

3 公の祈りをささげるよう求められた場合,恐らく,祈るべき事柄を少しは前もって考えることができるでしょう。そうすれば,ふさわしい重要な事柄をすべて含めても,長々しい,とりとめのない祈りにはならないかもしれません。もちろん,個人的な祈りは,声に出してささげることもできますし,どれほど長いものでもよいでしょう。イエスは,12使徒を選ぶ前に,夜通し祈られました。しかし,ご自分の死の記念式を制定された時の,パンとぶどう酒に関する祈りは,むしろ短いものであったようです。(マルコ 14:22‐24。ルカ 6:12‐16)そして,イエスの祈りは短くても神に全く受け入れられるものであったことを,わたしたちは知っています。
マルコ14章22~24節
22 そして,彼らが食事を続けていると,[イエス]はパンを取って祝とうを述べ,それを割いて彼らに与え,「取りなさい。これはわたしの体を表わしています」と言われた。23 また,杯を取り,感謝をささげてから,それを彼らにお与えになった。それで彼らは皆その[杯]から飲んだ。24 そうして[イエス]は彼らに言われた,「これはわたしの『契約の血』を表わしています。それは多くの人のために注ぎ出されることになっています。
ルカ6章12~16節
12 こうした日のこと,[イエス]は祈りをするため山に出て行き,夜通し神に祈りをしておられた。13 しかし夜が明けると,弟子たちを自分のところに呼び,その中から十二人を選び,その者たちを使徒と名づけられた。14 [イエス]がペテロともお呼びになったシモンとその兄弟アンデレ,ヤコブとヨハネ,フィリポとバルトロマイ,15 マタイとトマス,アルパヨの[子]ヤコブ,「熱心な者」と呼ばれるシモン,16 ヤコブの[子]ユダ,そしてユダ・イスカリオテであり,この者は反逆者となった。
4 仮に自分が,家族を代表して食事の前に祈る特権を与えられたとしましょう。そのような祈りは,かなり短いかもしれません。しかし,何を言うにせよその祈りには食物に対する感謝の言葉を含めるべきです。クリスチャンの集会の前か後に公の祈りをささげる場合も,多くの点を含めた長い祈りをする必要はありません。イエスは,「見せかけのために長い祈りをする」書士たちを批判されました。(ルカ 20:46,47)敬虔な人は,決してそのような祈りをしたいとは思わないでしょう。しかし,公の祈りは長めであってもふさわしい場合があります。例えば,大会で結びの祈りをささげるよう選ばれた長老は,祈る事柄を前もって考えるべきであり,幾つかの要点に触れたいと思うかもしれません。しかし,そのような祈りでも,過度に長いものであってはなりません。
ルカ20章46.47節
46 「書士たちに気を付けなさい。彼らは長い衣を着て歩き回ることを望み,市の立つ広場でのあいさつと,会堂の正面の座席,そして晩さんでは特に目立つ場所を好みます。47 彼らは,やもめたちの家を食い荒らし,見せかけのために長い祈りをする者たちです。こうした者たちはより重い裁きを受けるでしょう」。
3,4(イ)公の祈りに含めるべき事柄を前もって考えることが有益なのはなぜですか。(ロ)祈りの長さに関して聖書は何を示していますか。
個人的な祈りは、心を注ぎだすものですから、
長さにとらわれなくてもよいと思います。
家族でする祈りは、食事や問題がある場合や
感謝の祈りを捧げることができますが、
あらかじめ祈ることを
考えておく必要があるかもしれません。
会衆や大会で代表として祈る場合は、
あらかじめ用意しておいたほうが
取り留めのない長い祈りにならないので
要点を踏まえておく必要があります。
舞が会衆の中の祈りで本当に感謝したのは、
息子が刑務所に入っているときに、
「何らかの事情でここに集い会えない仲間もいますが、
どうぞその人の上にもあなたからの過分のご親切をお願いします」
というものだった。
気遣ってくださっているのが、
良くわかってうれしかった。
息子は刑務所の中で、
聖書を学び続けていたからです。
=*^-^*=にこっ♪