「一さん…今日も遅いなぁ…。」
私があの人の呼び方を“斎藤さん”から“一さん”に変えてからもう10年だろうか。この地での生活にはだいぶ慣れた。
それから・・・
一さんの口数が少なすぎるくらいに少ないことにも。
「別に、良いけどね…」
私のことを思ってくれているのは分かるから。何も言わずに甘いものを買ってきてくれたり、家にいる時は洗い物や洗濯物を進んでやってくれたり…。私は楽をさせてもらっている、と思う。
それに、
時々名前を呼んで、台所に立っている私を後ろからそっと抱きしめることがある。きっと、顔を見られたくないんだと思う。すぐに照れて赤くなる人だから。
それは、想いが通じ合った頃から変わらない。だからこそ、あの頃と想いは変わらないんだな、とは思う。
でも…
今日だけは…
10年目の今日だけは…
「特別、なんだけどな。」
今年、私は35歳になる。30代後半を迎えるこの気持ちは、なんだか複雑で…お祝いをしてもらいたいような、もらいたくないような。
言葉が欲しいわけじゃない。贈り物が欲しいわけでもない。
強いて言うなら…
「ゆっくり一緒に過ごしたいな。」
時間が欲しい。言葉はなくてもお互いの温もりを感じられる時間。この複雑な気持ちに寄り添ってもらえる時間。
なのに…やっぱり今日も帰りが遅い。少しだけ気合を入れて作った夕食はすでに冷めてしまった。一さんの好きな湯豆腐と煮魚とお浸し、それから毎日欠かさずに手入れをしているぬか漬けが、所狭しと食卓に並んでいる。
「一さん…もう誕生日が終わっちゃうよ…」
それくらい夜は更けている。もう何度目かわからないため息をついた・・・その時。
「・・ッ!」
バタンと大きな音を立てて、一さんが飛び込んできた。手には朝には持っていなかった大きな荷物を抱えている。
「おかえりなさい・・・」
慌てた様子に抗議の言葉も出ず、いつものように荷物を受け取りに玄関先に出ると…
「…っ!」
トサっと荷物が置かれる音がしたと同時に、目の前に一さんの着物が現れた。それからそっと一さんの手が私の背中に回される。
「は、一さん…?」
「…遅くなってすまなかった。」
耳元で囁くように一さんがそう言うから、私は目頭が熱くなるのを感じた。
「ううん。…一さん、温かい。」
そう言って、頬を一さんの胸に擦り付けて甘えてみる。あぁ、そう言えば、こうして甘える時間もいつからか少なくなったような気がする。
「…今日、だったな。」
「うん・・・」
「間に合ってよかった…!」
そう言って、さっき持っていた荷物を手渡される。中には丁寧にリボンが掛けられた包みが入っている。
「これを…。」
「あ…うん。ありがとう…。」
「…どうか、したのか?」
私のその反応が予想外だったのか、一さんは訝しげな顔をしている。