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10 サタンは実にじわじわと自分の腐敗した基準を許容させようとしています。剣闘競技がパレスチナに入って来たとき,「そういう光景に慣れていなかった」人々は,最初,「非常な驚き」をもって迎えた,と一世紀の歴史家リビウスは述べています。そしてこうつけ加えています。

「そこで彼は,競技を繰り返し行なうことにより,また時には闘士たちに互いを傷つける以上のことはさせないようにして……その光景に目が慣れるように,いやそれがおもしろくなるように仕向けた。そして多くの若者に武器を喜ぶ気持ちを起こさせた」。

彼らの驚きはしだいに薄らいでいきました。そのうちにもうショックを感じるどころか,楽しんで参加するようになりました。サタンのやり方はほとんど変わりません。ですから,あなたが持っているクリスチャンとしての「慎みの感覚」を徐々に変えられないように油断なく目ざめていなければなりません。立ち止まって考えてみてください。あなたの良心はどこまで行くことを許しますか。遠すぎるほど遠くまで行くことを許しますか。娯楽の面であなたのしていることは,『いっさいの道徳感覚を通り越した』人々のしていることとほとんど変わらないでしょうか。

10(イ)一世紀には,剣闘競技を受け入れさせるためのどんな策略が用いられましたか。(ロ)このことから何を学ぶことができますか。