新年になってから、ひとつ新しく始めた事があります。
通り道に在る、小さなお社で、「今日も有難うございます。本日も一日宜しくお願いします。」と軽く手を合わせてから、一日を始める事にしたのです。だからどうって事は無いのですが、左右の手を合わせて自分の心と向き合う短い時間が、今の私にとってとても大切な時間に思えるのです。
手を合わせると言うことは陰と陽を合わせるという事で、三三七拍子や一本締めの時に「いよ~っ!」と言うのもこの「陰陽」から来ているのです。陰と陽を合わせるという事は、良いも悪いも全てひっくるめて、世の中の事は成り立っているんだよという事だと思います。
足袋のメーカーで「福助」というところが有るんですが、この足袋屋さんがトレードマークにしている「福助」の人形は、裃(かみしも)を着、背が低く頭の大きな幸福招来の縁起人形として、文化(1804-1818)頃、願いが叶うといって江戸で流行し、茶屋・遊女屋・水商売の家などで祀(まつ)り、その後一般の家庭にも広まったのですが、もとを正せばはお金持ちや旧家に生まれた身体の不自由な子供だったのです。早く言えば奇形です。
お金持ちや旧家には、往々にして身体や頭の弱い子や奇形が生まれていたらしく、でも一族の人々はその子に奇異な目を向けたり蔑んだりすることなく、家の繁栄と引き換えにその可愛そうな子が全ての陰の部分を引き受けてくれていると、大層大切にされたそうです。なので家に幸福をもたらす「福助」なのです。
この事からも、昔の人はこの世の中が「陰と陽」で成り立っていて、陰もこの世の中に必要な要素だという事をきちんと分かっていたのだなあと思います。
今、社会に少しでもこのような優しさがあればなぁと思います。
嫌な事件が日常的に起きるのも、無職でまともに食べられない人がいるのも、治らない病気で苦しんでいる人がいるのも、全てその人たちが陰の部分を引き受けて、苦しみながら私たちに何かを伝えているのだと思います。今生そんな辛い生き方を引き受けてくれた人たちからの、命がけのメッセージから、何か少しでも学ぶ事が出来れば良いのにと思います。
通り道に在る、小さなお社で、「今日も有難うございます。本日も一日宜しくお願いします。」と軽く手を合わせてから、一日を始める事にしたのです。だからどうって事は無いのですが、左右の手を合わせて自分の心と向き合う短い時間が、今の私にとってとても大切な時間に思えるのです。
手を合わせると言うことは陰と陽を合わせるという事で、三三七拍子や一本締めの時に「いよ~っ!」と言うのもこの「陰陽」から来ているのです。陰と陽を合わせるという事は、良いも悪いも全てひっくるめて、世の中の事は成り立っているんだよという事だと思います。
足袋のメーカーで「福助」というところが有るんですが、この足袋屋さんがトレードマークにしている「福助」の人形は、裃(かみしも)を着、背が低く頭の大きな幸福招来の縁起人形として、文化(1804-1818)頃、願いが叶うといって江戸で流行し、茶屋・遊女屋・水商売の家などで祀(まつ)り、その後一般の家庭にも広まったのですが、もとを正せばはお金持ちや旧家に生まれた身体の不自由な子供だったのです。早く言えば奇形です。
お金持ちや旧家には、往々にして身体や頭の弱い子や奇形が生まれていたらしく、でも一族の人々はその子に奇異な目を向けたり蔑んだりすることなく、家の繁栄と引き換えにその可愛そうな子が全ての陰の部分を引き受けてくれていると、大層大切にされたそうです。なので家に幸福をもたらす「福助」なのです。
この事からも、昔の人はこの世の中が「陰と陽」で成り立っていて、陰もこの世の中に必要な要素だという事をきちんと分かっていたのだなあと思います。
今、社会に少しでもこのような優しさがあればなぁと思います。
嫌な事件が日常的に起きるのも、無職でまともに食べられない人がいるのも、治らない病気で苦しんでいる人がいるのも、全てその人たちが陰の部分を引き受けて、苦しみながら私たちに何かを伝えているのだと思います。今生そんな辛い生き方を引き受けてくれた人たちからの、命がけのメッセージから、何か少しでも学ぶ事が出来れば良いのにと思います。