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寂しさを克服することは可能です

『互いの重荷を負い合いなさい』

クリスチャンの兄弟関係の中では,重荷を独りで担う必要はありません。「互いの重荷を負い合い,こうしてキリストの律法を全うしなさい」と,使徒パウロは強く勧めました。(ガラテア 6:2)仲間のクリスチャンとの交わりを通して,励みになる「良い言葉」を得ることができ,それによって寂しさという心の荷を軽くすることができます。―箴言 12:25。

イスラエルの裁き人エフタの娘について聖書が述べている事柄も考えてみましょう。敵のアンモン軍に勝利を収める前,エフタはエホバに,勝利を祝って家から最初に出て来る者をささげると誓いました。そして,出て来たのはエフタの娘でした。(裁き人 11:30,31,34‐36)この誓約に服すことは,独身を通し,家族を持ちたいという自然な願いを断念することを意味しましたが,エフタの娘は喜んでそれに服し,終生シロの聖なる所で奉仕しました。娘の払った犠牲は気づかれずに終わったでしょうか。そのようなことはありません。「年ごとにイスラエルの娘たちは出かけて行き,年に四日ずつギレアデ人エフタの娘をほめるのであった」とあるからです。(裁き人 11:40)そうです,褒め言葉はそれを受ける人の励みになります。ですから,ふさわしい場合にはぜひとも褒め言葉を述べるようにしましょう。

イエスの模範を考えてみるのもよいことです。男性が女性と話をするのはユダヤ人の習慣ではありませんでしたが,イエスはマリアとマルタと共に時間を過ごされました。マリアとマルタはやもめか,未婚の女性だったと思われます。イエスは二人がご自分との交友関係から霊的な益を得ることを望んでおられました。(ルカ 10:38‐42)私たちもイエスの模範に倣って,独身の霊的な姉妹たちを親睦の集いに含めたり,一緒に宣べ伝える業に携わる約束をしたりすることができます。(ローマ 12:13)姉妹たちはそうした配慮を喜ぶでしょうか。一人の姉妹は,「仲間から愛され,大切にされていることは分かっていても,より個人的な関心を示してもらうとうれしいものです」と述べています。

「私たちは夫や子どもがいない分,愛され,霊的な兄弟姉妹から成る家族の一員であると感じる必要が大きいのです」と,サンドラは言います。言うまでもなく,エホバはそのような人たちを顧みておられます。その人たちに自分が愛され必要とされていると感じてもらえれば,私たちはエホバに協力していることになります。(ペテロ第一 5:6,7)そのような気遣いが気づかれずに終わることはありません。「立場の低い者に恵みを示している人はエホバに貸しているのであり,その扱いに対して[エホバ]神はこれに報いてくださる」とあるからです。―箴言 19:17。

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