46.馬頭観音について

 

 

   馬頭観音はヒンドゥー教のビシュヌ神に由来。馬が草を食む如く余念なく、馬が疾走する如く迅速に衆生の救済を図る。観音菩薩でありながら忿怒形をとるのは人間の根深い煩悩を容赦なく打ち砕くため。生前に悪行をしたため畜生に生まれ変わって畜生道に苦しむ者を救済するという仏。江戸期、馬の守護仏として信仰を集めた。「市原の馬頭観音」(市原市石造物同好会 1995)によると市内には415基確認されている。根田共同墓地にある延宝元年(1673)のものが最古。

 船橋市内でも415基確認されている。中世まで単独で祀られるケースはほとんど無かったが、近世になって馬が参勤交代などで人や物資の輸送に民衆レベルでも必要とされるようになり、身近な存在になっていった。馬の守り神として、またとりわけ馬の供養のために頻繁に造立されるようになったようである。

 特に市原は房州往還、久留里道、伊南房州往還、大多喜道と人馬が行きかう街道が多く、馬を飼って農間稼ぎに年貢や薪炭の輸送をする農家が多かったため、馬頭観音が数多く祀られている。さらには村上の道標のように馬頭観音と道標をかねたものがあわせて20基も確認されている。

 

 

 下表に掲載された馬頭観音は江戸時代に限定してピックアップしたものである。総数で400を越える馬頭観音の内、近代以降のものは100基近く存在すると思われる。現状のデータ数はまだ江戸期馬頭観音の総数300基程度の内、おそらく二分の一程でわずかな数のデータに過ぎない。ただそれでもおよその傾向は表から読み取れよう。

 まず江戸期前半(延享・寛延期以前)の作例が極めて少ない点で、庚申塔とは対照的である。またこの表からは読み取れないが、基本的に江戸前期のものはサイズが余り大きくない点でも庚申塔と好対照。18世紀中頃から少しずつ大きくて立派な物が祀られるようになるが、他方でかなり小さなものも造られ続けている(たとえば久留里街道の道標を兼ねた馬頭観音の場合には村上や今富のもののような手の込んだ大きめサイズのものが出現してくるが、一般の農民が飼い馬の供養塔として建てたと思われるものはむしろ小さなものが多い)。また小さな塔の場合には19世紀以降、急速に文字塔が増えてくる。おそらくサイズが小さくてかつ文字塔であれば相当安価であり、一般農民でも購入できたのだろう。裏を返せば多くの一般農民が駄賃稼ぎのために19世紀以降、馬を飼い始めたことが推察できる。なお文字塔で大きなサイズのものは道標を兼ねることがある。

 ところで頭上に天衣を翻した様子を表現した一群の馬頭観音像がある。豊成不動院(年代不明)、海保中谷路傍(年代不明)、柏原持宝院(安永6年=1777)、立野公民館(馬乗り型:安永6年=1777)、廿五里墓地(安永9年=1780)、島野三光院(天明2年=1782)、不入斗西光院近く(馬乗り型:享和3年=1803)、袖ケ浦代宿(馬乗り型:文化5年=1808)の8基。所在地はいずれも養老川左岸、姉崎周辺であり、同じ工房の作品と推定されよう。

 

 

 また変わり種の馬頭観音として「馬乗り馬頭観音」が知られている。「房総の馬乗り馬頭観音」(町田茂 たけしま出版 2004)によると市内で計22基確認されている。町田茂氏によると房総特有の「馬乗り馬頭観音」は市原・袖ケ浦周辺と東総地区に集中的に存在するという。

 

 

 長野や新潟、群馬などにも散在するが数は少ない。総数300近くある内、県内は242基、市内では22基確認されている。最古の馬乗り馬頭観音は今のところ、群馬県吾妻町の元禄14年(1701)のもの。県内では市原市国吉の元禄17年(1704)、菊間の宝永2年(1705)が最古級。なお「馬乗り」の形態は庚申塔の青面金剛が邪鬼を踏みつけているポーズを基本モデルに、馬の守護神としても信仰を集めた馬頭観音が「馬に乗っている」…という発想が自然発生的に各地で生じた結果であろうと町田氏は考えている。

 

市内の江戸期に属する主な馬頭観音(馬乗り・文字塔含む年代順一覧表)

 

所在地

年代

特色

1

五井下谷墓地

延宝4年=1676

舟型・破損

2

吉沢妙見神社

元禄13年=1700

舟型・破損

3

東国吉片野宅近く

元禄17年=1704

馬乗り

4

葉木共同墓地

正徳3年=1713

舟型

5

松ヶ島涼風庵

享保4年=1719

舟型

6

五井下谷墓地

享保7年=1722

舟型・破損大

7

市原光善寺

享保8年=1723

舟型・破損

8

若宮道祖神

享保10年=1725

舟型

9

藤井霊園

享保12年=1727

舟型

10

飯沼龍昌寺

享保19年=1734

 

11

西広西廣院無縁塔内

延享3年=1746

舟型

12

畑木医王寺

同年

駒型・文字

13

君塚明光院

延享4年=1747

舟型・良好

14

藤井霊園

延享5年=1748

舟型

15

勝間辰巳自動車学校近く

寛延元年=1748

山舟型

16

出津神光寺

宝暦3年=1753

 

17

国本81号線路傍

宝暦4年=1754

舟型・良好

18

松ヶ島涼風庵

宝暦5年=1755

山舟型

19

郡本大堰近く

宝暦7年=1757

舟型・良好

20

山倉墓地

宝暦8年=1758

山舟

21

岩野見墓地

宝暦10年=1760

駒型・道標

22

今富路傍

宝暦11年=1761

廻国塔・櫛型

23

田淵信野観音堂

宝暦12年=1762

舟型

24

山木三差路近く

宝暦13年=1763

 

25

能満公民館北路傍

宝暦14年=1764

舟型

26

嶋穴神社近く路傍

明和2年=1765

笠付角柱・道標

27

大桶日枝神社下

同年

舟型

28

新巻正福寺

同年

舟型

29

村上路傍

明和3年=1766

駒型・道標

30

西野共同墓地内

明和5年=1768

山舟

31

惣社国分寺

明和6年=1769

山舟

32

大坪龍興寺裏

明和7年=1770

舟型

33

白塚共同墓地

安永4年=1775

馬乗り

34

椎津新田

安永5年=1776

馬乗り

35

町田路傍

安永6年=1777

駒型・道標

36

門前路傍

同年

山舟・道標

37

柏原持宝院

同年

笠付角柱

38

立野公民館

同年

馬乗り

39

小田部宝泉寺近く

安永8年=1779

舟型

40

廿五里墓地

安永9年=1780

笠付角柱

41

畑木三山塚

同年

馬乗り

42

山田橋養福寺

安永10年=1781

駒型

43

新生祐厳寺

同年

笠付角柱

44

惣社国分寺

天明2年=1782

舟型・道標

45

安須霊園近く

同年

笠付角柱

46

島野三光院

同年

山舟・道標

47

今富路傍

同年

駒型・道標

48

古都辺青年館近く

天明5年=1785

櫛型?

49

本郷西光寺北西

天明6年=1786

駒型

50

養老長泉寺

天明7年=1787

舟型

51

田淵耕昌寺

寛政元年=1789

馬乗り

52

松ヶ島涼風庵

寛政2年=1790

舟型

53

今津朝山延命寺

寛政4年=1792

馬乗り

54

中高根寺之下路傍

同年

文字・櫛型

55

山木白幡小学校近く

同年

山舟・坐像

56

玉前墓地近く

寛政5年=1793

山舟型

57

風戸日光寺

同年

馬乗り

58

土宇路傍

同年

馬乗り・道標

59

磯ヶ谷八幡

同年

舟型

60

市原東第一公園

寛政7年=1795

舟型

61

荻作バス停近く

寛政8年=1796

山舟型

62

姉崎入口

同年

文字・道標

63

海上小学校近く

寛政9年=1797

舟型

64

神崎T字路近く

同年

山舟型

65

万田野路傍

同年

舟型

66

古都辺青年館近く

同年

祠型

67

八幡観音町旧道路傍

同年

山舟・凝灰岩

68

薮大泉寺

寛政10年=1798

舟型

69

五所西野谷

同年

舟型・良好

70

磯ヶ谷八幡

寛政11年=1799

舟型

71

柿木台平塚

同年

舟型・道標

72

能満日吉神社

寛政12年=1800

駒型

73

海士有木日枝神社裏

寛政年間

駒型・道標

74

月出東漸寺近く

享和2年=1802

舟型

75

栢橋墓地

同年

舟型

76

片又木法蓮寺

同年

山舟

77

不入斗西光院近く

享和3年=1803

馬乗り

78

小田部宝泉寺近く

同年

舟型

79

海士有木297号沿い

同年

文字・題目等

80

万田野自治会館

同年

舟型

81

海保路傍

文化2年=1805

馬乗り

82

小谷田墓地

文化3年=1806

山舟型

83

潤井戸青年館前

同年

山舟型

84

豊成不動院

同年

舟型

85

浅井小向浅井橋近く

文化4年=1807

山舟型

86

牛久会館

同年

舟型

87

堀越橋近く

同年

丸彫り

88

島野宝前院

文化6年=1809

舟型

89

久々津公民館前

文化9年=1812

文字・駒型

90

金剛地天照皇大神宮近く

文化11年=1814

文字・駒型

91

高坂路傍

文化12年=1815

文字・櫛型

92

新井墓地

同年

舟型

93

椎津新田路傍

文化14年=1817

文字

94

五井中瀬墓地

同年

 

95

大桶日枝神社下

文化15年=1818

山舟型

96

松崎花ノ台旧道路傍

文化年間

道標・山型

97

山口音信山古道入り口

文化年間

駒型

98

豊成路傍

文政2年=1819

馬乗り

99

大桶日枝神社下

同年

山舟型

100

片又木法蓮寺

文政4年=1821

文字・駒型

101

牛久円明院

文政5年=1822

文字・香箱型

102

奈良の大仏近く

文政6年=1823

文字・祠型

103

外部田薬師

文政7年=1824

舟型

104

桜台山谷

同年

舟型

105

薮大泉寺

文政8年=1825

文字・櫛型

106

柳原共同墓地内

同年

文字・角柱

107

大戸山中の旧道沿い

同年

文字・香箱・道標

108

久保飯塚自治会館奥墓地

同年

道標・角柱

109

潤井戸青年館近く

文政9年=1826

祠型

110

権現堂満蔵院

文政10年=1827

櫛型

111

池和田光明寺近く

文政12年=1828

文字・山伏角柱

112

佐是光福寺

文政13年=1830

舟型

113

神崎墓地

同年

舟型

114

山倉圓楽寺

天保3年=1832

舟型

115

海士有木泰安寺山門脇

天保4年=1833

文字・駒型

116

石神路傍

天保6年=1835

馬乗り

117

西国吉大東牧場近く

同年

舟型

118

五所消防器具置き場前

同年

文字・山伏角柱

119

瀬又正蓮寺近く路傍

天保7年=1836

文字

120

糸久圓乗院

天保8年=1837

山舟型・良好

121

白幡小学校近く

同年

山舟

122

不入斗薬王寺

天保9年=1838

馬乗り

123

根田根立寺

天保11年=1840

文字・櫛型

124

安久谷バス停近く

天保12年=1841

文字・山伏

125

田淵田奴久蕎麦屋近く

同年

文字・山伏角柱

126

養老北崎集会所

同年

舟型

127

万田野路傍

天保13年=1842

文字・道標

128

朝生原黒川渓谷橋近く

同年

文字・櫛型

129

奈良の大仏近く

天保14年=1843

文字・櫛型

130

野毛法泉寺

天保15年=1844

文字・角柱

131

馬立沢辺二瀬橋近く

同年

文字・道標

132

岩長善寺

嘉永元年=1848

文字・櫛型

133

畑木三山塚

嘉永2年=1849

文字・駒型

134

新井墓地

嘉永3年=1850

文字・櫛型

135

吉沢学園近く

嘉永5年=1852

文字・駒型

136

八幡猿田彦神社

嘉永6年=1853

文字・駒形

137

藤井霊園

同年

文字

138

松崎花ノ台旧道路傍

同年

文字・山伏

139

同上

同年

同上

140

浅井小向浅井橋近く

安政2年=1855

文字・山伏

141

惣社国分寺

安政3年=1856

文字・櫛型

142

栢橋山中

安政5年=1858

文字・駒型

143

柿木台路傍

安政7年=1860

文字・道標

144

馬立297号線路傍

万延元年=1860

文字・道標

145

国本81号線路傍

同年

文字・櫛型

146

西野共同墓地内

同年

文字・櫛型

147

荻作三山塚近く

文久2年=1862

文字・駒型

148

磯ヶ谷ペット霊園

文久3年=1863

文字・角柱

149

立野三山塚近く

同年

文字・山伏

150

江子田桜ケ丘高校近く

同年

文字・舟型

151

大和田路傍

元治元年=1864

文字・山伏・道標

152

久々津公民館前

元治2年=1865

文字・駒型

153

天羽田桜台近く

慶応2年=1866

馬乗り

154

上高根共同墓地

同年

馬乗り