福岡生活を思いついた、ちょっと前の話である
この夏、母が入院した
ひと月の間、病院に通い、母の様子を見に行った
父への食事も持参した
その生活は、、、ラクだった
ごはん食べさせんでいい
シモの世話せんでいい
父と距離を置ける
楽だよぉ
ちょうどピッタシのその時期、私には集中してやりたいことがあった
それを思う存分やれたことも大きい
あれ、自由ってこんな感じなん?
解放って、のびのびって、、
晴れて退院の日の朝、私はフリーズした
退院しないで欲しい
(お母ちゃんごめん)
罪悪感にさいなまれて、やっぱり食べまくることでごまかした
退院後の生活は、覚悟したほど大変にはならなかったけど、私には母をやさしくお世話することも、かといって淡々とやることもできなかった
私は母が大好きなのである
愛しくて愛しくて、抱きしめるしほおずりもチューもする
だけどお世話はしんどい
めんどいこともう嫌だ
やさしくできる父や、介護チームの皆さんがやる方がふさわしい
できる人に任せよう
私が誰かを幸せにしようと思うのなら、それは他ならぬ私を幸せにすることだ
自分が幸せでなくて、何が愛だろう
やりたくて選んできた道
選び取るのはいつも、家を快適にすることや、おいしいごはんを作ることや、母のそばで生きることだった
なのに今、私の内側がどうもきつがっているようなのだ
家事と母、
思いきって手放してきた
A美さんが送ってくださった写真です^ ^
ありがとうございます❤︎
