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2月2日,火曜日

モーセは,……罪の一時的な楽しみを持つよりは,むしろ神の民と共に虐待されることを選びました。―ヘブ 11:24,25。

物事を信仰の目で見ていたモーセは,『罪の楽しみ』が一時的であることを理解していました。しかし,こう
考えた人もいるでしょう。「エジプトは偶像礼拝と心霊術にどっぷり浸かっているが,世界強国だ。ところが,エホバの民は奴隷だ」。それでもモーセは,神には事態を変化させる力があることを知っていました。自己中心的な人たちが栄えているように見えても,そうした邪悪な者たちはやがて朽ち果ててしまうという信仰がありました。ですから,「罪の一時的な楽しみ」の誘惑に屈することはありませんでした。どうすれば「罪の一時的な楽しみ」に抵抗できますか。罪の快楽は束の間であることを忘れてはなりません。「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです」。そのことを信仰によって理解してください。(ヨハ一 2:15‐17)悔い改めない罪人が将来どうなるかを黙想してください。(詩 73:18,19)罪を犯すよう誘惑されたなら,「自分はどんな将来を望んでいるのだろうか」と考えてください。塔14 4/15 1:2,4,5

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