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5 したがってわたしたちが「しっかり根ざして土台の上に堅く立」ち,「すべての聖なる者たちとともに」神の言葉の真理の「幅と長さと高さと深さがどれほどであるかを悟る」ためには,聖書の個人研究と聖書の教えを黙想することが肝要です。神の言葉の真理がイエス・キリストの生活と教えによって示された愛の模範と関係がある場合は特にそう言えます。根を深く下ろしているものは容易には抜き取られず,堅固な土台の上に立っているものは容易には動かされません。ですからわたしたちは,キリストの知識を「[わたしたちの]内なる人」に深く流入させることによって,わたしたちの霊的な『根と土台』を強く保たねばなりません。―エフェソス 3:17,18。

エフェソス3章17,18節
17 [あなた方の]信仰により,あなた方の心の中に,愛をもってキリストを住まわせてくださるようにするためです。これは,あなた方がしっかり根ざして土台の上に堅く立つため,18 そうしてあなた方が,すべての聖なる者たちと共に,幅と長さと高さと深さがどれほどであるかを悟ることも,

6 しかし,キリストを心の中に住まわせるとは,聖書に記されているいくらかの事実を勤勉に頭につめ込むだけのことだ,と考えてはいけません。使徒パウロは,頭に収めた知識だけに基づく信仰の危険を熟知していました。ですからさらにこう述べています。「知識を超越したキリストの愛」を知ることもじゅうぶんできるようになり,こうしてあなたがたが,いっさいの事において,神が与えてくださる満ち満ちたさまにあますところなく満たされるためなのです」。『頭で学ぶ』以上のことが必要です。交わりを多くすればそれだけ相手の考えがよくわかるようになることは事実です。しかし,他の人々に対するその人の接し方や生き方に倣うようになって初めて,本当にその人の気持ちがわかるようになります。それと同じで,本を読むだけではキリストの愛は理解できませんが,キリストのようになるなら,同情から発する経験によって,「知識を超越した」ものを知ることができます。―エフェソス 3:19。

エフェソス3章19節
19 知識を超越したキリストの愛を知ることも十分できるようになり,こうしてあなた方が神の与えてくださる満ち満ちたさまに余すところなく満たされるためなのです。

5,6(イ)『内面の人』を強めるのになぜ個人研究と黙想は大切ですか。(ロ)頭に知識を取り入れるだけで十分ですか。そうでないとすれば,ほかに何が必要ですか。