子育てをしていて、親というものについて考えることがよくあるのだけれど、
最近もやややん、としている過去のことを言語化しにきた。

私の親、過干渉だったのは間違いないけど、
ネグレクトもあったのかも、とか。



私が高校生の頃、父が単身赴任になった。
当時私は父が物凄く嫌いだったのでいなくなって清々したのだが、
なんと母も月の半分くらい父の家に行っていた。
父の単身赴任先は飛行機を使うほど遠く、別の陸地。

食事のためのお金は置いてあったし、
衣食住には困ってなかったけど、
妹と2人暮らし状態の日がたくさんあった。

女子高生と女子中生の2人暮らし。
保護者の父と母は海の向こう。

これってネグレクトだったのでは…?
と最近もやややんとしてる。

私はもう高校生だったからギリギリ良いのか?と思うけど、中学生を残して保護者の親は海を越えた遠くの土地、ってダメじゃないの?
高校生は保護者にはなれないから、姉の私がいたところでダメだし。
保護者の代わりをするつもりもなかったが。

転勤で移り住んだ土地だから親戚はひとりもおらず、
ご近所付き合いもほぼなかったから、
万が一の時に頼る大人はいなかった。

今思うととても怖い状況では、と思ったりもする。
もし姉妹2人とも拉致監禁などされたら、誰にも気付かれないままだったよ。
安否を確認する人がいないし。


それに、妹は高校受験を控えてたし、
私も大学受験の進路を決める時期だった。
そんな時期に親が不在ってどうなの…?


私は相談したかった。
でも、母は大学へ行ってないせいもあってか、
「お母さんは分からないから…」と言って何も相談に乗ってくれなかった。
父が単身赴任になり、母ひとりで2人の受験生の相手をするのがストレスだったんだろうなとは思う。

母は自分を守ったんだよね。
逃げちゃダメなんてことはないよ。
でも逃げた母を子がどう思うかなんて知れてるよね。
もう信頼はないし、信用もしない。

一緒に大学を調べてくれたり、勉強で遅くなったら迎えに来てくれる家族がいる友達が凄く羨ましかった。


家に帰ったところで安心はなく、
話を聞いてくれる大人もおらず、
親の都合(転勤)で連れてこられた土地に置き去りにされ、
(私がもう高校生で転校するのが難しかったせいもある)
別に学びたいことがあるわけでもなく、
日々虚しくて仕方なかった。
いつも家にいても「帰りたい」って思ってた。
この感覚はその後何年も続いた。


母が父の家に行ってて妹と2人だった期間に、災害が起こったことがあった。
マンションのエレベーターは止まったが、学校は休校にならず普通登校だったレベルの災害だけど。
でも「こんな時に誰もいてくれないんだな」と思った。



親は家もお金も与えて学校にも行かせてたし、
法律的には「保護者」としての責任は果たしてたことになるのかな。
その辺よくわからん。

だからなんかもややんとしてる。
でもなんというか、心身共に親に守られてる感はなかったなぁ、と。


子供が不満や文句を言わなくても、
一見納得しているように見えても、
自分で自分のことを表現出来ないだけのこともあるし、
傾聴を忘れないようにしたいなぁって思う。


まだ子は1歳で子育て始まったばっかりだけど、
考えても考えても自分の親のことは理解出来ないし感謝も出来ない。


そういえばお金は与えられてたけど、
1円単位で管理させられてて、
食事以外に自分の好きなことには使えなかった。
無駄遣いをさせない方が良いにしても、
やりすぎだったし、凄くケチだったなって思う。

正当な理由がないとお金を払ってもらえなかった。
自分の好きなこと、やりたいこと、リフレッシュしたい時とかにお金を使えなかったし、
お小遣いも1円単位で管理させられてたから、窮屈で仕方なかった。
お金を使うことに罪悪感を感じてた。

親からはケチケチすることだけで、
「お金の使い方」は学べなかった。



私の中にある毒をどうやったら中和出来るかな〜。
親に会わないことでだいぶ薄くはなってるんだけど、
連絡がくるとまた吹き出してきちゃってダメ。。
気持ちが凄く不安定になる。



でもそれよりも、連絡するだけで子を情緒不安定にさせる親にはなりたくない、って思う。

もう私は子じゃなくて親の立場でものを考えるようになってきてる。

私の毒はここで断ち切って、我が子には幸せに安心に生きてほしいな。





ここんとこネガティブキャンペーンだったので
たまにはポジティブキャンペーンをば。

娘の写真・動画を見返してたら、
ちぃちゃい〜♡
手も足も細い〜♡
手足短いからなんか丸っこい〜♡
歯がない〜♡
抱っこ紐もベビーカーも大きく見える〜♡

ってなって、その時点の娘にもまた会いたくなる。
いつの時点でも可愛いと思ってるけど、
今は歩くようになって身体もしっかりしてきたから、
新生児の頃〜1歳になるまでの宇宙人(イメージ)みたいなアンバランスな等身が懐かしい。

毎日一緒にいるのは大変だけど、
毎日一緒にいられて幸せだなぁ。




隣の芝生は青く見える、なこと。

親と良い関係を作れている人、
特に、親が優しい人、実家が落ち着く人、を羨んでしまう。


誕生日を親に祝ってもらえてる人をみて、いいなぁ、、、と思ってしまった。


うちの親は、やってもらったら返す、感じの人たちで、
私が親の誕生日プレゼントを贈れば、
次の私の誕生日にプレゼント的なものをくれ、
何もしなければ何もない。


おととしまでは母から誕生日にメールがきていたけど、
3年連続で2行ほどのほぼ同じ文言の定型文みたいなのがきてて、
なんだか悲しくておととしは返信をせず、母の誕生日にもメールをしなかった。
そしたら昨年は定型文メールすらなかった。

おととしは妊娠中で、私的には人生初でたぶん人生に一度きりの特別な誕生日だったんだけど、母は何も言ってくれないんだな、ってがっかりした。

昨年はママになって初めての誕生日。
育児お疲れ様、とか言ってくれるのを期待したけど、誕生日関係なく、いまだ一度もそんなセリフを言われたことがない。


私の親たちは、親たちに出来る範囲のことを私が考えて
私が「お願い」しないと何も出来ない。

今私が何を求めて何をしてくれたら嬉しいか、
ヒアリングすることはない。
何も聞かずに勝手なことをしてくることは多々ある。


……。

親への恨み節を語り出すと止まらないので
このくらいにしよう。。



私のこと、もっと見てほしかったなぁ
もっと愛されたかったなぁ


って思いが、たまーに湧いて出てくる。

もう親が変わることはないと思う。
今まで散々伝えようとしてきたけど、徒労だった。
気持ちをぶつけても、返事が返ってこないし。

3月に思いの丈を綴ったメールを送ったけど、
なんの返信もないまま6月も終わりそう。


いつもそう。
気持ちを伝えようとしても、返事がこない。
私の気持ちが伝わったかどうかも、
親がどう思ってるのかも、私には分からない。
返事がないので。


あぁ虚しいなぁ、という思いが蓄積していく。
そこで一度伝えることも知ることも諦めるけど、またしばらくすると挑戦して、でもまた落胆して、、、
それを何年も繰り返してきて、私はもう諦めている。
親はそれに気が付かない。


限界を超えてしまうと、もう戻ることはない。
覆水盆に返らず。