忠節な手を挙げて祈りなさい 1999年1月15日ものみの塔 | kaoruko5000のブログ


10 もちろん,同じ事柄について何度となく祈る必要もあるでしょう。それは間違ったことではありません。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」とイエスは言われたからです。(マタイ 7:7)もしかしたら,地元での宣べ伝える業をエホバが伸展させておられるので新しい王国会館を必要としているかもしれません。(イザヤ 60:22)個人的に祈る際,あるいはエホバの民の集会で公の祈りをささげる際に,いつもその必要について述べるのは適切なことでしょう。そのようにするとしても,『むだな繰り返しを述べている』ことにはなりません。
マタイ7章7節
7 「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。
イザヤ60章22節
22 小さな者が千となり,小なる者が強大な国民と[なる]。わたし自ら,エホバが,その時に速やかにそれを行なう」。
10 同じ事柄について再三祈るとしても,それはなぜ適切なことですか。

