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きっかけをつくる

19歳のナタリーは,人が自分に話しかけてくるのを座り込んで待つのではなく,もっと積極的に行動しようと心に決めました。『わたしも親しみやすい人にならなければならない。そうしないと,生意気に思われるかもしれない』と言いました。それでほほえむことを始めましょう。相手もほほえみを返してくれるでしょう。

次の段階は会話を始めることで,少し難しくなります。15歳のリリアンはその難しさを認めています。「知らない人に初めて近づくのはとてもこわいことでした。受け入れられないのではないか,という心配がありました」。ではリリアンはどのように会話を始めるのでしょうか。「『どちらからおいでになりましたか』,『だれだれさんをご存じですか』というような,簡単な質問をします。相手もわたしもある人を知っているかもしれません。するとすぐに会話が始まります」。経験を話すのもきっかけになります。18歳のアンはこう言います。「最初は個人的な事柄を話題にしないようにします。そんなことをすれば相手は当惑するか,びくびくしてわたしを避けるようになるからです」。確かに,最初から深い会話に飛び込むのは賢明ではありません。

しかし,何を言うべきかどうしても分からない時はどうでしょうか。あなたにできることは必ずあります。聖書は,貧しいやもめに対する『善行と憐れみの施しとに富んで』いたドルカスという名の婦人について述べています。ドルカスが死んだ時,やもめたちは悲しんで泣きました。(使徒 9:36‐39)ドルカスは親切な行ないをしていたので,やもめたちに愛されていたのです。親切な行為や寛大な精神は,あなたが貴重な友情を培う際にも,同じように助けになります。

とはいえ,現実的でなければなりません。あなたのほほえみにも,親しみを込めたあいさつにも反応しない人がいますから,それをがまんすることも学ばねばなりません。その場合,問題があるのはあなたではなく,先方です。

使徒9章36~39節
36 さて,ヨッパにタビタという名の弟子がいた。この[名]は,訳すと,ドルカスという意味である。彼女は善行とその行なう憐れみの施しとに富んでいた。37 しかしちょうどそのころ,彼女は病気になって死んだ。それで人々は彼女を洗い,階上の間に横たえた。38 ところで,ルダはヨッパに近かったので,弟子たちはペテロがその都市にいることを聞くと,二人の人を彼のところにやって,「どうか,ためらわずにわたしたちのところまで来てください」と懇願させた。39 そこでペテロは立って彼らと一緒に行った。こうして彼が到着すると,人々は彼を階上の間に連れて入った。すると,やもめたちがみな泣きながら出て来て,ドルカスが共にいた間に平素こしらえたたくさんの内衣や外衣を並べて見せるのであった。

ドルカスの話は知っていたけど、
ペテロが死人を復活させたのは
気がつかなかった。
本当に聖書って、何回読んでも
気がつく点が多いよね。
って、話がぜんぜん違うほうにいってしまったけど、
たぶん舞は自助グループにいくまでは、
自我の塊みたいな人で
人と溶け込んだり仲良くしたりするのは、
あまり好きじゃなかったのかな?
自助グループに行っても、
違いばかり探していたな。
同じところを探せるようになってから
そうそうって思えるようになって、
うなずけるようになって
相手を是認できる
受け入れられるようになったのかな?
人は変わるよね。
=*^-^*=にこっ♪

最初から深い会話に飛び込むのは賢明ではありません。