
寂しさを克服することは可能です
「人はおのおの自分の荷を負う」
他の人ができることはありますし,その支えが強い励みになることもありますが,「人はおのおの自分の荷を負(い)」ます。(ガラテア 6:5)とはいえ,寂しさという荷を負うにあたっては,幾つかの危険に注意しなければなりません。例えば,自分の殻に閉じこもるなら,寂しさに打ち負かされてしまうかもしれません。一方,愛によって寂しさを克服することができます。(コリント第一 13:7,8)与えることと,分かち合うことは,境遇にかかわりなく,幸福を見いだす最善の方法です。(使徒 20:35)「寂しいと考える時間などありません。自分は役に立っていて,なすべきことがたくさんあると感じると,寂しくはありません」と,ある勤勉な開拓者の姉妹は言います。
また寂しさのあまり,愚かな関係に陥ることがないようにも注意しなければなりません。例えば,結婚したいばかりに,未信者との結婚によって生じる多くの問題,特にそのようなくびきを負わないようにという聖書の助言から目を背けるとしたら,それはなんと残念なことでしょう。(コリント第二 6:14)離婚したあるクリスチャンの女性は,「独りでいるよりもずっとつらいことが一つあります。それは結婚相手の選択を誤ることです」と述べています。
解決できない問題について,少なくとも今のところは忍耐しなければならないかもしれません。とはいえ神の助けがあれば,孤独感に耐えることは可能です。いつの日か私たちの必要すべてが最善の仕方で満たされるとの確信を持って,エホバに仕え続けてゆくことができますように。―詩編 145:16。
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