大黒柱、勤続25年・・・同期入社は7人・・・

一人辞め二人辞め・・・4人になりました。

去年の11月、昇格前研修に行きました。

同期3人一緒だったそうです。

もぅ1人は、前年に研修を終えたみたいです。

大黒柱の会社にしては、少ない同期・・・


10月の終わりごろ、


 「○○クン、病気になって年内休業だって」


と。何の病気か聞くと・・・


 「パパと同じ間質性肺炎だってー」


そのとき大黒柱は、「ありゃー」みたいな感じ。

私は、「治るといいね」と…。

11月に入って、本人が診断書を持ってきたそうです。

大黒柱は、話せなかったけど元気そうに見えたと。

それからすぐに入院した、と聞いたそうです。

ところが昨日、


 「○○くん…日曜日に亡くなったって…」


と帰ってきました。

聞くところによると、11月5日入院され、同じ職場の

人が先週木曜日にお見舞いに行ったらしい。

ちょっと苦しそうだったけど、家族も来ていて、

帰りには歩いていた。

それが急変して、日曜日に亡くなった。

あまり長くないことは、奥さんしか知らなかったかも。

なので、最初は入院しないで、家族と過ごしていた。

まさかこんな急に亡くなるとは・・・

家族は間に合わなかったらしい。

お子さんが4人いらっしゃるのに…。


大黒柱は、すごく寂しそうに・・・

そして落ち込んで、後悔していました。

自分のように元気になると思い、もうちょっとしたら

お見舞いにいけばいい・・・と簡単に思っていた。

なんで、診断書を持ってきたときに、

話しかけなかったか。

一言、「大丈夫か」と言えなかったか。


そして・・・


 「間質性肺炎は本当は大変な病気」


であること。

大黒柱は、膠原病から間質性肺炎になりました。

入院中に間質性肺炎になり、すぐに治療できました。

それが、本当に本当に早く治療できたため

今こうやって元気にしていられるのです。

同じようにして、亡くなった患者さんはたくさん

いらっしゃいます。

亡くなった患者さんとその家族と同じような

思いをしてほしくないという、医師の思いが、

大黒柱に通じ、私たち家族を救ってくれました。

また、生きるという私たちの思い。


昨日の夜、お嬢さまが、


 「パパ死なんよね・・・

  今死んでほしくない・・・」


と言いました。


 「死なんよ」


実は私も、安心しきっているわけではありません。

再発したら・・・と考えてしまうのです。

奇跡の回復と言われている大黒柱の病気。

このままの状態が続けばいい。

私たち家族を引き離さないでほしい。

ただ、一緒にいられるだけでいい。

普通に過ごせればいい。


亡くなった本人は、もちろん心残りがあるだろう。

でも、残された家族を見るのが辛い・・・


そう言って、お通夜に行きました。