
愛する家族を亡くしたとき
このように感じるのは普通のことですか
聖書の中の泣いた人々
聖書は東地中海地域のヘブライ人によって書き記されましたが,ヘブライ人は感情をよく表現する民族でした。聖書は,自分の悲嘆の気持ちを率直に表わした人たちの例を多く載せています。ダビデ王は殺害された息子アムノンの死を嘆き悲しみました。事実ダビデは,「非常に激しく泣いた」のです。(サムエル第二 13:28‐39)ダビデは,王位を奪おうとした背信の息子アブサロムの死をさえ嘆きました。聖書はこう記述しています。「すると,王[ダビデ]は動揺して,門口の上の屋上の間に上って行って泣きだした。彼は歩きながら,このように言った。『我が子アブサロム,我が子,我が子アブサロムよ! ああ,わたしが,このわたしが,お前の代わりに死ねばよかったのに。アブサロム,我が子よ,我が子よ!』」(サムエル第二 18:33)ダビデは普通の父親ならだれもがするように悲しみました。そして,どれほど多くの親たちが,子供の代わりにむしろ自分が死ねばよかった,と感じてきたことでしょう。子供が親より先に死ぬというのはあまりに不自然なことに感じられるのです。
イエスは友人ラザロの死に対してどのように反応されたでしょうか。その墓に近づいて,涙を流されたのです。(ヨハネ 11:30‐38)後に,マリア・マグダレネも,イエスの墳墓に近づきつつ泣きました。(ヨハネ 20:11‐16)確かに,聖書の述べる復活の希望を理解しているクリスチャンは,死者の状態に関して聖書にはっきり根ざした信条を持たないある人々のように,悲しみに打ちひしがれてしまうことはありません。とはいえ,普通の感情を持つ人間として,真のクリスチャンも,復活の希望を抱いてはいても,だれにせよ愛する者の死を悼み,嘆き悲しむのです。―テサロニケ第一 4:13,14。
聖書は東地中海地域のヘブライ人によって書き記されましたが,ヘブライ人は感情をよく表現する民族でした。聖書は,自分の悲嘆の気持ちを率直に表わした人たちの例を多く載せています。ダビデ王は殺害された息子アムノンの死を嘆き悲しみました。事実ダビデは,「非常に激しく泣いた」のです。(サムエル第二 13:28‐39)ダビデは,王位を奪おうとした背信の息子アブサロムの死をさえ嘆きました。聖書はこう記述しています。「すると,王[ダビデ]は動揺して,門口の上の屋上の間に上って行って泣きだした。彼は歩きながら,このように言った。『我が子アブサロム,我が子,我が子アブサロムよ! ああ,わたしが,このわたしが,お前の代わりに死ねばよかったのに。アブサロム,我が子よ,我が子よ!』」(サムエル第二 18:33)ダビデは普通の父親ならだれもがするように悲しみました。そして,どれほど多くの親たちが,子供の代わりにむしろ自分が死ねばよかった,と感じてきたことでしょう。子供が親より先に死ぬというのはあまりに不自然なことに感じられるのです。
イエスは友人ラザロの死に対してどのように反応されたでしょうか。その墓に近づいて,涙を流されたのです。(ヨハネ 11:30‐38)後に,マリア・マグダレネも,イエスの墳墓に近づきつつ泣きました。(ヨハネ 20:11‐16)確かに,聖書の述べる復活の希望を理解しているクリスチャンは,死者の状態に関して聖書にはっきり根ざした信条を持たないある人々のように,悲しみに打ちひしがれてしまうことはありません。とはいえ,普通の感情を持つ人間として,真のクリスチャンも,復活の希望を抱いてはいても,だれにせよ愛する者の死を悼み,嘆き悲しむのです。―テサロニケ第一 4:13,14。