天理修業科生活日記

天理修業科生活日記

適当な日記、愚痴などを書いてます。

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6月6日の朝の参拝について

確かに私がうるさく話していた事についての言い訳はしない、周りのことを考えず自分の事しか考えなかった行動は言いようがないが、はやり周りは、天理教を知っている・進行している前提で話が進むことがおおく、本来ならそれが当たり前かも知れないが天理教をほとんど知らない人間、信仰者ではない人間、の扱いがやはりひどい気がする。

取り合いず流してその場をしのげみたいな言葉が多く、それなら来る意味がないのでは?と私は感じる。

お誓いの言葉についても心から言えと言っている割に短期間で暗記する。しなくても取れる・別席で寝てとったという意見も多く、取る意味がないのでは?と私は感じる。

本当に取りたい人だけ、やりたい人だけに選定した方がいい考える。

本当にやりたい人たちだけのやり方には、受ける人数が極端に減ってしまう可能性もあり、デメリット・メリットが存在し両立させるのは難しいだろう。

修養科にしてもそうだ、全くのやる気なしの人間を入れても周りに迷惑がかかり、ある程度の知識、天理教の進行する意思などを確認して面接をするべきである。

修養科については、ある程度人数がいないと寮、学校と金銭面、掃除など成り立たないといった理由があるので審査が甘くなっていると私は思う。

そういった理由もあるのは当然だと思うが、配慮がいると私は考える。

協会の息子でもなければ、身性者でもない人たちも来るであろう。閉鎖的?頑固?な考え方ではこれからのやり方や存続は身内同士のものとなってしまうだろう。

それが天理教のやり方と言われたらそれまでだが、私も宗教ついてはここに来るまでは絶対に信じないと考えていたが、同室のsくん、tさん、zちゃんの考え方、接し方、話をしてみて私自身が多少なりとも考え方が変わってきている。

人にいいことをしたり、嫌なことをすると得ポイントが貰えると考えたことは今までで一度足りともないが、ここに来てからはポイントを貯めるのも悪くないと感じている自分がいる。

人の為に本気ではないにしろ祈った事がない私にとっては衝撃的なものがある。

私の考え方は、現実思考であり、非現実的なことは信じてない、損得勘定、リスクを背負う行動を極力させる考え方であるが、それでも相手が信じているのは自由であり、私の考え方を押し付けたいとおも思わないが、そんな私でも私がお授けの横でお祈りをする事で相手に対して考え何かをするということは大事であると気がついた。

人としての成長をしているのかまだ分からないが確かにここにきていろいろ話するのは私の人生においてよかったと感じている。

寮での掃除の問題

寮での掃除でも先輩たちの掃除のやり方が一人一人違う場合が多く、言っていることがあてにならない事が多い、これは初めてここに来る人にとっては誰の言う事聞けばいいのかわからなく、その人間の主観によってすべて決まってしまう場合が多い。

また、信者が泊まりに来た際、泊まる値段を考慮するに掃除をさせるべきである。これは私が楽をしたいという考えではなく、信者・信者でもない人でも、人の為に我が身をつくせと教えるべきである。寮を管理する先生方も率先して修業科生よりも気合をいれて掃除するべきだと私は思う。自分は楽をし相手にさせているという印象が強く、人の為に我が身をつくせと教えている人間ならやって当然だと私は思う。

修業科生だから、ありがたいと感じて掃除をしろ、と言われても掃除するところなど探せば終わるわけがない。

修業科だからとかの言い方は私は好きではない。真面目に掃除している人もいれば、私の用にめんどくさいと感じ手を抜いてやっている人もいるであろう。

先生なり、寮の管理人が食事で全員集まる際、本日の朝の掃除(午後からの掃除)ありがとうございました。ぐらいは言うべきであると私は感じる。

やって当然、して当たり前と言う考え方?修業科だからやれよ?みたいなところがあり、やりたい人間はやればいいし、やりたくない人はやらせるように持っていくのも一つの仕事であると私は感じる。

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