

イエスは,「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう」とおっしゃいました。(マタイ 11:28)虐げられた人,気落ちした人,それに幼い子供たちさえ皆,イエスに引き付けられずにはいられませんでした。当時の尊大で独善的な僧職者や指導者たちは,それらの人をさげすんでいました。しかし,それらの人はイエスのうちに,自分たちの保つに値する尊厳を認めてくれる人を見いだしたのです。
わたしたちもイエスに見倣って,仲間の信者にさわやかなものを与える人でありたいと思います。これは,仲間の信者を自分の言葉や行ないで築き上げる機会を求めることを意味しています。会話をする際に,親切で積極的な意見を誠実な態度で惜しみなく述べるのは,いつでもふさわしいことです。(ローマ 1:11,12。テサロニケ第一 5:11)また,何を言うかだけでなく,どのように言うべきかという点にも注意を払って,他の人の気持ちに敏感であることを示します。(コロサイ 4:6)クリスチャンの集会におけるふさわしい服装や礼儀正しさは,わたしたちの神とその崇拝,および仲間の崇拝者たちの尊厳を十分重んじている態度を反映しています。
マタイ11章28節
28 すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。
ローマ1章11.12節
11 わたしはあなた方に会うことを切望しているのです。それは,あなた方が確固とした者となるよう,霊的な賜物を少しでも分け与えるためです。12 いえ,むしろそれは,あなた方の間で,各々互いの,つまりあなた方とわたしの信仰によって,相互に励まし合うためなのです。
テサロニケ第一5章11節
11 ですから,互いに慰め,互いに築き上げることを,あなた方が現に行なっているとおりに続けてゆきなさい。
コロサイ4章6節
6 あなた方の発することばを常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたものとし,一人一人にどのように答えるべきかが分かるようになりなさい。