
1年余り後に、念願がかなって手に入った時の礼状には、自分の書が所望ならいくらでも書きましょうとしたためている。「良寛を得る喜びに比ぶれば悪筆で恥をさらす位はいくらでも辛防可仕(つかまつるべく)候」(『漱石全集』岩波書店)。
良寛の書いた「詩書屏風(びょうぶ)」が、東京・上野で開催中の「書の至宝」展に出品されている(東京国立博物館 19日まで)。自詠の漢詩を草書で揮毫(きごう)したもので、筆画が極度に省略されていることもあって、ひとつひとつの文字は読み取りにくい。しかし、墨で示された筆の通り道と、その周辺の空白との間には、不思議な一体感が生まれている。屏風全体として、見る側を緩やかに包み込むような大きさがある。
良寛は、中国や日本の書を手本にしながら、独自の書風を手にした。「至宝」展は、その手本のひとりとされる「書聖」王羲之(おうぎし)を含め、古代中国から日本の江戸期までの数々の逸品を中心に展示している。
うらないを記録した文を牛骨に刻んだ「甲骨文」は、3千年以上前のものだ。文字の祖先のような素朴な線の連なりの前で、漢字がたどってきた長い歴史を思う。
さまざまな時代を経て日本へも渡り、ひらがなが生まれ、今に至った。漢字とかなの、ぜいたくな競演の場となった会場を巡り歩く。「東洋の記憶」とでも名付けたい音楽が、どこからともなく響いてくるかのようだった。