当時の深川木場は
 何とも形容し難い‘美しい’町だった✨

 高度経済成長期 大人も子どもも
 週休ひと日で働き学び
 現在と未来の日本を支えた*

 皆貧しいながらも
 人として胸を張って
 生きていた時代である*

  冷蔵庫・洗濯機・テレビ ─
 
 三種の神器を入手することも
 父母の明るい未来への
 原動力であったろう*

   そんな時代 ─

  銭湯は その日を癒す
 楽しい社交場であった*
 三種の神器は有っても
 皆が銭湯に通った*

  幼い頃は 母親と
  楽しみだったのは 父親と ─

 入浴金は 
 大人 30円
 子ども 15円 (´▽`)


 近所に銭湯が何軒があったが
 馴染みの処(ところ)には
 子どもを魅せる公園があった*

   紙芝居✨
 銭湯で 身体に綺麗な画のあるお兄さん
 おじさんに遊んでもらい

  公園で紙芝居を楽しむ(^O^)〃
 10円で水飴を買って
 早く白くしたら(解る?)
 ソースせんべい(解る?)を
 ご褒美でもらえた〃

  水飴を舐めながらの
 帰り道 ─


  
   銭湯 ─

  行きたいなぁ
  あの頃の ─







 東京江東区の超ド下町に生まれ育った*
 深川木場 ─
 海抜零meter地帯の運河の町*

 いつも木の香に包まれた
 雑然としてながら
 活気に満ちた温かい町*

 ある時 ─
 材木置場で遊んでいたところ
 若い職人に声を掛けられた*

 てっきり叱られると思った*
 ところが ─

 ‘おぃ! 坊主!’
 ‘こっち来て 烏賊食えょ!’

 おが屑を炊きながら
 するめ烏賊を焼いていたらしい*

 烏賊も美味かったが ─
 お兄さんの話も
 べーゴマの回しかたも
 肩車も ─

 最高にうまかった!

 一見 怖そうな職人さんたちだけど 
 子どもを始め 町の人たちには
 いつも笑顔で 優しかった*

 お兄さんの腕に
 綺麗な‘絵’があったのを知っている*

 別に驚きはしなかった*

 銭湯に行けば
 みんな美術品を身体に持った
 職人さんたちの
 博覧会だったから …



 生まれ育った深川木場が大好きだ♪ 
 下町も超ド下町で 
 何処に行くにも 橋を ─ 材木を運ぶ為の運河の橋 ─ 
 当たり前のように
 毎日 渡ッたものだ(^-^)
 
 小学校に通うまでに ふたつ〃

 同級生には
 運河の船に暮らす友もいて
 幾度か船の家庭に 遊びに行ったものだ
 
 今にして思うと 高度経済の下 
 船に生きる家族のことなど
 ‘楽しい家族’ としか
 観れてなかった*


 みんな 優しかた ─

 みんな 貧しいながらに
 今の我々が喪わんとする
 共同の心だけは
 互いに理解できた*


 親にも叩かれたが ─

 近所の おばちゃんにも
 よく叩かれたものだ ─