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18 したがって,人の脳裏に次のことが問われます。クリスチャンはなんの業を行なわなくても自分の信仰を証明できるだろうか。あるいは,心と思いと魂と力を用いて,自分の信仰が生きた産出的な信仰であり,死んだものではないことを他の人に実証し,こうして自分の信仰を証明しなければならないだろうか。ヤコブは,業もしくは活動がその人の信仰の証明になることを示しています。今日の世界には,神を信じると唱える人が大ぜいいます。しかし,『その神とはだれですか。神は何を行なわれましたか。今何を行なっておられますか』と尋ねると,それで会話は終わってしまいます。そうした人々は神に対する真の信仰を持っていません。神をよく知らないからです。彼らは,「望んでいる事がらに対する保証された期待」を持っていません。また,「見えない実体についての明白な論証」に通じていません。(ヘブライ 11:1)『わたしはイエス・キリストを信じていいる』と言う人もいます。しかし,『イエス・キリストは今何を行なっていますか』と尋ねると,それについては少しも知りません。そうした人たちは,イエスはかつて死んだ,と言います。彼らは,イエスが復活を受けた主であり,いま天に生きておられ,以前に勝る力を託され王として統治しており,この邪悪な事物の体制をまもなく終わらせ,クリスチャンたちが教えられた祈り,つまり,『御国のきたらんことを。みこころの天のごとく,地にも行なはれんことを』という祈りのことばを全面的に実現する備えをしておられることを信じていません。(マタイ 6:10,文)そうした人たちは,あなたの信仰はいったいどういうことなのかと問われると,全く場を失ってしまいます。彼らは自分の信仰を聖書的な証拠によって裏付けることができません。なんの希望もいだいていません。実際のところ,彼らは,イエスが主であり,エホバ神が彼を死からよみがえらせたこと,また,イエスが神の王国の王とされ,全人類の祝福のために天の王座につけられていることを信じていません。あなたは信じていますか。

ヘブライ11章1節
11 信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。

マタイ6章10節
10 あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように。

19 明らかにヤコブは,第一世紀にあって神の会衆に所属すると唱えた人々との討論を通じて,生きた活動的な信仰,人を動かして自分のクリスチャン兄弟に対する純粋な愛を発揮させ,イエス・キリストの新たな弟子を生み出す業に加わらせるほどの信仰を持っていない人々がいることを知りました。それでヤコブはこう述べました。「あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです」。(ヤコブ 2:19)なぜヤコブはこのように述べたのですか。

ヤコブ2章19節
19 あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです。

18,19(イ)神やキリストを信じると言いながら真の信仰を持っていない人が多いことはどんなことに示されていますか。(ロ)神への信仰を唱えながら活動的な信仰を有していない人々に対してヤコブはなんと述べましたか。

毎回痛いよね。
クリスマスを祝い、
神を信じてるといいますが、
戦争をしたり、淫行を犯したり、
その行いにおいて、
神が誰なのか、
どんなことをされたのか、
今どんなことをされてるのかなどの
質問をすると会話はとまってしまいます。

あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。

なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです