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1月24日,土曜日

エホバの話されたすべての言葉をわたしたちは喜んで行ないます。―出 24:3。

イスラエルは神に献身した国民でした。西暦前1513年,イスラエル人はエホバのご意志にぜひ従いたいと思っていました。そのため神は彼らを神聖な者とし,ご自分の選民として取り分けました。何という特権でしょう。その40年後,モーセはその点をイスラエル人に思い起こさせ,こう語りました。「あなたの神エホバにとって,あなたは聖なる民……である」。(申 7:6)残念ながら,聖なる国民であろうとする当初の熱心さは,長続きしませんでした。神に仕える人が常にいたとはいえ,ユダヤ人は全体的に,神のご意志を行なうことよりも,人から聖なる者あるいは敬虔な者と見られることに強い関心がありました。今日のエホバの証人もイスラエル人のように,神から神聖な者とされてきました。油そそがれたクリスチャンも「大群衆」も聖なる者であり,神聖な奉仕のために取り分けられています。(啓 7:9,14,15。コリ一 6:11)イスラエル人は結局神のみ前での神聖な立場を失いましたが,わたしたちはそうなりたいとは思いません。塔13 8/15 1:2‐4