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5 あなたが住んでおられる地域社会では,女性はできるだけたくさん子供を産むものだと考えられていますか。当然のことですが,子供を何人持つかはそれぞれの夫婦が自分たちで決めることです。では,たくさんの子供に食物と衣服を与え,教育を受けさせる資力が親にないときはどうですか。もちろんこれは,夫婦が子供を何人持つかを決めるときに考えるべきことです。中には,子供たち全員を扶養できないため,そのうちの何人かを親族に預け,育てる責任を委ねてしまう夫婦もいます。この習慣は望ましいものでしょうか。あまり望ましいとは言えません。それに,子供を預けたからといって,子供に対する親の務めがなくなるわけでもありません。聖書は,「自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり(ます)」と述べています。(テモテ第一 5:8)責任感のある夫婦なら自分の「家」の人数を前もって計画し,『自分に属する人々に必要な物を備える』ことができるようにするでしょう。そうするために産児制限ができますか。これも個人の決定にまかされており,もし夫婦が実際に産児制限をすることにしたなら,どんな方法で避妊をするかということも,やはり個人的な問題になります。「人はおのおの自分の荷を負うのです」。(ガラテア 6:5)しかし,どんな形であれ妊娠中絶が関係する産児制限となると,聖書の原則に反します。エホバ神は「命の源」であられます。(詩編 36:9)ですから,身ごもった命を絶つのは,エホバに対して甚だしく不敬な態度を示すことであり,殺人に相当します。―出エジプト記 21:22,23。詩編 139:16。エレミヤ 1:5。

テモテ第一5章8節
8 当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです。

ガラテア6章5節
5 人はおのおの自分の荷を負うのです。

詩編36編9節
9 命の源はあなたのもとにあり,
わたしたちはあなたからの光によって光を見ることができるからです。

出エジプト記21章22,23節
22 「また,人と人とがつかみ合いをして,妊娠している女を傷つけ,その子供が出てしまうが致命的な事故には至らない場合,その者はその女の所有者が負わせるところにしたがって必ず損害の賠償を課せられる。裁く者たちを通してそれを払わねばならない。23 しかし,もしも致命的な事故に至ったならば,魂には魂,

詩編139編16節
16 あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。
あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました。
それが形造られた日々について,
しかも,それらのうちの一つもまだなかったのに。

エレミヤ1章5節
5 「わたしは,あなたを腹のうちで形造っている前からあなたを知っており,あなたが胎を出る前からあなたを神聖なものとした。わたしはあなたを諸国民への預言者とした」。

5 子供を何人持つかを決める際,夫婦はどんな考え方を基準にすべきですか。