
5月13日,金曜日
実際には,体の中でほかより弱く見える肢体がかえって必要なので[す]。―コリ一 12:22。
パウロの人体の例えは,会衆の成員はすべて有用な存在であることを強調しています。人間の尊厳を奪おうとするサタンとは違い,エホバはご自分の僕たちを「必要」な存在とご覧になります。ほかより弱く見える人たちも例外ではありません。(ヨブ 4:18,19)こう考えると,自分は会衆にとっても世界中の神の民にとっても必要とされているという,幸せな気持ちになります。例えば,助けを必要としている高齢者に手を差し伸べた時のことを考えてください。相手のペースに合わせなければならなかったでしょう。そうすることにより,有益な目的が果たせただけでなく,自分も幸せな気持ちになったのではないでしょうか。そうです,他の人の必要にこたえるとき,わたしたちは喜びを感じます。そして,辛抱強さや愛や円熟性において成長できます。(エフェ 4:15,16)エホバは,仲間の兄弟姉妹が弱く見えても,わたしたちが彼らを大切な存在と見ることを望んでおられます。そうした見方をするなら,兄弟たちに過大の期待をかけることはありません。そして,会衆の愛はいっそう深まってゆきます。塔14 6/15 3:5
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