菊祭り開催中の「善養寺」へ~
創建 大永七年(1527年) 室町時代
因みに この年は 徳川四天王の一人
酒井忠次が 生まれた年
↑
何気に歴史好き😆
この前の道は 土手に突き当たる道なので
通りすがりに見かけるとかはないです。
山号額「星住山」
何か この字体 素敵➰可愛い➰☆
「星住山」の山号のいわれは
境内にあった松の梢に
星の精霊が降り立ち
やがて 赤、青、黄の石に姿を変じた。
その石は「星精舎利」と呼ばれて
寺の宝とされたが、いつの頃からか
赤と黄の石は紛失して 青い石のみが
残った。この出来事から山号をとって
「星住山」としたと言う。
この話は 2年前に いろりんぽんが
話してくれてたけど 改めて 見てみると
グイっと引き寄せられるわ~💕
仁王門の上に見えるのが 「星降り松」
大正15年に枯れ 二代目なんだそうです。
新編武蔵風土記稿による
善養寺の縁起 には
寺寶→星。
星とのみ傳へて当寺の寶物とす。
って書いてあるらしい
うゎ~っ😍すごいファンタジー☆彡
寶物が 星☆彡〰️っ ☆
仁王門には もちろん金剛力士像
写真撮ったけど 反射してしまって
ちゃんと写らないので✋
よ~く見ようと 顔を近づけると
吸い込まれそうな目の金剛力士像に
ドッキリ💓します。
特に向かって右側の金剛力士像は
目が合うと ブルブルッ((😵))っときて
目が離せません😊
裏側には地元出身の横綱 栃錦の像が収まってます。
繁盛面積が日本一 国の天然記念物に
指定されていて 東西に約31メートル
南北に約28メートル枝が伸びていて
樹齢は600年😲
昭和54年頃 香川県の「岡野マツ」との
「わがマツこそ日本一の名木」と
一年余り 論争が続いていたそうで
最終的には 大相撲の立行司 木村庄之助が
「どちらも日本一につき、引き分け」
と裁き 東西の横綱と言うことで
決着したそうです~👏👏
その昔 善養寺に忍び込んで
不動明王像を盗もうとした男が
像を抱えて逃げようとした時
石に足が貼り付いた為に
動けなくなり 翌朝になって
男は捕まり像も無事だった。
男を捕まえた石が この影向の石であると言い
今でも 石の上に 人の足型のような窪みが見受けられる。
と言う石です。
本堂入り口を入り左側に
『びんずる尊像』があって
江戸時代から 「善養寺のなで仏」として
親しまれていたそうで
高齢者施設で働いていた時に
一緒に来ていた利用者さんは 地元の人がほとんどで 「おびんずるさん」て呼んでました。私は 初めて見た時
何故かすごく びっくりして
なかなか近づけなかったんだよな~🤔
えっと…今回も 何故か写真も撮れず
画像 お借りしました
私が行った時は ちょうど半紙が
なくなってたので
撫でるのを断念しました😣
たくさんの人が撫でてるので
元の色は 黒❔朱色❔かわからないです。
外観二重の八角堂です。
寺寶→星。「星精舎利」が お奉りされているそうです。
ワクワク😃💕するわ~☆
こんな感じで まだまだ
善養寺 ぐるぐる🌀ジロジロ👀
散策つづきま~す✋😉