種々の時代閉塞の現状は日本の学校現場を見れば一目瞭然である。日本の未来を担う児童生徒を相手とする学校現場の旧態依然とした荒廃ぶりは老大国と化した日本の未来の荒廃そのものであろう。こうした事態を座視するばかりか、教員免許更新制を導入してむしろ教師を絶望的気分に追いやってしまった安倍政治の責任は極めて重いと考える。
国家的威信をかけて推進してきたオリンピックはコロナ禍による延長に加えて森喜朗オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の女性への差別的発言によって一層、開催が危ぶまれる状況を招いてしまった。オリンピックの申し子と言われた橋本聖子氏が森氏の辞任を受けて新たな会長となり、何とか1年延期の末にオリンピックは開催されたが、予算超過の開催費用と電通絡みの収賄事件を含め、ゴタゴタが続いてしまっている。
国民を国家主義的目標に向けて結束させるという安倍政治は国会の審議を空洞化させて一方的に国民に事後承諾と「忖度」を強要する息苦しさを伴っていた。安倍政権が掲げてきた「働き方改革」と「女性の積極的登用」は国民を欺くための表面的でキャッチーなスローガンに止まり、率先垂範を欠いて骨抜きにされる一方で、国家機密保護法のような言論統制と秘密主義が堂々とはびこり始めた。
現在、日本の政治は一層不透明となり、国政への信頼感は低下する一方であると言えよう。そしてその後の政権がこうした問題を改善できるとは到底思えず、現在に至るまで暗澹たる政治状況が続いている。
しかしこうした中で「鬼滅の刃:無限列車編」の大ヒットは先行き不透明な日本にとって一つの光明を示すものではあった。鬼には鬼となってしまった、やむにやまれぬ事情がある・・・という本作の認識には多様性の尊重という、世界全体が目指すべき理念が確かに宿っている。
国民に一方的同調を強いる安倍政権とは異なり、政府が今後「忖度」すべきは自分とは敵対する、相反する価値観を持つ人々であろう。異なる人種、民族、宗教、信条の人々が平和の内に共存していく為に世界が共有すべき必要不可欠な理念として今後ともダイバーシティの尊重が声高に謳われていかなければなるまい。
幸い「アメリカファースト」という偏狭なスローガンで登場した差別主義の塊のようなトランプ政権は安倍政権の終焉から半年も経たない2021年1月に退陣した。しかし今、トランプ時代の悪影響が遠くベラルーシやミャンマー、ロシアや中国、北朝鮮、ブラジル、トルコ、シリヤ、イラン、パレスチナ、イスラエル、アフリカのサヘル地方といった地域や国々に種々の混乱や不幸をもたらしている。
とりわけトランプやボルソナロらが地球温暖化への取り組みを後退させてしまったことによる異常気象の発生は人類の行方をも左右しかねない、不安と動揺を世界中にばらまいてしまっている。もちろんアメリカと同盟関係にある日本もまた不安定化した国々の一員となりかねない危険性を十分に秘めている。
とは言え安倍政権もトランプ政権も今は姿を消しており、挽回する機会は到来しているだろう。そして戦時中さえ除けば、イスラム諸国やキリスト教原理主義の国々が抱えている一神教のような頑固さを日本は戦時中を例外として今まであまり持たずに済んできていた。すなわち海洋国家としての開放性と多神教の伝統こそが日本の世界に誇れる美点であることを「鬼滅の刃:無限列車編」は世界に向けて発信しているように思えるのだ。
今、日本にとって最大の障害物は、明治以降、連綿と続いてきた国家主義的天皇制ではあるまいか。戦時中は天皇制ファシズムの下で日本はあたかも一神教国家のような頑なさに自閉し、欧米との敵対に終始してしまった。現在も続いている天皇制は戦前と形こそ違え、いつでも狭隘な国家主義の柱となりかねない危険性を未だに有したままのように思えるのだが、いかがだろう。
天皇制という、秘密主義の塊のような巨大なブラックボックスに隠れて近代以降の日本の指導者たちは国家としての様々な失態を隠蔽してきた。この隠蔽体質は安倍政権に色濃く受け継がれ、「モリかけ問題」や「桜を見る会」の問題に見られる証拠隠滅などによって民主主義の土台をグズグズに腐食させてきたのではあるまいか。
あれだけの事故を起こし、福島県民に大きな迷惑をかけてきた東京電力が福島原発の地震計の故障を知りつつ、懲りもせずについ最近までこれを放置できていたのも、安倍政権の隠蔽体質の負の遺産と言えなくはない。そもそも戦後の原子力発電導入の中心人物であった元A級戦犯容疑者の後藤文夫は常々「天皇陛下の警察官」を自認していた。原発と天皇制、政府の隠蔽体質とはきっと今も国民の見えないところで緊密な繋がりがあるのだろう。
こうした中での国家的イベントとしてのオリンピックや万博は安部氏自身の失政と闇の多い出自から国民の目をそらし、その華やかなセレモニー性で天皇制国家主義の危うい側面をきらびやかに糊塗する目的があったとするのはうがちすぎだろうか。
しかし安倍政治の姑息なごまかし政治、上辺だけの金メッキ策は今や後続の管政権の相次ぐ失態によって見苦しいほどに「化けの皮」が剥がれてきている。メッキの下から見え隠れする安倍政治の古臭い権威主義、国家主義の荒々しい本質、個人の人権保障を蔑ろにする滅私奉公的体質は最早、隠しようがないだろう。
長老が支配する日本政治はとっくにオワコン状態にある。世界は森失言騒動で露骨に見えてしまった日本政治の根強い差別的構造にすっかり辟易しているに違いない。
若い女性がリーダーを務めていたニュージーランドやフィンランドのコロナ禍に対する迅速な対応ぶりを見比べた時、日本政治の長老支配は虚しく時間ばかりが過ぎていく、腰の重さが目立つ。こうしたグズグズでノロマな日本政治は輝かしい未来を私達からひたすら遠ざけているだけであろう。
出来るだけ早い段階での政治家の若返りと大量の女性議員の国政進出が待たれると思うが、いかがか。