おっはようございます。


カピです。





道を歩いてたら、車椅子の男性が前にいた。





見ると、片方の足に太いギプスを付け、

進むような進まないような

たどたどしい印象を受けた。






一瞬迷い、彼を追い抜いた。




そして頭がソッコーでぐるぐるし出す。





(お手伝いしましょうか?とか言いたかった)


(お手伝い要りませんか?がいいかな)


(余計なことかもしれん)


(だけど聞くぐらいいいんでないの?)


(気持ち悪がられるだろうか)









思い返すのは20代の頃。




若いお母さんがベビーカーを押して

坂道を上っていた。




普通に歩くのさえその道を選ぶのを

ためらうほどの傾斜の急な坂。





下方から私はお母さんの横を通過し、

そのまま次の用事へと向かった。





そして、後々まで残ることになった

悔やまれる気持ち。





あの時ひとことお声がけすればよかった



お手伝いできたんじゃないか






立ち止まり助けるってことが

何だか恥ずかしかった。



ほんとはやりたかった。




同じ後悔をもうしたくなかった。






坂道といえばこんな思い出もある。





30代の頃、

車椅子の母とあちこちへ出かけた。




近所に急な坂道があって、そこを

ふーふー言いながら車椅子を押していると

たまに手を貸してくださる人がいた。



また車椅子がでっかくて重いやつやったの!





坂が終わるまでのひとときは

感謝と温かさでほっとしたもんだった。





重度の介護をしてると

社会から隔絶されたような、

母と私は異質な存在に思えてしまう

こともあってね。





どなたかからお声がけいただくだけで

救われるのだった。








さて時を戻そう。




車椅子のおじちゃんを追い抜いた話。





後ろ髪引かれていた私は立ち止まり、

すぐに引き返した。





ところが彼の姿は消えていた。



曲がり角の先まで行ったがやはりいない。




ふと目をやると、そばのマンションの中に

入ってくところだった。






あぁ、目的地に着いたのならよかった。






結局薬局なんにも起こらず

じまいだったけれど、



あの時の気持ちに従って引き返した自分は

過去の自分を癒せたようだ。





それから。




もしまた同じような場面に出くわしたら

次はお声がけしようと、頭の中で

シミュレーションしといた。






誰もが生きやすい社会がいいなぁ。