猫との対話、うつ癒やす 作家・仲村清司さん

那覇の路地 生き抜く姿


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デイパックに入った「向田さん」と那覇の路地を巡る仲村さん
 那覇市在住の作家、仲村清司さん(55)の『島猫と歩く那覇スージぐゎー(路地)』(双葉社)が注目されている。

 うつ病を癒やされ、「生き直そう」と誓い、島猫たちと「目線」を共有するまでの日々をユーモラスなタッチでつづった。

 那覇市の中心街、飲食店や土産物店がひしめく国際通りから路地に入ると、全く別の「那覇」が広がる。ホテルの真裏に残る亀甲墓。くすんだ青のトタン屋根。暴風を避けるため、まっすぐには伸びない石垣。そこは、しっぽが太く耳が大きい島猫たちが生きる世界だ。

 仲村さんは京都市の大学を卒業後、公務員や編集者を経て1996年、沖縄県に移住した。向きあう対象を懸命に探り、深掘りする質たち。作家として生き始めたが、当初は、ここでも「居場所」を見つけることは難しかった。

 2010年、重いうつ病と診断された頃、知人の紹介で、壺屋地区という古い街に捨てられていた、体長20センチ、1・5キロのメス猫を飼うことになった。黒と白のぶちで、容姿の端麗さとはかなげな姿に一目ぼれした。深みのある黒毛と清楚せいそな顔立ちが、愛読していた作家の向田邦子さんを思わせ、猫は「向田さん」と名付けられた。

 餌や散歩、トイレなど、向田さんの世話に追われる毎日が始まる。そのしぐさは息をのむほど愛らしい。抱きしめた時に胸に伝わるぬくもりが、救いになった。仲村さんがつらければ、向田さんはけなげにも神妙な面持ちで必ず寄り添った。

 やがて、不思議なことが起こる。向田さんが、舞妓まいこさんが話す京言葉で、飼い主に捨てられた身の上にあっても気丈に生きる心意気や、避妊手術のつらさを語り出したのだ。

 もちろん、仲村さんの空想ではあるのだが、向田さんは、京言葉によって絶妙な「対話」の距離を生み出していた。「救ってもらってます」と仲村さんが手を合わせれば、「アホなこといいなや~」と軽くいなされそうな、依存も押しつけもない、切ないが、柔らかい両者だけの関係ができた。

 「生き直そう」。対話から半年が過ぎた頃、仲村さんは、そう誓った。

 仲村さんは、時間を惜しんで、向田さんと那覇の路地を散策した。デイパックを抱え、向田さんは頭だけを出す。公園や路地、商店街裏の日だまりには、時に地元のお年寄りらの世話を受け、人のそばでたくましく生きる島猫たちの姿があった。「リリー」「ノラムーチョ」「小政」「茶々丸」……と、一匹ずつに名前と物語をつけて「会話」するうち、彼らの生活圏や行動を熟知し、仲村さんは、島猫の「目線」を併せ持つようになった。

 縄張りや群れを作ることだけが、生きるすべではない。草花や虫とたわむれるしぐさも、実は餌をとる“実践体験”の積み重ねだ。暮らす場所や餌場を奪う乱開発は止まらない。人から次々に捨てられたり、虐待を受けたりもする厳しさの中を生き抜く。

 「向田さんも島猫たちも、人間の4倍のスピードで老いていく。だから、たとえつらくても、今日という時間を使い果たすように、奔放に、むさぼるように生きようとしています」

 仲村さんが飲む薬の量は、大幅に減った。向田さんは、3・6キロになり、今や妖艶さと茶屋の若女将おかみの貫禄とを漂わせている。(鈴木敦秋)

 なかむら・きよし 1958年、大阪生まれの沖縄2世。作家、沖縄大非常勤講師。『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『本音の沖縄問題』など著書多数。創作料理が趣味。路地を巡る「島猫とふれあう那覇(ニャハ)ツアー」も開催する。ブログは「仲村清司の沖縄移住録@2014」(http://nakamura.ti-da.net/

(2014年1月23日 読売新聞)

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=91567