イメージ 1

イメージ 2

わらをもつかむ思いで奇跡を願う人が,自分の望みがかなえられたと錯覚することもあります。進行ガンを患うある少女は信仰治療師のもとに行きました。その後医師の診察を受けた少女はうれしそうにこう言いました。「お医者さんも信じられないようだったわ。2か月で死ぬことになっていたのよ。でも,何も起きなかったわ。……生きているのが不思議なんですって。どうして神様は救ってくださったのかしら」。悲しいことに,それから1年もしないうちに少女は亡くなりました。

患者の回復は奇跡であると語った一主治医の言葉の伝えられたことがありました。しかし,新聞記者がさらに調べたところ,「奇跡」というのは「言葉のあや」であるとその医師は言いました。病気の治癒は「自然の成り行き」であるとその医師は確信しており,さらにこう語りました。「神が直接に介入したことを証明できるとは思わない。信仰治療を受けなくても同様のことが起きた例はこれまでにもある」。

何が病気の“治癒”をもたらしたのか,その本当の理由を見極め難くしている幾つかの要素があります。精神が身体の健康に及ぼす影響についてはまだ完全に解明されていません。病状の進行を予測できない病気も多くあります。まだ知られていない何かの理由で快方に向かうこともあります。病気の多くは,時に医療の助けを借りながら,体そのものの働きによって治ります。ウィリアム・A・ノーラン博士は,自分が何らかの治療を受けているという強い感情によってある病気は普通よりも早く快方に向かうことがあるようである,と語っています。次のことにも留意すべきです。つまり,いわゆる癒しの多くは病状がほんのわずか快方に向かっただけのことなのです。

そのほんのちょっとでいいから、
良くなりたいと思うよね。
これ多分、ずっと健康な人にはわからないんだろうな。
布団から這い上がれず、
生きることも死ぬこともできなかった日々を思うと、
今日こうして買い物にいけ、
朝マックを息子と楽しむことができることが、
奇跡だと思うよね。
もう、眠れない夜には慣れたから
別に悪夢を見たりしない限りは、
睡眠薬を使おうとは思わないけど、
朝まで眠れる人がうらやましく思うときもある。
まあ、今与えられているもの
残っているものに感謝だから、
ブログを続けていけるだけでも
ありがたいんだけどね。
=*^-^*=にこっ♪

いわゆる癒しの多くは病状がほんのわずか快方に向かっただけのことなのです