

当時一般に食べられていたのは、英国風のカレー粉を使った即席料理だった。本場ベンガル育ちのボースには和食にしか見えなかったことだろう。日印を結ぶ政治工作のかたわら、本式のカレーを広めようと決意する。
官憲に追われ、かくまわれた先が新宿の洋食店中村屋だった。店主の娘と恋愛結婚して経営に加わり、「純インドカリー」を売り出す。鶏肉や香辛料を精選し、ご飯とカレーを別盛りで出した。他店の8倍もの値をつけたが、「恋と革命の味」として評判を呼んだ。
波乱の生涯をたどった中島岳志さんの『中村屋のボース』(白水社)が、今年度の大佛次郎論壇賞を受けた。同時代を生きた独立の志士チャンドラ・ボースとしばしば混同されるが、別人である。
中村屋のボースの方は、日本を頼ってインド独立を模索した。最後は、帝国主義日本の手先とみなされて苦悶(くもん)する。受賞作はその歳月を丹念に描いた伝記だが、日本のカレー文化をインドの視点から考える上でも興味深い。
晩年のボースが病床で夢見たものが二つある。祖国の主権を奪い返すことと、医師に制限されたカレーを存分に食べることだ。ボースの長女、哲子さん(83)によると、医師が治療をあきらめた後、家族は望み通りカレーを与えた。だが独立の夢はかなわないまま58歳で逝く。東京を寒波が包んだ1945年1月の夜だった。
今、普通に食べてるものにも
長い歴史があり、
いろんな人が苦労して作り上げているんだね。
本当にありがとう。