㉘先生はスーパーマンじゃない!
※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。
参考記事
〇行動の記録評価「明快な評価ができていない」教員96%
リシード 2024.12.11
そもそも教師に児童生徒の行動を評価できるのか、はなはだ疑問である。つまりこの調査結果にはかなり教師たちの正直な本音が表れているように思える。もちろん高校入試において中学校の調査書における出席数や評定値は判定の際の重要なポイントとなる。しかし、特に行動の記録に関しては〇がゼロの場合を除くとほぼほぼデータとしてはスルーされていた。教師の主観性が大きく作用してしまう危険性の大きい項目としてみなされ、判定の材料とするのはなるべく避けようとする傾向が強かった。
しつこいようだが教師は万能のスーパーマンではない。四六時中、生徒の言動を見張っているわけではあるまいし、学級担任が学級生徒のすべてをきちんと把握できないのは当たり前である。まして教科担任制が小学校にも適用されてきた現在、小学校教師ですら児童の行動把握は難しくなってきている。しっかり出来ていない事をさも出来ているかのように、知らない事をさも知っているかのように構えて評価するのはもはや欺瞞以外、何ものでもあるまい。
〇中学の部活指導「やりがい」1割 教員の勤務環境調査、負担要因か
共同通信 によるストーリー 2024.11.27
いやいや専門外のスポーツや文化部を持たされている教師は少なくない。生徒たちにとっては生きがいかもしれないが、教師にとっては土日返上で過ごす部活指導が地獄の苦しみに等しい。高校でも部活動の地域移行を断行すべきであろう。また「部活動の指導をしなくとも良い」ではダメであり、学校教師による部活動指導そのものを禁止すべきだろう。部活指導をやりたい教師は社会教育の方で指導を継続できるように制度設計をやり直すべきである。
〇地域移行後の部活動、中学教員の半数超「担当したくない」
リシード 2024.11.28
…部活動担当者に対し、これまで部活動業務が原因で退職を検討した経験を質問したところ、「頻繁にある」6.6%、「多少ある」21.8%、「あまりない」29.7%、「まったくない」42%。「多少ある」「頻繁にある」をあわせた回答は、前年度から10ポイント以上も上昇した。・・・という結果には驚いた。中学校の勤務状況の厳しさから考えると、退職したくなった教師の割合が40%を優に超えるのではないかと予想したのに、30%にも満たない程度の少数派だったのは大いに予想外だったのだ。
中学校教師の多くは部活動などのために時間をとられ、授業準備が足りずに不本意な授業を繰り返すことへの精神的な苦痛が大きい…というのが私の予想であった。私の場合、最後は定時制高校の教師だったが、部活動の指導をしなくとも済む身分にもかかわらず、三科目の授業負担が重過ぎて十分な工夫や修正が出来ないまま、生徒たちの前に立つのが常に心苦しかったのだ。
いずれにせよ部活動の指導はしたくないと半数以上が答えており、部活動の地域移行と教師による部活動指導の禁止を強制しない限り、学校のブラック化に歯止めはかかるまい。
〇「良い先生」像の呪縛、学校の「前例踏襲」風土…。働き方改革が進まない教員側
の要因 All About 坂田 聖一郎 2024.11.24
長時間残業を美徳とする精神的風土は必ずしも学校独自ではあるまいが、やはり中高年の教師たちの間にはいまだ根強くはびこっている価値観なのかもしれない。
◎「教員はサービス業?」学校の先生達が抱える苦悩 学校の先生は何で勝負する?忘れ
られない疑問 東洋経済オンライン 鈴木 大裕 2024.11.13
…大人が子どもの心をつかみあぐねているこんな時代だからこそ、教員の仕事を、子どもの人としての成長を支援することとしてとらえ直す必要がある。
教員が「私たちの仕事を減らせ!」と労働者の権利を主張するのではなく、「私たちにちゃんと仕事をさせろ!」と「子どものプロ」としての義務と責任を追求した方が世論もついてくるだろう…
残念ながら、以上の指摘にはあまりにも日本の学校教育の現実から乖離した内容があり、大きな違和感しか覚えない。たとえば日本の大学はこれまで本当に教員志望の学生に「子どものプロ」となるための、必要かつ十分なまでの、濃密で充実した教員養成プログラムを実施してこれたのだろうか。
日本の高校教師の場合、教員免許状を取得するためのハードルは北欧とくらべれば比較にならないほど低い。日本の場合には自分の属する学部学科を卒業する上で必要とされる単位数にわずかばかりの教職科目と専門教科の単位を上乗せさえすれば、いとも簡単に教員免許状が取得できる。教員志望であっても多くの大学生がアルバイトに精を出すことができるほど、日本の大学教育は基本的にヌルイのだ。
一方で大学生のアルバイトをほぼ不可能とするほどに北欧の大学は学生に要求する勉強の質と量とが日本とは桁違いである。家庭学習の時間が週に30時間以上にも上ることが普通にあるというから凄まじい。当然、4年間で卒業できない学生、はたまた卒業自体を諦める学生も少なくない。とりわけ教師になるには大学院まで進学する必要があるから、教職は相当、狭き門となる。結果的に北欧において学校の教師がもっとも尊敬される職業であり、児童生徒たちにとってあこがれの的ともなっている。しかし、日本ではどう見ても北欧のようにはなっていない。
もちろん「子どものプロ」であるならば学問的知識だけではなく、授業や生徒指導の実践にもある程度まで通じておく必要がある。これはそれぞれ少数のゼミ形式でたっぷりと時間をかけ、理論だけではなく実践的な指導が繰り返し施されなければなるまい。そしてこんなことがアルバイトまみれの日本の大学生活、それも大学でのマスプロ教育という限界の下、たった4年間の在学で実現出来るわけはないのだ。
おそらく北欧並みに「子どものプロ」を日本の教師が自任したければ、あらかじめ今の倍以上の学習と実践経験が大学時代に必要であり、それが可能となるには教員免許制度及び教員養成教育の大幅な見直しがなされなていなければならない。しかし、日本政治の現状は誰がどう見てもそれを望めるような状況からあまりにもかけ離れている。日本の政策は女性と子ども・若者に対してとりわけ冷たく、それが改善される兆しも一向に見えてこない。
今、日本の学校が置かれている厳しい状況を直視するならば、いきなり高邁な理想を「上から目線」で説くのではなく、もっと現実的で限定的な下位目標をまずは設定すべきだろう。すなわち日本の教師はまず何よりも優先して仕事量の大幅な削減をこそ、強く要求すべきであると考えるが、いかがか。
「子どもの人としての成長を支援する」といった高邁な目標の下で教員の仕事を捉えてしまうと、教師の仕事量はさらに膨れ上がり、難易度も際限なく増してしまうだろう。そして瞬く間に教師の現状の力量を遥かに超えてしまうのではあるまいか。
ただでさえブラック化している学校であり、疲弊しきっている教師たちなのだ。現実離れした鈴木氏の主張は無責任であり、学校現場を破壊しかねないものだろう。
◎過去最多いじめや不登校の対応強化を…文科省通知
リシード 2024.11.7
いじめ、不登校への対応を強化しなければならないのは学校よりも文科省の方ではないのか…しかるべき誰か(首相等)が学校現場ではなく、文科省に対して厳しく対応強化の命令を出すべきではないのか…疑問は尽きない。
これ以上、学校側に負担のしわ寄せをすることが、どれほど現場を疲弊させてしまうのか、政治家や文科省の官僚たちは分かっているのだろうか…なぜ教員採用試験の倍率が低下し、教員不足がさらに深刻化しているのか、政治家や文科省の官僚たちは分かっているのだろうか…教育行政への疑念と憤懣は尽きない。
どうせ上意下達のピラミッド構造を抱える教育行政のことである。内閣から文科省へ、文科省から都道府県教委へ、都道府県教委から市町村教委へ、市町村教委から校長へ、校長から教師へ、教師から児童生徒や保護者へ…またまた退屈な伝言ゲームが延々と繰り返されるだけであろう。
伝言ゲームならば通知の当初の目的や趣旨は次々と換骨奪胎されて曖昧にされ、ただのお願いモードに変換されていき、結局は今まで通り、何の変化も無く、あたふたと日々が過ぎていくに違いない。この不毛さ…本気でイジメ問題や不登校問題の改善を図ろうとするならば文科省の一片の通達、通知ごときで事足りるわけがない。
校務の劇的な削減と合理化、専門性のある教師の確保と増員、無能で有害な管理職の排除、文科省及び教育委員会自体の組織変革…これらと一体化していない口先だけのイジメ・不登校対策にどれほどの実効性があろうか。
〇公立校教員に残業代支給を検討 定額廃止案、勤務時間を反映
共同通信 によるストーリー 2024.11.3
残業代を払うことで管理職に残業を減らすプレッシャーをかけ、教育界からブラック職場をなくしていく…そもそも、文科省、教育委員会、管理職側が教員の業務量を劇的に減らそうともしていないのに、そんなことがはたして可能なのだろうか。
現状ですら7~8年前から千葉県では管理職が残業をしないように教員に厳しくプレッシャーをかけており、昔と比べて学校に居残る教師の数は既に激減している。しかし学校のブラック化にはまったく歯止めがかからないし、若者の教職離れも止まらない。そうした現象は本当に教員が残業代をもらえないことに由来するのだろうか。
おそらく現場の教師たちにはそのカラクリが明確に見えているに違いない。実質的な業務量が減っていないにもかかわらず、教師たちは教頭などから命じられ、定時にイヤイヤ帰宅している。しかし、多くの教師は時間が足りずに校務を終えることが出来ていないので、家に持ち帰って寝る時間を削りながら仕事を済まそうとする。つまり表面的には確かに学校での残業は見られなくなったが、実際にはステルス化して自宅での残業がかつてなかったほどに長時間行われるようになったに過ぎない。昨今、校務で利用したパソコンやUSBなどを管理職の許可なく家に持ち帰ろうとして紛失する騒ぎが頻発した背景にも、こうした事情があったと思われる。
ただし、管理職側としては教師たちが定刻で帰宅するので、学校の光熱費を浮かせることが出来、自分たちも早く帰宅できる。教師たちの残業代もケチることができ、しかも学校での総残業時間数を減らすという麗しい業績も加味され、管理職たちはいよいよ教育委員会からプラスの評価を得られる。まさに一石二鳥、三鳥の、願ったりかなったりの「良案」なのであろう。
つまりこの現状のままではたとえ学校での残業に残業代が表向き支払われるようになったとしても、それは微々たるものに過ぎず、多くの教師はおそらく帰宅後のサービス残業を続けざるをえないという状況が延々と続いてしまうに違いない。誰もが残業代をまともにもらえることを今後とも望めないという点で、何一つ改善されることは無い、と考えた方が無難だろう。
こうした予想がたやすくできる現状では、今後、より一層若者の教職離れが続き、教員の休職は増え続けるだろう。今、石破政権が検討している残業代の支払いが決定されたとしても、かえって一律支給の教職調整額が減るだけになり、実質的に教員の給与はむしろマイナスになってしまうかもしれない。これが時の政権が進めている、いわゆる「働き方改革」の内実なのではあるまいか。
こんなまやかしを続ける限り、日本の公教育はさらに崩壊の一途をたどり、日本の経済力は急激に地に堕ちていくだろう。優秀な若者はいよいよ国外に流出し、無能な老害政治家ばかりが沈みゆく日本という船の中で特等席の座を争う、醜い椅子取りゲームをその終焉の時まで飽きることなく繰り広げていくのだろう。
〇現状4%の教員給与上乗せ 財務省「5年かけ条件クリアで10%へ」VS文科省「一気
に13%増を」 阿部文部科学大臣が財務省案を批判 「教育の質の低下につながる」
TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.11.12
この議論で文科省に決定的に欠けている視点は、教師たちの業務削減こそが給与の引き上げよりもはるかに緊急性を帯びた重要なテーマとされるべき点であることだろう。なぜ、教師たちの中途退職や長期の病休が増え続けてきたのか、なぜ若者の教職離れが止まらないのか、深刻な教師不足がなぜ今、生じてきたのか…
教師の業務量をひたすら増やし続けることを通じて政治家や文科省の官僚は自分たちの「手柄」をたててきたのではなかったか。文科省は、どうやら現在の学校教育の危機的状況を教育行政が自ら招いてしまった側面について、一片の責任をも感じようとしていないようである。
他方で財務省は教師の業務削減を条件にして給与の段階的引き上げを主張しているようだが、ある面では文科省よりも財務省の方がむしろ教師に対して筋を通してくれているように感じるが、いかがか。今の教師たちの心身を疲弊させているのはもっぱら膨大な業務量であり、給与の安さなどではない。したがって給与さえ引き上げれば今まで通り、教師たちに膨大な業務を引き受けさせられる…などと文科省側がこすからくも考えているとすれば、まさに噴飯物である。
現在、中学校を中心に部活動の地域移行が進行している。しかし地方によっては部活指導の受け皿がなかなか地域社会の中に見いだせず、移行はかなり難航しているようだ。しかも教師の業務として削減すべきは決して部活動指導だけではない。業務量の削減はDX化による効率化、合理化に加えて学校行事の削減、簡素化や教科再編、進路指導員の専門職化、スクールカウンセラー、スクールロイヤー、スクールケースワーカーなどの待遇改善と増員など、多岐にわたる。これらはいずれも長きにわたる教育行政の迷走と怠慢などが元で世界の進展に完全に後れを取ってしまった日本の学校教育がほぼ手つかずのまま山積みしてきた重要課題なのだ。
業務量の大幅な削減は一律の単純な給与引き上げに比べて膨大な費用と労力が必要とされる。それを避けたいがために文科省は給与の一律引き上げを掲げて世間の目をごまかそうとしているだけではないのか。
〇教員の給与制度、財務省の見直し案に「教師の職責を軽視」 教育関係23団体が緊急
声明 産経新聞 2024.11.15
文科省や教育関係23団体が財務省の教員給与制度見直し案に「教師の職責を軽視」するものだと反発しているようだが、いかがなものだろう。どうやら文科省と同じく教育関係団体は教職員定数の改善によって学校は「複雑化・困難化する(学校現場の)状況」に対応していくべきだといっているようだが、改革の方向性、ポイントが完全にずれているように思える。
むしろこれからは「教師の職責」自体をガンガン削減し、軽減していくべきではないのか。「複雑化・困難化する」学校現場の状況に対応していくなど、教師単独の力では明らかに無理である。一人の教師が心理カウンセラー、進路カウンセラー、社会福祉のケースワーカー、非行対策、情報処理、フィナンシャルプランナー、各スポーツや音楽、演劇などの指導に一定程度、通じていなければならない…とする現状の方があまりにも異常ではあるまいか。教師は「スーパーマンではない!」のだ。。
今こそ教師の職務を劇的に減らしていき、教師が授業準備に費やす時間をいかにして増やしていくのかを緊急にして最大の目標に据えるべきではないのか。
教員定数が増え、給与も増えるのだから、教師の職務、職責は減らすべきではない…これは文科省として極めて都合の良い論理となるだろう。教師の職務、職責を減らすとなれば、他の機関(たとえば社会教育機関)へ職務を移譲する必要が出てきてしまう。これは各方面からの抵抗が強く、人材、施設、予算の確保や調整がかなり面倒になる。しかし教師の職務の見直しを一切しない代わりに教師の定数を増やし、給与を引き上げることは文科省としてさほどの労力を必要としない。おそらく反発するのはほぼ財務省だけであろう。
私たちは普段から悪者視されがちな財務省に対していかにも弱者を気取る文科省とのやり取りを決して「判官贔屓」の眼差しで見てはなるまい。
○部活動の「週休2日」 厳格化した茨城で決着 緩和申請は激減
毎日新聞 によるストーリー 2024.8.3
生徒にはまずこの記事に対する感想を書かせたい。高校の部活動はこれまでどんなことが問題となっていたのか、そして今後、どうあるべきなのか、じっくり考えるための導入として利用できるだろう。
参考動画
◎【特集】学校現場で<人手不足が深刻化> 大学卒業してすぐ『2年2組』の学級担
任 小学校・新人教師の奮闘 学校の課題は?(宮城)
ミヤテレNEWS NNN 2024/07/20 7:56
「初任でいきなり全教科科目の授業と学級担任を持たせるのが普通」であることの異常なまでの酷さを日本の学校の関係者および部外者がどれだけきちんと自覚できるのか…これは日本の教師が直面している重大な困難さに多くの人々が気付いていく上で決定的なきっかけとなりうる動画の一つであろう。この事実を欧米の教師たちが知ったとしたら、その残酷さ、日本の教師が置かれているあまりの悲惨さに腰を抜かすほど驚嘆すること疑いなし、なのだ。先進国においては決してあってはならないこの異常事態がごく「普通」とされる日本の教育界の飛びぬけた異常性は一刻も早く、世界に向けて広く知らしむべきことである。もちろん、この異常事態は先進国においては極めて恥ずべきものとして厳しく糾弾されるはずのものだからだ。
仮に日本の小学校教師が全員、初任早々の段階で既に全教科科目をしっかりと教える力、さらには大して不安なく学級担任を担えるほどに十分な経験を持ち合わせているのならば、日本で起きている事態は決して異常とまでは言えない話となるかもしれない。しかし、たかだか4年程度の日本の大学教育でそんな力を身につけられる教師など一人としているわけがない。欧米と日本での教員養成教育の実態を少しでも知る者ならば、これは躊躇なく断言できる真理そのものである。
にもかかわらず、日本では新任教師に仕事を丸投げする。加えて初任研という重い負担がのしかかってくる。初任教師に対する過重負担の結果、児童生徒の学ぶ権利が大きく侵害されてしまう危険性については、なぜか一顧だにされない。しかもそれが「普通」なのである。したがってこれが異常ではない、と見なす日本の教育界の、初任教師および児童生徒の人権に対する呆れるほどの鈍感さに世界はまず瞠目すべきなのである。
授業では他の先進国の状況と比較させつつ、こうした日本の学校の異常性にまず気付かせたい。さらになぜ日本ではこうした異常事態が発生し、かつ「普通」のこととして長く放置されてきてしまったのか、その理由について教員養成の歴史的経緯を踏まえて問うてみたい。
・教師不足の背景にあるもの
○先生が足りない! 教員採用試験前倒しは解消に繋がる? 1クラス1人の担任制を廃
止し「チーム担任制」を導入した小学校も【news23】|
TBS NEWS DIG Powered by JNN 2024/06/18 12:12
◎「教員になりたい人がいない」ブラックな働き方が蔓延する「教育現場」最大の問
題とは? NewsPicks /ニューズピックス 2024/06/08 14:15
教員不足の原因を理解する上である程度、参考になるだろう。ただ部活動の問題の大きさがイマイチ、伝わってこないのは残念。「定額働かせ放題」「やりがい搾取」という実態の深堀がやや足りないようである。しかし横浜創英の試みは問題解消を考える上で大きなヒントになるだろう。
生徒たちには教員不足の原因と制度的な問題に加えて画一的、管理主義的な教育行政や一斉講義形式の問題点も触れておきたい。
まずは視聴する前に教員不足のデータを示して、不足の理由を推理させたい。さらに視聴後、番組内で指摘されている原因を整理し、生徒たちの挙げた理由とあわせてどの原因、理由が大きいのか、それぞれの比重をアンケートで問いたい。
参考記事
◎高ストレスの教職員は上昇傾向…公立学校共済組合
リシード 2024.7.16
教師のストレス要因として事務仕事がトップに挙げられている点に注目したい。このところの働き方改革や校務のDX化が、かえってブルシットジョブを増大させ、教師の精神的余裕を失わせている傾向がうかがえるのではあるまいか。またこの調査の主体が利害関係の強い日教組や文科省ではないことは極めて重要であろう。比較的、結果を信用できそうな大規模調査としてこのデータはかなり貴重なものと考える。
残業時間の減少がストレス軽減に直結していない理由とは何であろう。また部活動負担の軽減も教師のストレス軽減に必ずしも直結していないように見受けられる。教師のストレスの二大要因が事務仕事と人間関係にあることは、一体何を意味しているのか、じっくりと分析すべきポイントだろう。
管理職による校内での仕事分担の不手際や教師間における負担の平準化が進んでいない(特定の教師群への仕事の集中…)、事務仕事のDX化が上手くできていない、文科省や教育委員会からの文書、調査依頼があまりにも多い、教育委員会への報告書類があまりにも多い、肝心の授業改善がイマイチ進んでいない、教師の自主的取り組みが評価されずにむしろ抑制されている、管理職や先輩教師によるセクハラやパワハラが見られる、教師間でのチームワークが機能せず、責任のなすりあい、教師間でのイジメや対立が見られる…教師のストレス要因は他にもまだまだ沢山あるだろう。
授業では教師のストレス要因としてどんなものが考えられるのか、できるだけ数多く挙げさせ、その結果を踏まえてそれぞれのストレス負荷量を推察させるアンケートを行うと面白いだろう。現在の学校が直面している問題の本質がどこにあるのか、生徒たちにもぜひ考えさせたい。
◎小学校プールの水出しっぱなし「教諭への賠償請求撤回を」 6杯分で95万円、川崎
労連が請願 東京新聞 2024.6.19
身近な話題なので授業で取り上げたい記事。まずは川崎市教委の損害賠償請求についてどう思うか、生徒たちの意見をアンケートで確認したい。さらにどうすればこうした過失を防げるのかを含めて今後の対応策を考えさせたい。
性加害やイジメ放置などのような教育委員会側に任命責任や管理責任を厳しく問われる教員の不祥事の場合には無理くり隠蔽を図ったりするクセに、一見、個人的に見える過失で生じた賠償問題は平気で教員側の全面的責任とする…そんな川崎市教委の冷酷さ、無恥厚顔さにはひたすら呆れてしまう。プールの水を出しっ放しにしてしまった教師の過失責任が部分的に問われるのは当然だが、あくまでもこれは公務上の過失であり、管理職や教育委員会が負うべき責任もそれなりにあるだろう。
同様の案件はグランドの散水栓の締め忘れ等でも少なからず起こりうる。仮にこうした過失を管理職や教育委員会が部活動の顧問の全面的な個人責任に帰する、としたならばいかがなものだろう。あまりにもその非情な措置に対して教師の多くが強く反発するに違いない。ただでさえ不足しがちな運動部の顧問が今後、一層ひっ迫する事態を招くだろうし、教師たちの仕事に対する熱意は今後、急速に減退するだろう。
特に問題なのは部活動顧問の献身的、犠牲的活動によってこれまで長く支えられてきた学校スポーツの実情を本来ならば熟知しているはずの教育委員会が、こうしたトカゲの尻尾切りのような惨い仕打ちをすることにおそらく何らのためらいや不安を覚えなかったことである。今後、この賠償請求を境に学校現場の教師たちと教育委員会との間の齟齬や対立が一層、深刻化することになるのは間違いあるまい。そうしたことへの懸念は教育委員会側に無かったのだろうか。無かったとすれば教育委員会のメンバーの資質こそ厳しく問われるはずだ。
教育委員会の判断はおそらく教師の過失による損害を市民の税金で埋めようとするのはケシカランとの声(市民や議会からの)に押されての事だろう。ならば、なぜ、教育委員会は日ごろの教師による自己犠牲的な働きによって学校教育が辛うじて成り立っているという現状を強く議会や市民に向けて訴えないのだろうか。
実はタイムカードが導入されていても教師の労働時間が実際よりもかなり少なめに記録され、報告されている、という学校の裏事情、カラクリが背後にあるからかもしれない。厳しく「働き方改革」をノルマとして強要されている学校現場では教師の業務がほとんど減らされていないのに、定時退勤ばかりが義務付けられている。その結果、かなりの残業が教師の自宅に持ち帰られていて、もちろんそれは残業としてカウントされない(自宅で残業するためにUSBの持ち帰りが多いため、その紛失が度々放報道される背景に、校務の持ち帰りが常態化している、という近年の状況がある)。教師たちが校務を自宅に持ち帰らなければ自分の職責を果たすことはほぼ不可能な現実があるからだ。
にもかかわらず管理職や教育委員会の責任が問われぬよう、様々な仕掛けによって表面的には教師たちの残業時間が減っていかにも働き方改革が順調に進展しているように見せかけている。この事実はもちろん管理職および教育委員会として絶対に口外はできない。つまり教師の実質の負担は減っていないので、プールの件のような過失が生じてしまっても不思議ではないほどに教師たちは時間的にも体力的にも追い詰められ、疲労困憊している。
学校のブラック化に対する認識は一部を除いて市民や政治家の間ではなかなか共有されておらず、結局はこうした案件が教師の自己責任として包括されてしまう。だからこそ教師の中途退職や休職が減らず、人手不足に慢性的に悩まされる。結果的に若者の教職志望者は減り続けるほかないのだ。
◎教員の処遇改善案に意見1万8千件 「残業代なし」再検討求める声も
朝日新聞社 によるストーリー 2024.7.26
教員の処遇改善案に対する中教審の答申を含む多くの意見の圧倒的な不毛さとピンボケぶりには呆れるほかあるまい。学校教育に関する、一刻を争う課題とは一体何だったのか、今一度確認すべきだろう。即刻着手すべきはこれまでのような上辺だけ、見せかけだけの残業時間削減策などではなく、実質的な業務量の大幅な軽減の方ではなかったか。教師負担の大胆な削減こそが最も急がれている課題なのであり、決して残業代の個別支給導入や上乗せ分を4%から10%に引き上げることなどではあるまい。それらは基本的に教師の負担軽減には直結しないものであり、決して今、急いで議論すべき内容ではない。あまりにも議論がズレすぎてはいまいか。
膨大に膨れ上がった事務仕事のDX化による負担軽減策に加えて部活動指導や学校行事の大胆な精選を進め、無駄な会議や研修の見直しなどを行って通常、教師が残業しなくとも済む状態に持っていく…これらが実現されることこそ、教師たちが最も渇望していることであるはず。
次に取り組むべきは教師のやりがいを損なってきた、画一的で管理主義的な教育行政側の改革と授業のあり方及び授業評価の見直しである。この期に及んで小手先の弥縫策ばかり論じていてはさらに教職希望者の数を減らすだけであろう。
〇進まぬ学校現場の「働き方改革」 精神疾患で離職の教員増加
毎日新聞 によるストーリー 2024.6.18
一体何に教師たちは追い詰められているのか、教師の精神的破綻の原因を思いつく限り列挙させ、本質的な課題が何なのか、生徒たちに推理させてみたい。
◎先生が足りない! 教員採用試験前倒しは解消に繋がる? 1クラス1人の担任制を廃
止し「チーム担任制」を導入した小学校も【news23】
TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.6.18
論点がよく整理されていて問題点を把握しやすい。ただし本質的には画一的で管理主義的な教育制度に教師不足の原因があるという立場からすると物足りなさは残る。
〇教育社会学者・内田良氏 教員のタダ働きに甘える“学校依存社会”に警鐘
日刊ゲンダイDIGITAL によるストーリー 2024.6.10
〇固定残業制って「定額働かせ放題」なんですか? 定時で帰れば「得」のように思う
のですが、ブラック企業なのでしょうか? 避けたほうが良いですか…?
ファイナンシャルフィールド によるストーリー 2024.4
この記事によると日本の学校はブラック企業であり、避けた方が良い、との結論になるだろう。以下の記事と併せて読ませたい。
◎「1日削っておいたから」。長時間労働をごまかさざるを得ない先生たちの働き方改
革 AERA dot. 朝日新聞取材班 の意見 2024.5.29
各種の勤務時間の調査が現実の勤務状況をほとんど反映していない…という事実は学校現場では当たり前過ぎて昔から話題にもならなかった。そんな職場にタイムカードを導入してもその結果を信用できるはずはない。抜け道はいくらでもある。そもそも勤務時間の超過は管理職からすれば教師個人の無能さ、要領の悪さ、自己管理能力の低さと見なされ、基本的には教師個々人の自己責任と捉えられがちであることを教師たちは残念なほどによく心得ている。
実際、時間超過するような教師の存在は管理職の管理責任が問われる分だけ管理職にとっては迷惑千万な存在に過ぎないだろう。したがって常に周囲への忖度を強いられている教師としては管理職の指示を待つこともなく、多くの教師が早い段階から自ら時間超過分を削るなどして勤務時間を相当程度ごまかし続けている。このことは今に始まったことではない。
時間超過の原因は多くの場合、部活動であり、他に保護者との面談や家庭訪問、補講、学校行事なども原因となる。当然、学級担任で部活動の主たる顧問である場合、そもそもが時間超過無しでまっとうに勤務できるはずがない…というのが学校の実情である。
確かに独自の教材作りなどで部活動の指導後も学校に居続ける授業作りの意欲に満ちた見込みのある若い教師が、要領が悪くて自己管理能力のない、ダメ教師との烙印を一方的に押されてしまうのは納得しがたい。教師が本当に削るべき時間はむしろ部活動の時間であることは明白であろうが、学校教育における部活動の教育効果を過信し、部活動の地域社会への移管を快く思わない教師は少なくない。特に管理職には部活動万歳の立場にある教師が多いように感じられるが、いかがだろう。
労働基準法の精神が無視されている職場で生徒たちに労働者の権利をまともに教えられるはずはない…社会科教師としての自己矛盾もまた精神的苦悩の一つであった。
◎「妊娠は夏以降に」。管理職はそう告げた。産休にふさわしい時期まで教育現場は
指導する AERA dot. 朝日新聞取材班 の意見 2024.5.28
このようなブラック化した学校現場の状況を大学での教員養成課程ではどこまで教えられているのか…文科省や政治家はどこまで把握しているのか…はなはだ疑問である。教員の給与を一律引き上げれば教員志望者が増えると期待するような甘いレベルの認識では学校が直面している困難さを何一つ解決できないだろう。
部活動の一部を地域に移管できたところで教員の負担は大して軽減できやしない。政治家や官僚、教育委員会の連中が得点稼ぎのためにひたすら教員の仕事を増やしてきたこれまでの教育行政のあり方を根本的に見直していかない限り、今後も若者がこぞって教職を目指すことはあるまい。
◎保護者が知らない「『経済的に豊かな家庭が多い』中学ほど部活動で教員が自腹を切
っている」という意外な現状 プレジデントオンライン
福嶋 尚子,栁澤 靖明,古殿 真大 によるストーリー 2024.5.30
◎未納の修学旅行費を担任が肩代わりする…「教師の自腹」なしに教育が成り立たなく
なった公立学校の大問題 プレジデントオンライン
福嶋 尚子,栁澤 靖明,古殿 真大 によるストーリー 2024.5.28
これも教員側からは言い出しにくいが、意外にも学校のブラック化において大きな比重を占める、見過ごすことの出来ない大問題であると感じている。この記事では小学校教師を例にしているが、中学校や高校では部活動での自腹問題が重大となる。もちろん、高校でも修学旅行や卒業アルバムを自腹で払ってあげる教師がいないわけではない。しかし教育困難校においては生活に困っている家庭があまりにも多いため、現実的には修学旅行、卒アルで自腹を切る教員は極めて少ないだろう。
高校教師で自腹を切るとすればそれはもっぱら部活動と文化祭、体育祭、それに独自教材に関するものとなる。部活動の場合、生徒会の予算だけでは不足する部がかなり多い。野球部や吹奏楽などは部員たちから毎月のように活動費を徴収するのが当たり前になっている。しかも熱心な部活となれば遠征が加わるため、徴収した金額でも足りなくなる。そして顧問がこっそりと自腹を切る場面は決して少なくない。中高の部活動は多くの場合、顧問たちの自己犠牲なしでは実質ほとんど成り立たなくなっているのが現状であろう。
クラス担任であれば文化祭や体育祭でジュース等をクラス全員に奢るのは当たり前となっている。それ以外の持ち出しも少なからずある。独自教材を用いる教師の場合には授業の創意工夫のための出費が人によってはかなりの金額に膨れ上がる。もちろん金銭だけではなく、独自教材を手に入れるための労力と時間もそれなりにつぎ込む必要がある。生徒たちを惹きつける授業を目指すならば、教科によって程度の差はあるものの、独自教材の開発は必要不可欠と言える。
教師の自腹はもう、教師集団においては完全に暗黙の慣習と化してしまっていると見て間違いない。しかしこの記事で指摘されている通り、自腹の弊害も決して小さくはない。とはいえ組合が完全に弱体化し、職員会議も形骸化している現状の学校現場では教師たちが連帯して学校の予算を増やす方向で動くことへの無力感、抵抗感はあまりにも大きい。現実的な打開策はやはり部活動を学校教育から完全に切り離し、学校行事の精選を進めるしかない、と思うがいかがだろう。教師の自腹が許されるとしたら、それは独自教材の開発、作成に限定されると思うのだが…
○莫大な業務量、児童の暴言、保護者のクレーム…教員のメンタルヘルス対策模索す
る自治体 産経新聞 2024.3.26
急ぐべきは対症療法ではなく、業務量の大幅な削減だろう。
○先生はスーパーマンじゃない。――なぜ、学校はすごく忙しくなったのか?
妹尾昌俊 YAHOO!JAPANニュース 2022.7/30(土) 16:56
〇 “スーパーマン教員”はいない 複雑化した小中学校の仕事をこなせるか? 学校の過
酷な環境 AERA dot. 2023.6.26
○6割が「子や知人に教員の仕事勧めたくない」 教員アンケートに回答
朝日新聞社 によるストーリー 2024.2.27
高知県でのアンケート結果だが、学校教育畑ではなく経済界が実施した調査であるため、その結果はかなり信用できるだろう。私も二人の子供に対してかねてから教師にだけはなるな、と言ってきた。多くの教師がかつてOECDの調査で二度と教師にはなりたくない、と答えていたのだからこれは当然の結果であり、何一つ、教師を取り巻く状況が当時から改善されていないことを物語っている。文科省はこのことについていまだにまともな認識一つ持てていない。だからこそ、現役教師たちも教職の将来に絶望しているのだ。
◎1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場 タバコ・喧嘩・妊娠で退学が日常茶飯
事だった 東洋経済オンライン濱井 正吾 の意見 2024.6.6
「…入学して1年で270人いた同級生のうち、20人が退学…」とあるが一般的に言ってこの程度の退学者では「教育困難校」と呼ぶのはいかがかと思う。20数年前、千葉県では毎年100人以上の退学者が出る県立高校が3校、名指しで新聞に取り上げられたことがある。当時、全日制普通科の場合、1学年8クラスで320人ほどの規模の高校が多かった時代である。そして三年間を通じて最も退学者が多いのは通常1年生であり、ほぼ総退学者数の6割以上を占めていた。したがって320人の入学者が一年次に退学する人数は千葉県の場合、トップクラスの困難校で60人以上だったと見なされる。実際、私がいた高校の10年目の1年生は入学者240人中、60人以上が退学した。
実は当時、私の勤務校の状況が急速に悪化していたため、組合の教育困難校対策委員会に掛け合い、県教委に教員の加配を交渉したことがあった。交渉の中で県下の複数の困難校の状況をある程度、把握していた自分からすれば、270人中20人の退学者数では県教委として教師の加配を検討する俎上には乗るはずのない、極めて軽微な状況である。記事にあるレベルの退学率を「困難校」とするならば、当時の県内ではおそらく60校ほどが「困難校」とされてしまうだろう。
その後、生徒数が減少していき、当時、教育困難校と呼ばれていた高校の多くは1学年3~4クラスで1学年100人前後(一番厳しい状況の困難校では例年一定の定員割れのまま入学式を迎えている)でスタートしており、一年次の退学者数は平均して20人越えしていると思うが、いかがだろう。退学率15%あたりを超えた高校を「教育困難校」と定義したほうが良いのではあるまいか。
もちろん近年はかつての困難校の多くが県教委から生徒指導上の特例校とされて手厚い指導と配慮の下、徐々に退学者数が減少しており、中には平和を取り戻した学校も少なくないらしい。県全体の児童生徒数の減少も状況の改善に貢献している可能性はあるだろう。とはいえ、特例校とされなかった学校などではむしろ状況が急速に悪化し、入試での定員割れが常態化する中で以前よりも授業の成立が難しくなってしまった学校もあるようだ。つまり困難校の総数自体は大して変動したわけではなく、ただの「モグラたたき」が無駄に繰り返されているに過ぎないのではあるまいか。
「崩壊する都内底辺校」と記事にあるが、退学率が10%も満たないレベルで高校が「崩壊」するとしたならば、千葉県の県立高校の3割以上は既に「崩壊」していることになってしまうだろう。むしろ退学者数の多寡とは無関係な、教育の本質的な側面で公立高校が「崩壊」している、との議論ならばそれなりの意義が見いだせるが、この記事の内容は千葉県の困難校の現状とはあまりにもズレがありすぎていてどうも説得力を欠いているように思える。もう少し困難校の実態について広く、深くしっかりと取材したほうが良いのではあるまいか。
・公立小中学校教員の疲弊 深刻化 信濃毎日新聞デジタル 2022/08/18 21:03
〇なぜ私たちは「誰も見ない書類作成」「文書の体裁をいい感じにする仕事」に忙殺
されるのか 現代ビジネス 酒井 隆史 の意見 2023.12.23
○【独自】公立小中高校などの3割が教員不足が「悪化」定年61歳引き上げも
「数十人規模退職」の事例も 文科省調査
FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.7.8
なぜ教員不足が生じているのか、原因追及の姿勢がまったく見られず、教育委員会や学校現場の努力不足ばかりが責められている。こんな下らない調査を繰り返しているヒマがあるなら、教育行政のあり方への見直しを急いでもらいたい。
〇教員不足解消へ全国調査 文科省、教委の具体策確認
共同通信社 によるストーリー 2024.1.23
教員不足の原因はあたかも教委の努力、工夫の不足だと言わんばかりの文科省官僚の居丈高な姿勢がこの調査の背景に見えてこないだろうか。長い間にわたり教師による独自の努力工夫の芽を摘まみ、踏みにじり、ブルシットジョブの嵐で体力、気力、時間を教師から奪い続けた挙句の教員不足ではないのか。犯人が自分の罪を棚に上げて犯行原因をこともあろうに犯行の被害者に捜査させようという、凄まじいほどの倒錯、転倒が起きている。そもそもこの調査自体がブルシットジョブそのものだろう。文科省の言う事を素直に聞いていればこんなことにはならなかったはずだ…ということか。ただの罰として強制される、まったく無意味な調査を最も忙しい冬の時期にやらされる身にもなってもらいたい。
○子どもは「やる気のない大人」をよく見ている…日本の若者が「自分自身に満足できな
い」根本原因 プレジデントオンライン 中島 輝 の意見 2024.4.18
生徒たちに日本の若者の自己肯定感が低い原因を考えさせたい。「やる気のない大人」とは誰なのか…それは児童生徒にとって親以外で最も接触の多い大人である教師を指すのかもしれない。世の中を変えようとする意気込みに欠けるのは若者だけではあるまい。協調を強いて周囲の空気を読ませる訓練を繰り返してきた、画一的で管理主義がはびこる日本の学校教育の影響がこうした意識調査に色濃く表れてしまっているのではあるまいか。若者の間に教師志望者が減少してきた理由もまた「やる気のない大人」=学校教師を目の前にしてきた若者たちの過去が反映されているのではあるまいか。
〇乙武洋匡氏 文科省の〝教員不足〟打開策に怒り「何のための調査だ」
東スポWEB によるストーリー 2024.1.24
同感である。
〇日本の教育現場にはもっと多様な人材が必要
ニューズウィーク日本版 によるストーリー 2024.1.24
多様な人材を登用することは重要であるが、変に教職への敷居を下げてしまう事には賛成できない。各教科における授業力の向上が求められる現在、大学での教科教育に関わる単位数を増やし、かつ授業内容や方法の徹底的な見直し(講義形式は廃止して実習形式に切り替えるべき)と充実が急がれるはず。
一方で教育原理、教育法規等は無くすか、最小限のものにとどめたい。今後は教職の専門性を高めるためにも「何でも屋」の採用は辞めて、専門教科・科目への深い知識と高い授業技術の持ち主が教職に就くべきだろう。特に小学校での複数教科の担当はこの時代、完全な無理ゲーである。授業力の向上のために大学院修了を前提とする北欧のシステムが財政難の日本では無理としても、せめて教師の仕事を授業に集中させるためにも部活動や学校行事、事務仕事の削減を大胆に進める必要はあるだろう。
まずは学校自体が「何でも屋」になってしまっている現状を打開すべきである。
◎担当授業数が多過ぎて… 小学校教員8割が負担感 「休憩時間に丸付け」 市民団体
「上限設けて」東京新聞 2024.1.18
あらゆる業務が過重負担と化している中で最も重要な職務であるはずの授業への負担感の大きさは教師にとって致命的だと思うが、いかがだろう。
◎【過労死】なぜ労働時間が減っても精神障害による労災が増加しているのか?働き
方改革の“ゆがみ”とは【クロ現】 | NHK 2023/12/09 10:15
業務量の削減を伴わない、形式的な働き方改革の強制はかえって労働現場を悪化させるだろう。スケジュールの過密化、持ち帰り残業の増加、中間管理職の疲弊…働き方改革を謳う企業でかえって肉体的、精神的に追い詰められる社員が表面化しているという。これは学校現場でも生じてきている現象なのではあるまいか。
○うつ病など労災認定は過去最多 なぜ「働き方改革」で労働環境が改善されないのか
AERA dot. 野村昌二 によるストーリー 2024.1.31
形式的な働き方改革のツケが弱者に回されているこの状況は、公務員の世界でも見られるだろう。学校での業務を根本から見直さなければ教師不足は進む一方である。
2021年、文科省は「これからの社会と教員に求められる資質能力」の中で「地球的視野に立って行動するための資質能力(地球、国家、人間等に関する適切な理解、豊かな人間性、国際社会で必要とされる基本的資質能力)、変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力(課題探求能力等に関わるもの、人間関係に関わるもの、社会の変化に適応するための知識及び技術)、教員の職務から必然的に求められる資質能力(幼児・児童・生徒や教育の在り方に関する適切な理解、教職に対する愛着、誇り、一体感、教科指導、生徒指導等のための知識、技能及び態度)」及び「画一的な教員像を求めることは避け、生涯にわたり資質能力の向上を図るという前提に立って、全教員に共通に求められる基礎的・基本的な資質能力を確保するとともに、積極的に各人の得意分野づくりや個性の伸長を図ることが大切であること」などと教員に対して明らかに過剰なまでの総花的な要求を、さも偉そうにこれでもかというばかりに列挙してきた。列挙された資質能力のすべてを政治家や官僚ならば有り余るほど豊富に持っている、と言わんばかりの尊大さである。
いやはや、学校現場への無理解にも程がある。もうウンザリである。妹尾氏が指摘しているように教員は決して超能力者でもスーパーマンでもない。しかもこれまで長いこと教師の個性をひたすら圧殺し、教科書検定を通じて教える内容の自由をギリギリまで制限し、増やせるだけ仕事を増やす事で教員から資質能力伸長の自主的機会をひたすら奪い続けてきたのはどこのどなただろう。
一体、どの口が厚かましくも「積極的に各人の得意分野づくりや個性の伸長を図ることが大切である」と言うのか。
本をただせば大学での教員養成教育の制度的なお粗末さと教員採用試験における合格基準の「うさん臭さ」の中に教員の資質問題が生じてしまう源流があるはず。大学でまともな教師養成教育を受けないまま、なぜ自分が採用されたのか(ただのコネなのかもしれない…)、その基準すら分からないうちに学校現場に立たされた教師に、はたして教師としてのまっとうな自尊感情が育つのだろうか?
しかも教師となった瞬間から目の回るような忙しさでかく乱されまくり、ついには肝心の授業準備を後回しにするような働き方を強いる教員社会の異様な同調圧力の中で、一体、誰が文科省の要求する総花的な資質能力を身につけられると思っているのだろうか。そして国はなぜこんな簡単なことすら、分かろうとしないのだろう。
学校のブラック化が通常の人間の忍耐力の限界点まで進行してしまった現状では、既に採用された教師に働きかけても無意味であり、完璧な無駄。そんなことは決まり切っているではないか。
盗人猛々しくも上から目線で一方的に教師の資質能力の不足ばかりを言い募ってくるこの厚かましさ、まれに見る鈍感さ・・・呆れるほかない。
辛うじて現場に止まってきた教師達の教育行政への不満や不信感は既に沸点に達しているといっても過言ではあるまい。教師達の教育行政への不信は「諦め」を通り越し、とっくの昔に「絶望」の域に達しつつある。
その事を心ある正常な官僚のせめて一人くらいはこの際、是非ともご理解していただきたい。
というか、なぜ、文科省の官僚は誰一人、困難校の実態を視察に来ないのか…
不思議を通り越して怒りしか湧いてこない。
○「俺、何やってるんだろう」部活動“顧問強制”やめて やりたくないのに負担…「授
業の準備できず」教職員が組合結成
FNNプライムオンライン によるストーリー 2024.2.21
○教頭ら管理職の2割が「過労死ライン」 千葉県教委調査
朝日新聞社 によるストーリー 2024.3.29
「働き方改革」がうまく進まないのは教師の意識に起因するという教育委員会担当者の厚顔無恥な発言には戦慄と絶望すらおぼえる。これまで学校現場の仕事をひたすら増やすことで手柄を立てて出世しようとしてきた張本人が一切、反省や謝罪の意識すら持たない…学校のブラック化の大きな原因が教育行政にもあることにまったく目を向ける事のできない連中がまたぞろ校長となって学校現場を今まで以上にブラック一色に染め上げていくのだろう。千葉県の高校教育には絶望しか残るまい。
参考動画
◎「全て他人のせい」日本人に主体性が育たない背景とは?レジェンド校長“工藤勇
一”が指摘する「教育の大問題」【成田修造/宮村優子/平川理恵/西村祐二】
NewsPicks /ニューズピックス 2024/05/18 14:39
◎「みんな仲良くなんてできない」先生主体のいじめ対応が子ども自身の解決能力を
奪う。当事者の生徒達が自ら考え、いじめを解決に導く方法とは?【工藤勇一/平川
理恵/西村祐二/成田修造/宮村優子】
NewsPicks /ニューズピックス 2024/05/25 14:31
工藤氏の主張のポイントは日本の教師の児童生徒への過干渉と管理主義が児童生徒の自主性、当事者意識、主権者意識を損なっている、という点にあるだろう。またこの主張を少し敷衍してみれば教師の過干渉と管理主義が同時に教師の多忙化、学校のブラック化の大きな要因ともなっている可能性に行きつくかもしれない。さらに教師と児童生徒との関係性は教育行政と個々の学校現場との関係性と同質の側面を有しており、行政側の現場への過干渉や管理主義が個々の学校や教師の主体性、当事者意識を損ねるものとなっていると思われる。
日本の教師の過干渉と管理主義は必然的に日本国民の間になかなか民主主義が根付いていかなかった歴史と大いに重なるはずである。そして当事者意識を持って社会問題に主体的に関わろうとする意識を児童生徒らに育むには工藤氏の、議論を柱とする授業こそが求められると考えるが、いかがか。
イジメ問題の発生を児童生徒たちの主体性、当事者意識、主権者意識を育むうえでの絶好の機会と捉える工藤氏の逆転の発想はイジメ隠蔽に傾く日本の教師たちを過剰支配と過剰労働の悪循環から救い出す力をも秘めているのではあるまいか。