人生、何が起こるかわからない。とても些細でよくあることなのかもしれないが、今年一番の辛い出来事だった。
2014年4月1日(火)、8か月という短い期間ではあったがおつきあいしていた彼女と別れることになった。結婚を意識し、真剣に交際を続けてきた。原因はとても複雑なものだったけれど、決定的だったのは互いのことが信じられない状況になってしまったということ。それは浮気とか裏切りとかいうことではなく、生き方の問題。そこに大きな隔たりを感じてしまった以上、気持ちが一気に覚めてしまった。
3週間くらい前。現場復帰に関して彼女と意見がぶつかることがあった。彼女は4月に復帰してほしいとのことであったが、その時の自分はまだ完全に復帰できるとは思える状態ではなかった。周りの意見ももちろん大切であるが、今回の件に関しては自発的なものでないと意味がなく、状態を悪化させるだけであると考えた。一学期は行事も多く、学校全体が浮ついた繁忙期であり、バーンアウトを起こした時期と重なることから、この期間をスキップし、2学期の復帰を目指すという方向で行きたいと考えたのだ。主治医、両親ともに自分の意見に賛同してくれた。そうした状況を彼女にきちんと説明し、絶対に再発しないためにも慎重に復帰時期を見定めるということを理解してもらったはずだった。
昨年の9月1日に病気が発症し、その間、教員という仕事に対する失望感から新天地を求めてきた。初めはこれまでのキャリアを生かすためにもアメリカの大学院に進みphdを取り、大学教員になりたいと考えた。体調が戻ってきた10月からTOEFLの勉強を始めた。しかし最低5年かかるこのプロジェクトは彼女にとって現実的なものではなかった。それならば日本の大学院はどうか?東大や筑波であれば、オーバードクターの心配もあるが、より現実的なのではないか?しかし日本の大学院の教育のレベルや経済的なことを考えると、アメリカの大学院に行くほどのメリットはなかった。それならば転職はどうだ?現実は厳しく、35歳で教員の経験しかない自分にポジションをあたえてくれる企業はなかった。そもそも教職という特殊な世界で生きてきた人間がビジネスの世界で通用するわけがないのだ。こうした心の変化はその都度正直に彼女に伝えてきたが、彼女からしたら「振り回されている」という感覚でしかなかったそうだ。
3月29日(土)にご両親にご挨拶に行った。挨拶が遅れていたし、そのことに対してご両輪が心配をしているとのことであったからである。
話の中で、自分がバーンアウト症候群に罹患し長期の病気休暇中であるということ、9月の復帰に向けて努力をしているということを正直に話した。結婚を視野に入れている以上、隠し事をするべきではないという自分の考えからであった。さすがに驚いた様子ではあったが、まさかこれが別れの原因になるとは全く思わなかった。事実、彼女の家を出た後は、彼女と今まで以上に仲が深まったように思えたし、結婚に向けて具体的に動き出そうと互いが前向きになって話し合ったのだ。そして来週(4月5日)は自分の家に彼女を招待しご飯でも食べようと約束をしたのだ。翌日(3月30日)に彼女の家を出るときには、まさかこれが最後になるとは夢にも思わなかった。。。
帰宅し、両親に報告。食事のアポイントメントもとれた。特に母親は喜んでくれた。「これで現場復帰に対して前向きになれる」と確信し、結婚への段取りも研究しようとした矢先にスマートフォンの着信音が鳴った。
彼女からだった。
「お母さんが病気の再発をとても心配している。1年も休んだということはよっぽどのことであり、再発の可能性が高い。結婚は難しいんじゃないと言っている。だから来週は行けない。」
「え?」 狐につままれた感覚だった。つい2時間前までは前向きだったのになぜ突然そんなことを言うのか。理解に苦しんだ。母親の意見を大切にする気持ちは理解できたとしても、「再発」という言葉が彼女の口から出たのは初めてのこと。元気にはなるために一緒に頑張るといってくれていたし、自分の病気を理解しともに寄り添っていってくれる大事なパートナーだと信頼していただけに、ショックは大きかった。「少し冷却期間が欲しい」とのことだったが、時間を空けたところで彼女の気持ちは変わるとは思えなかった。そもそも、母親がそのようなことをいったとしても、ダイレクトに話す事なのか。心に大きな傷がついた。
彼女はただ幸せな結婚を純粋に望んでいただけなのかもしれない。そして確かに、それに応えるだけのことができなかったのかもしれない。しかし、これから結婚に向けて具体的に動き出そうとした矢先に思いがけないカウンターパンチを食らい、その一発が想像以上の重さだった。
その後もメールや電話でやり取りしたが、関係は悪化の一途を辿った。関係の修復はもはや不可能であると思えた。
長い人生をともに寄り添っていくために、今は自分が心配をかけていただけに、これから何かあったら全力で支えていくつもりだった。それが夫婦のあるべき姿であると信じていたから。困ったときはお互い様。そんな夫婦になりたかった。これまで育ててくれたご両親を心配させたくないという気持ちが、自分が抱いた理想の夫婦像に勝ったということなのか。そう考えたら納得できた。
出会った時期が悪かった。病気休暇に入る直前に出会い、付き合うことになった。そんな状態であっても彼女は明るく振る舞ってくれた。そんな彼女を信じていた。だけど、やはり長年育ててもらったご両親の意見は重く、彼女のこれまでの不安が一気に爆発したのであろう。自分の力不足である。
とてもつらい出来事であったが、逆に本来の負けん気の強さがよみがえってきた。「絶対に再発なんてしないし、幸せな人生をおくってやる!」 自分の中で何かが吹っ切れた。そして新たな目標がはっきりと見えた。今回の出来事を糧に、「現場復帰」というチマチマした目標ではなく、その先に大きな目標をしっかりと見据えて今やるべきことをしっかりとやっていこうと思う。そう、人間は何度でも生まれ変わるのだ。
最後に、今までこんな自分と付き合ってくれた彼女には感謝の念しかない。彼女の幸せを心の底から願うばかりだ。