境内の桜が咲き始めた頃。
俺は毎日のように千鶴のことを夢に見るようになった。そのせいで、会いたいという想いともうすぐ会えるという喜びが高まっていく。
久しぶりに実家にやってきた姉に「何かいいことでもあったの?」と聞かれるってことは相当だ。
現世では顔や声も知らない、どんな奴かもわからない…そんな女を想っているなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない。
“会えばわかる”・・・それだけだ。
そして、桜が満開になったある日。
俺は普段通り、大学の研究室と道場に顔を出して、夕暮れ前に家に帰ってきた。
すると…
境内に、喪服を着た若い女性が倒れているのに気づき、俺は慌てて近寄った。
「おぃっ、大丈夫か?」
声を掛けてみるが、返事はない。その顔は穏やかで、口元に手を当ててみると、正常に息はしているようだ。眠っているだけか?でも、どうしてこんなところで?
考えたが答えは出ない。救急車を呼んだ方がいいのだろうか・・・
そう考えた瞬間、
「!!」
背中にざわっとした気配を感じ、はっとして振り向くと…誰もいなかった。そこには、境内でもひときわ大きな桜の木があるだけ。
満開の桜が、ただそこにあって…風もないのに、はらりはらりと花びらが舞い落ちてきていた。
そして、俺はもう一度倒れている彼女の顔を見る。
「まさか…な。」
確信は持てなかった。ただ、このままこの手から離したくもなかった。
俺は、そっとその女を抱き上げると、社務所まで運び、ソファに寝かせた。
喪服ということは、今日この辺で葬式か通夜でもあったのだろうか。俺は、じいさんが亡くなった時のことを思い出し、胸が苦しくなった。こいつも、誰か大切な人を亡くしたのかもしれない。
俺は寝かせた後、目が覚めた時に飲めるように、水を台所に取りに行った。そうして、戻ってみると、今まで穏やかな顔で眠っていた彼女が、悪い夢でも見ているのか、うなされている。
「…おいっ!」
俺は不安に思って、今度は肩を揺らして呼びかける。
すると…
「・・・ここは・・・」
良かった。目を覚ました…ほっとして覗き込んだ俺の目と、彼女の目が合った瞬間・・・
・・・体の奥に電気が走るような感覚を覚えた。…まるで、魂が震えたような感覚。
俺が目を見開いて固まったまま、彼女を見つめていると…赤く泣き腫らした目をした彼女は怯えているような、驚いているような目で俺を見ていた。
「・・・ちづる?」
思わず俺は、そう呟いていた。
「・・・」
彼女はびくっと肩を震わせたが、何も言葉は発せず、混乱しているような顔をしている。
こいつだ。
俺がずっと追い求めていた…愛しいお前だ。
だが、それを今話すことはためらわれた。俺のこと…いや前世のことを覚えていないのかもしれない。
「いや、驚かせてしまってすまない。俺はここの神主、土方だ。」
境内で倒れているのを見つけて、どこかを怪我した様子でもなかったから、目が覚めるまで…と、ここまで運んだ。ということを、なるべく柔らかな口調で伝えると、彼女はようやくほっとしたのか、
「…あ、ありがとうございます・・・。」
と、口を開いた。何かを考え込んでいる様子や、今日鳴りもしなかった雷が落ちたとか話してきた様子は、少し気になったが、それよりも・・・
「…泣いていたのか?」
お前を泣かせたのは誰なのだろう。現世でお前は幸せではないのか?そう思ったら、思わず、彼女の頬に手が伸びていた。
「俺でよければ、話くらい聞いてやるが。」
女を慰めるすべなんて知らない。だが、こいつが泣いているのに黙っていることなんてできそうになかった。