昨日は満月がきれいだったですね!
コンパクトデジカメでもそこそこ写せました。

こっちは望遠鏡を使ったもの。

シャープさにかけるのは、私の腕の悪さです・・・(x_x;)
さてワタクシ、先日からえらく月天心(つきてんしん)にこだわってます。
すんません・・・(;^_^A
月天心とは、昨日も書いた通り「冬に天高く昇る月」のこと。

(我が家のベランダより)
与謝蕪村の名句があります
月天心 貧しき町を 通りけり
どうもこの「月天心」という文言が気に入っていろいろ調べていたら
荻原朔太郎のこんな随筆を見つけました。
ー前略ー
月天心貧しき町を通りけり
といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、
周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、
微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。
この句がもし「月天心 都大路を 通りけり」だつたら、
月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。
実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、
空に月があることさへも忘れて居るのだ。
ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、
事実上の都大路になつてゐるのだから、
彼等の詩人に月が閑却されるのは当然である。
科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
ー後略ー
うぎゃ~~~~~~~~~~~~~~!
すばらしい~~~~~~~~~~~~!
さすが荻原朔太郎先生であります!!!
こういう文章を目にするとほんと鳥肌が立ちます!!!
作家になることをあきらめてしまった自分に
張り手びんたをかまされたような衝撃の文章です!
目が覚めました!
・・・・のですが、
歴史的人物である荻原朔太郎先生に
ひれ伏しながらも大胆不敵に、畏れ多くも言上仕りたいと思います。
最後の一文。
科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
これに関しては、必ずしもそうとは言えないでしょう。
確かに昔に比べて月は、あまり見向きもされない
ちっぽけな存在になってしまったのかもしれません。
街灯などがない時代においては月明かりこそが最大の街灯であったわけですから。
しかしだからといって、現代において月の詩情が奪われたという結論は
早急すぎるのではないでしょうか。
存在価値が低くなってしまった月にこそ
無常感や詩情がもたらされるものではないかと私は思うわけです。
そこで、ない頭をフルに絞って新たにオリジナルの和歌を作ってみました。
月天心 街に埋もるる ひそか月
喧噪中に 独り静かに カピバラ☆おやじ

連休中の街はものすごい喧噪。
誰ひとりとして空を月を見上げている人はいません。
街明かりに埋もれながらも月はひとり静かに昇り、静かに沈んでいきます。
それを喧噪中に見上げているのも私ひとり。
そんな状況を詠んでみました。
へなちょこ歌ですいません、荻原先生。
あぁ文才がほしい。。。
コンパクトデジカメでもそこそこ写せました。

こっちは望遠鏡を使ったもの。

シャープさにかけるのは、私の腕の悪さです・・・(x_x;)
さてワタクシ、先日からえらく月天心(つきてんしん)にこだわってます。
すんません・・・(;^_^A
月天心とは、昨日も書いた通り「冬に天高く昇る月」のこと。

(我が家のベランダより)
与謝蕪村の名句があります
月天心 貧しき町を 通りけり
どうもこの「月天心」という文言が気に入っていろいろ調べていたら
荻原朔太郎のこんな随筆を見つけました。
ー前略ー
月天心貧しき町を通りけり
といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、
周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、
微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。
この句がもし「月天心 都大路を 通りけり」だつたら、
月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。
実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、
空に月があることさへも忘れて居るのだ。
ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、
事実上の都大路になつてゐるのだから、
彼等の詩人に月が閑却されるのは当然である。
科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
ー後略ー
うぎゃ~~~~~~~~~~~~~~!
すばらしい~~~~~~~~~~~~!
さすが荻原朔太郎先生であります!!!
こういう文章を目にするとほんと鳥肌が立ちます!!!
作家になることをあきらめてしまった自分に
張り手びんたをかまされたような衝撃の文章です!
目が覚めました!
・・・・のですが、
歴史的人物である荻原朔太郎先生に
ひれ伏しながらも大胆不敵に、畏れ多くも言上仕りたいと思います。
最後の一文。
科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。
これに関しては、必ずしもそうとは言えないでしょう。
確かに昔に比べて月は、あまり見向きもされない
ちっぽけな存在になってしまったのかもしれません。
街灯などがない時代においては月明かりこそが最大の街灯であったわけですから。
しかしだからといって、現代において月の詩情が奪われたという結論は
早急すぎるのではないでしょうか。
存在価値が低くなってしまった月にこそ
無常感や詩情がもたらされるものではないかと私は思うわけです。
そこで、ない頭をフルに絞って新たにオリジナルの和歌を作ってみました。
月天心 街に埋もるる ひそか月
喧噪中に 独り静かに カピバラ☆おやじ

連休中の街はものすごい喧噪。
誰ひとりとして空を月を見上げている人はいません。
街明かりに埋もれながらも月はひとり静かに昇り、静かに沈んでいきます。
それを喧噪中に見上げているのも私ひとり。
そんな状況を詠んでみました。
へなちょこ歌ですいません、荻原先生。
あぁ文才がほしい。。。